2015年12月29日火曜日

傷つくこと 脱皮すること

コンサルをしている友人と話していて、気づいたこと。

今までのやり方ではうまくいかないんだから、こうしましょう、という話をするとき、傷ついてしまう人がいる。

それって、あなたの心を傷つけているのではなく、あなたがいま脱皮しようとしている古い皮が傷つくことで、より破れやすくなり、新生の自分が生まれようとしているということなんだよ、そう信じられる?というアドバイスをするといいのかもね〜と話していました。

きっと、ツインに出会って傷つきぼろぼろになるのは、古い概念の皮。

へびさんや蟹さんが脱皮するように、いらなくなった、サイズに合わなくなった概念を脱ぎ捨て、やわらかく新しい自分になっていく。

それが、成長というものなのかもしれない。

成長って、大きくなったり、何かを身につけていくこととはかぎらない。

フラジャイルな自分をさらけだすこと、さらけだしても、守られ愛されていると信じられること。

そういう成長もきっとある。





2015年12月27日日曜日

本気で望むこと、自分に許すこと

いままでで、本気で自分が願い、それに向かって努力し続けた結果、手に入らなかったことはあるでしょうか。

わたしは、ある欧米の街に留学する夢を中学生の時に持ち、語学を学び続け、10年かけて夢を叶えたことを思い出しました。

ビジネスを始めた時は、「全国紙にカラー写真で載ること」を目標とし、3年で叶いました。

こういう人と結婚したいという20に及ぶリストを書き、まったくその通りの男性と結婚した。

こういうスタイルの家に住みたいと願い、それは結婚5年で叶いました。



本気で願ったことで叶わないことはなかったのではないか?

いま、ツインと一緒ではない人生はなぜなのかと思い返した時、わたしは先日の「決断」の記事と同じですが、本気でそれを望むことを自分に許してこなかったのだと気付きました。

ツインはあまりにも素敵で、輝いていて、とっても可愛くて素敵な奥さん(と噂で聞いた)がいました。

たいして女性としての魅力もなく、生意気なだけなわたしが近づいてはいけない人だと思っていました。

憧れて、憧れて、息もできないくらいドキドキして、でもそばにいると誰よりも体が緩みこころを開いてしまう不思議な存在でした。

見つめあって、触れ合いもせず、何時間でもおしゃべりを続けていました。

こんなに素晴らしい人との関係が築けるとは思えなかった。

なぜか、といえば自分に自信がなく、自己肯定、自己価値を持つことができなかったという点にあります。

劣等感のかたまりで、自分はどうしようもない子だとどこかで思い込んでいました。


それが、いろんなワークを通じて、「自分は素晴らしい存在だ」「価値がある存在だ」「思い切り愛されている存在だ」と信じられるようになり、わたしは力を取り戻した気がしています。

いま、そんな素晴らしい自分が、この世でただ一人の愛する男性と幸せな日々を送ることを許したいと思っています。

わたしは欲張りなので、仕事もしたいし、裕福に趣味も楽しんで暮らしたい、毎日愛する人に触れて笑いあって暮らしたい。

そんな欲張りな自分を許し、認めて、愛すると宣言したときに、本気で自分の幸せを願えるようになりました。

ビジネスや勉強は、願いを定めて、自分の日々の努力をし続けるわけですが、ツインと一緒になるという幸せな未来のために、いまわたしができることは何かといえば、目の前にいるいまの暮らしで出会う人に親切にして、あたたかい言葉をかけて、その人の尊厳を認めて、否定せず、何か手助けできることがあれば力を尽くす。こうしてブログで日々の気付きをシェアすることも、「行動」のうちなのかもしれないと思っています。

願いを自分に許し、決断すると、ものすごい力が湧いてきます。

その力は「行動」への燃料となります。

願いを持つことすら自分に許さなかった、でもどうしても願いを捨てることのできない自分を「不倫願望の汚い女だ」と糾弾することをやめ、わたしの本当のこころは彼と共に生きて共に死ぬことを望んでいるのことを認め、自分に許します。



わたしは、わたしの愛が、奇跡を起こすところを目撃したい。

関係者全てが、より自由に幸せになる道を進んでいると信じて。













2015年12月25日金曜日

チェイサーのおまじない

今日は、ちょっとキツかったです。

朝から、寂しさ、イライラ、どうしようもない悲しみ。

眠いし、ぼーっとしてしまうし、何をしても読んでも書いても、冴えない気分。

チェイサーってこういう気分なのか。寂しくて寄る辺がなくて、どうしようもなく、何にもできずに、ただ時間が経つのを待つしかないのだろうか。何をしたらいいのだろう。

気力がすべて流れ出て、骨組みだけになってしまったみたいに寒風に吹かれている気分でした。

こういう日もあるのかなあと、お風呂に入っていて、眠さに耐え切れず、目を閉じてウトウトとしていました。(万が一お風呂で眠ってしまっても溺れない浅いバスタブなのでご安心を)


そのとき、頭に響いてきたことば。


「わたしはめちゃくちゃに愛されている」



パッと目が開き、いきなり今日1日暗かった目の前が光に満ちていました。

「わたしはめちゃくちゃに愛されている」

誰に?

すべてに。

神様?ツイン?

神様もツインも、ご先祖様も、あなたの周りにいる人にも、この宇宙すべてに。

あなたはめちゃくちゃに愛されている。




「わたしはめちゃくちゃに愛されている」

これが、今日からチェイサーのおまじないです。

どうしようもない気分になってしまった時は、そういう自分を抱きしめて「わたしはめちゃくちゃに愛されている」と言ってみようと思います。





破壊も計画的に

昨日のポストの補足。

新しい家を計画していて、それは「今はないけれど未来にはあり、そのための今日の建築計画がある」という考えですが、

もし家を建てる予定の土地が、更地ではなく、古家が建っていたら、そこをまず解体しないといけません。

もしかしたら、今わたしがいる場所は、「解体を計画する」という段階なのかもしれません。

いきなり、ダイナマイトでぶっ壊すということもありなのかもしれませんが、近隣の住民の皆様がびっくりするでしょうし、環境にも悪影響。

それよりも、解体計画をたて、静かに粛々とすることを選択することもできます。

自分が今まで住んでいた家、古い場所は、自分の身の丈にもうあっていなくてもそれなりに愛着もあるし、更地にして、家が建たなかったらどうしよう、という不安や恐怖を覚えることもあるでしょう。

ツインとの未来が、「新しい家」なら、今自分がどこにいるか、そう考えてみるのも少し息抜きになるかもしれません。

今日は、午前中は気持ち的にパツパツになっていて、余裕がありませんでしたから夕方買い物がてら少し遠いスーパーまで歩いて行って、夕暮れの空を見上げているうちに、ふっと楽になりました。

このブログが、苦しむ方の少しのヒントになりますように。

今日も愛を込めて


Camille



2015年12月24日木曜日

時は未来から流れてくる


時というものは、普通の感覚だと過去から未来に流れているように見えるのですが、それは暦上のことで、見かけのもの。

実は時というものは未来から流れてくるんだよ、という話を尊敬する方から聞いて、不思議に思っていました。

それが、あるとき、ぱっと理解できました。

それは、友人が家を建てるという話をしてくれたときのこと。

家のプランを楽しそうに語る友人と、「明日は建築士の方と打ち合わせで」という話。

そうか、「家」は今現在は実際にはない。今は更地。けれど建つことは決まっていて、未来には「そこにある」

そこにある「家」は確定した未来で、それを現実のものにするために「今」がある。

具体的には、間取りを決めたり、内装を決めたり、仮住まいするならそのスケジューリングをして、といったこまごまとしたことは「今現在起きていること」、そしてそれは「決まっている未来のための行動」

時間は未来から流れてくる、というのは「こうなる姿」がわかっていて、そのために「今がある」ということなのだと。

わたしたちの究極の姿は、菩薩だったりするのかもしれませんが、それはとても壮大なお話で、もう少し手前の未来、わたしはツインと統合するという未来があり、それは決まっていることで、そのために今日があるのだと思えるようになりました。

何度も頭に浮かぶ、笑顔の二人が友人や家族に互いを紹介している映像。
幸せでしかたのない日常のふたりの姿。

そんなの到底ムリ、かないっこない、と打ち消そうとしても、湧き上がってくる映像は、未来からの「確定された」生活はこれだよという完成予想図なのだと。

ツインとは、一緒になるって決まっているのです。

だから、今はどーんと構えて、自分の楽しいことをして、ずっと幸せな波動でいましょう!

大丈夫大丈夫!



〜クリスマスイヴに愛をこめて。

いつもありがとうございます。
あなたが読んでくださるから、こうして書き続けられます。


Camille 






ランナーはさなぎのようなもの

昨夏のこと、セミがさなぎから脱皮する瞬間を目撃したことがあります。

子どもの頃ファーブル昆虫記で読んだ、「生まれたばかりのせみは薄緑色をしている」という文章がずっと頭のどこかにあって、いつか見て見たいその色を、と思っていました。

念願が叶い、夜10時頃、玄関の脇で割れ始めたセミのさなぎ。茶色い硬そうな殻から、ファーブルの言う通りの、薄緑色に光り輝くような新しい命が生まれる瞬間を、20分ほど固唾を飲んで見守っていました。

その色は、他の自然界の何色にも例えられないような、柔らかく発光するような薄緑色で、形はしっかりとセミの形をしています。その生命の不思議に感嘆していました。

ふと昨日そのことを思い出していて、「ああ、ランナーもさなぎのようだ」と頭の中でつながりができました。

表面上は、茶色の殻が木の枝なんかにくっついていて、何も変化がないように見えるけれど、内側では幼虫から成虫へと劇的な変化が起きている。

そして時が満ちたら、そのさなぎは割れ、美しい羽を持ったセミが現れる。

サイレント期間、という言葉もあるように、静かで何も起こらないように見える期間も、実は、内面の変化はすさまじいものがあり、変化しているランナー。

きっと美しい羽を得て、その羽でチェイサーの元に帰ってくる。

それが、ランナーの姿のような気がしてなりません。







2015年12月22日火曜日

愛より感謝のほうがしっくりくるかな

愛という言葉は、動詞である。マザーテレサの言葉でしたか。

食事を作ること、眠った人に毛布をかけること、いっぱいの水を差し出すこと、励ましの言葉をかけること、笑顔をむけること。

そういった、日常にできることを少しずつしていくことが「愛を生きる」ということなのかなと考えていたのですが、

わたしの中には嫉妬心がまだメラメラと燃えていて、ツインのご家族のことを思うと胸にキリを打ち込まれるように痛くなり、息ができないほどの嫉妬に蛇に化身しそうになるときもあります。

その方にはもちろんなんの罪もなく、ただ、うらやましいというわたしの気持ちが勝手にわたしを苦しめているだけなのですが、

たぶん、この世で一番難しいのが、その方を愛するということなのではないかと思うほど、無条件の愛といっても、愛することはとうていできそうにありません。



でも、少しだけとっかかりが。

わたしは未熟者すぎて、愛とは思えないけど、感謝はできるかもしれない。

いつもツインの生活を支えてくれている方なのだと。ツインが選んだのだからきっと素晴らしい方なのだろうと。

そこには、ツインとのカルマのようなものもあってきっとこの二人にも経験しなくてはいけない学びがあってその過程を過ごしておられる方なのだと。

正直、自分の結婚生活を見ても、まわりの友人のあけすけな話を聞いても、結婚相手を心から愛して、幸せでと思っている人はほぼいません。

みんな苦しい学びの途中であり、もっと他の人生の道があったのではないかと思っているのです。

そういえば、17年前にツインに出会ったとき、「これは天上の恋だ」と思いました。

完璧すぎて、美しすぎて、この恋が叶うことはこの世ではありえないだろうと。

それから17年経っても、それでもまだ、諦められなくて、奇跡を願っているわたしがいます。

ありえない恋が、叶う日が来ることを。




決断するかどうか

ずっと、考えていたことがあります。

どうして、一緒になるツインソウルと、一緒にならないツインソウルがいるのだろう?と。

うまくいっているツインソウルのかたはブログを書いたりする必要がたぶんあまりないので、うまくいっていない(この世的な意味で)ツインソウルの慟哭ブログが世に溢れているわけですが、その違いはなんだろうかと。

ツインソウルは出会うと一緒になろうとしてものすごい宇宙の引力が働くので、それに驚き、恐怖を感じて逃げるという一面もあるとは思うのですが、どうしても抗えないことにそのまま身を委ねる人と、逃げようとする人(自分も含め)、離れたままでいいと思う人の違いはなんなのだろうかと。

最近、気づいたのですが、「決断するかどうか」だけなのではないかと。

ツインソウルの二人が同時にだとすごいパワーになるのでしょうが、時間差があったとしても、お互いが、「一緒になる」と決めた時に、運命がまた動き出すのではないでしょうか。

わたしを振り返ると、自分の中には、彼の家庭を、幸せを壊してしまうのではないかという恐れ、社会から非難されることへの恐れ、自分が今の豊かで安楽な暮らしを失うことへの恐れが確かにありました。

一緒になりたいという思いよりも、恐れの方が強くて、実は彼がランナーになったことに少しほっとしているところがあるのです。

もう、この葛藤や痛みに向き合わなくてもいいという安堵感。

もう、このまま今生は会えなくてもいいかな、なんて頭をよぎることもありました。

ですが、心、魂は、まったく諦めておらず、一緒になりたいと叫び続けます。ずっと彼が涙を目に浮かべて、わたしの頭を両手で抱えて、彼の額とわたしの額を合わせている映像が脳裏から離れない。

一緒になりたいという願いを、「彼に執着するなんて成長が足りない」と自分を弾劾する。

そういうことをやめて、自然に、心に従うこと。認めること。

すべてを捨てて、彼と一緒になると決めること。

そのときに、運命が動き出す。

といっても、まだ怖いのですけどね。



2015年12月20日日曜日

過去の記事はすべて

過去に書き綴っていた記事、ちょうど昨年の今頃に始めたブログ。

最近よく読まれている記事と表示されたのは

「ランナーは逃げている?」
http://messagefromcamille.blogspot.jp/2015/02/blog-post.html

でした。


この文章、逃げた17年前のわたしの心情を綴ったものですが、いま、わたしの大切な彼の気持ちを表しているような気がしています。

こんなに大切なのに、抱きしめることが怖くて、離れてしまう。

本当にツインソウルなら、きっといつか一緒に生きられる日が来るはず。

わたしはそう信じて、いまは自分を愛し尽くして、日々を暮らしています。





2015年12月4日金曜日

執着を手放し無条件の愛へ

最近、また少しトンネルを抜けました。

わたしの「成長」のイメージは、いらない荷物を下ろしていくこと、身軽になって柔らかくなっていくこと、なのですが、

この一年、ものすごく彼に執着していたことに気づきました。

「また離れたら生きていけない」

「もっとメールしてほしい」

「わたしのことを大事にしてほしい」

「いつか一緒になると言って」

口には出さなくても、自分がべっとりと重い執着で彼にまとわりついていた気がします。生霊ですね。そりゃ拒絶もされるわ、とようやく気づきました。



無条件の愛とは?と考えてみて、それは、「何があっても愛すること」なのだとようやく体感しました。

たとえ彼とまた離れ離れになっても、彼が何のアクションを起こさなくても、それでも。

それでも、愛は変わらないし、ずっと思い続けるでしょう。

あなたが学ぶ時間と相手を尊重し、わたしもこちらで自分の人生を尊重して大切に日々を過ごしていくね。

そうつぶやけるようになったとき、軽やかに、ひとつまた荷物を下ろしました。


ツインと出会って、一番の学びは自分を愛すること。

今の自分がかわいくて、大切でたまらないと感じることができたとき、わたしは初めて自分の人生を始められるような気がしています。







2015年12月3日木曜日

落ち込む時は真っ逆さま

落ち込みの流儀も、40年以上生きていると確立されてきます。

落ち込む時は、真っ逆さま。

正気に戻らなくては、大人なんだから、なんていう、理性は働かせず、わんわん泣いて、膝を抱えてお風呂に入ってまた泣いて。

もう涙が出ないほど泣き尽くして、ヨガニードラのCDをかけて眠る。

すると。

トランポリンに跳ね返されるように、ぴょーんと元いた場所よりもちょっと上がっている。

テンションも、俯瞰の能力も。

ははは、と笑いも生まれてくる。

ここまでわたしを泣かせるなんて、世界中にあなたしかいないよ、と呟く、また笑う。

アップダウンも激しいですが、時間は短くなりました。


2015年12月2日水曜日

久々にのたうちまわり

昨日の夜から、久しぶりののたうちまわり。

このまま思い続けて、それだけで天に繋がって幸せだな〜とこのところ思っていて、穏やかな愛に変わったのかと悟ったつもりでおりましたが。

突然、涙が溢れ出して、叫びそうになるので、あわてて、眠いふりをして布団に入り、ティッシュで口を押さえて、声にならない叫びをあげ、のたうちまわっていました。

トリガーはわかっているのです。

家族が見ていた、映画。

外国の俳優さんなのですが目がとてもツインに似ていて、見ないようにしていても目に入るし、そのたびに心臓をえぐられるような痛みに襲われました。

俳優さんの寂しそうな目、怒りを抑えるのに必死な目、そういう演技を見るたびに、ツインを思い出してしまい、つらくてたまらなくて。

ツインと交わした最後の言葉は、「自分は情けない。君もきっと(自分への思いは)変わるよ」

寂しそうにつぶやき、心の扉を閉めるようにぎゅっと体を閉じていた。

寂しくて悲しくてつらくて、どんなあなたでも私は愛しているのに、と伝えたかったのに。

ツインに再会してから、驚くほど元気になって、活動できるようになって、未来や希望という言葉がキラキラして見えるほどになっていて、こういう素晴らしい刺激を与えてくれてわたしの推進力となってくれたのかな、それが今生ではわたしたちのご縁で、結ばれようとする気持ちは、また別のものと考えた方がいいのかなと、少しずつ気持ちを収めようとしていたのに。

魂は、あなたと一緒にいたいと叫んで、からだから飛び出してしまいそうで

必死で自分を抱きしめて、落ち着かせようとしても、獣が暴れるみたいに「いやだいやだ」と叫んでいます。







2015年11月22日日曜日

一年の嵐を超えて

忘れられない昔の恋人との再会から、一年を超えて、自分の変化に驚きます。

スピリチュアルな学びも、現世での学びもジェットコースターのような速さで過ごしてきました。

人脈が変わりました。

出会う方々がまったくそれまでとは違い、ぐっと深くでも軽やかに付き合えるようになりました。

知らなかったクンダリーニや、聞こえない声が聞こえてくるようになって、霊能のようなものを開花させるべきなのかと悩んだこともありましたが、それはやはり、今までの人生の信念、「目に見えないものは、エッセンス。1〜2割で十分」は変わらず、これからは人生をきちんと歩いていくことに注力したいと思います。

ツインと再会しました、めでたしめでたし、という締めくくり方にならなくて、申し訳ないのですが、わたしとツインの人生はまだまだ続きます。

彼は公のためにも力を尽くしたいと思っているところがあり、今後はわたしもそこにフォーカスしないと前に進めない気がしています。

この一年は、「一緒にいたい、近づきたい」ということばかりが心、頭を占めていましたが、どうやってわたしはほかの方のお役に立てるのか。そういうことを考えて実践していくことになるかと思います。



2015年11月20日金曜日

彼がランナーになったかも

ツインの彼の住む街に出かけてきました。

一週間前、メールをしました。

この日に行きます。

彼からの返事はありませんでした。


普通の何気ない会話はメールの返事があるのに、今回はなし。

考えられるのは、
1.忙しくてわからない、返事をする暇もない

2.ツインソウルなんかではなく、興味がなくなった

3.ランナーになってしまった。


1ならしかたない。

2なら、本当の相手がお互いいるということだし、それはどうしようもないこと。なのでではさようなら、という結論になります。

3ならば、「はーい、行ってらっしゃーい」と朝、学校に行く息子を送り出す母のような声をかけて送り出すイメージ。


つまり、どれであって、ツインがわたしと会おうとしなくなったとしても、特に嘆き悲しむことはないのです。そして、実際に嘆き悲しまない自分に驚きました。

拒絶されることを恐れ、逃げた元ランナーだと自分のことを考えていましたが、拒絶されてもたいしたことはなかったのです。

やはり、ツインソウルのランナーは、相手の拒絶ではなく、自分自身の真の姿を見つめることができないために逃げるのでしょう。

愛を失うことよりも、真実愛されている自分をそのままで受け入れることができないから逃げる。

もっとちゃんとしていないと、愛されるはずがないのに、でも愛されるという混乱の中、その愛から逃げ出して、地獄へと身を投じる。それがランナーとしてのわたしでした。



いま、身も心もすっきりとして毎日充足し、幸せで満ち足りている人生がやっと始まりました。

わたしはツインが連絡をよこそうと拒絶しようと、彼を愛しているし、愛になんの変化もありません。

そしてわたしは神にわたしのままで、いまのままで愛されていることを一瞬一瞬実感して、本当に幸せです。


神様に、わたしという魂を生かしてくださってありがとうございます。素晴らしい彼との出会いを与えてくださってありがとうございます。と、心から思えます。








2015年11月12日木曜日

愛と感謝がもたらした変化

ふと気付いた変化。

ほんの一ヶ月前まで、夫が話す一言一言が嫌で、苛立って、たまらなかった。

夫が近くにいると、体が緊張でこわばり、全身が粟立つようだった。

それが、なくなっていた。普通に、仲のいい友人と過ごすように、会話して笑っている自分がいた。



自分を愛するワークをとにかくやっていたおかげかな?と思うのですが、自分をずっと責めていた「なまけもの」とか「稼ぎもないのに」とか、「ブス」とかそういう罵倒の声が頭のなかで響かなくなっていた。

「なんとかなるよ」「大丈夫」「ゆっくりいこう」「かわいいかわいい」

そういう言葉で頭が満たされるようになり、歩くときに緊張していた体がゆっくりとほどけていく。

全部自分でやらなくては、と力み返っていたのがやっとほぐれていく。

家事も、用事も、淡々と進められるようになり、かつ一瞬一瞬が楽しめるようになっていた。

完璧主義者で、頑固だった自分がやっと、ほぐれて本来の光に満ちている気がしている。

ツインへの想いも、きっといつか一緒になれるとゆったりと構えられるようになってきた。

今日も、自分をいたわり、可愛がって過ごします。

読んでくださってありがとうございます。


Camille



2015年11月10日火曜日

過去の観念から自分を解く

なぜ、愛を受け入れられないのか。

今朝、見えてきたヴィジョンは、修験道者の自分でした。

家族の愛は、俗世へのしがらみ。それは修行する身には不要。むしろ邪魔である。

という観念を持った自分でした。


こういう過去世の思い込みは、特に何かを癒すとか、なんとかするということではなく、思い出すと消えます。

ああ、こんな観念があったんだ。と思うだけで、またひとつ楽になります。



もうひとつ、ずっとあったのが、霊能者としては生きたくないという強固な思い。

それもまた、霊能を人を活かすためではなく、人を殺すために使っていたという過去世の後悔からでした。




しかし、いま、わたしは力には振り回されない強さを持っています。

霊能でお金儲けは絶対にしないけれど、アドバイスを求めている人に出会ったら、ためらわず、わかりやすく伝えることで、お役に立とう。

そう思えるようになってきました。




2015年11月9日月曜日

ワーク5.愛の恐れを手放す

余談ですが、今日銀行さんに行ったら、渡された番号が「111」

いま、ブログを開いたら、昨日投稿した記事へのアクセスが「111」

でした。

いろいろなサイトをざっと見て「思考が現実化します」という言葉がピンときました。

「恐れにフォーカスすればそれも現実化します」

ちょうど、いま取り組んでいるワーク。

「愛の恐れを手放す」

ツインと会いたい。
でも会うのが怖い。

愛に飛び込むことが怖くて、躊躇してしまう。

いまの結婚生活は、完璧とまでは言えないまでも、あまり夫の機嫌が気にならなくなってからとても快適になってきました。

このままでもいいのかな。

ツインと一緒になりたいなんて非現実的な夢を追わないほうがいいのかな。

今いるところで幸せになったほうがいいのかな。

そういう思考の奥には、すべてをさらけ出して愛される自信がないという恐れがあります。

自分を愛して、大切にしている日々ですが、時々、疲れて横になるだけで罪悪感が生まれます。「こんなに怠けて!」と冷たく容赦のない声が聞こえてきます。

自分を責める、自分自身の声。

いつかどこかで、自分を責めることを覚えてしまった。

自分を、たとえ疲れても、怠けても、それでもいいと思えるくらいのすべてを愛すること。

たとえ病気になっても、姿が変わるくらいの事故にあったとしても。

それでも自分を愛する。人に迷惑をかけても、それでも自分を愛して許す。

「いいんだよ、それで」

そう自分に言葉をかけています。




2015年11月7日土曜日

ランナーは執着すら理由にする



わたしがランナーになったのは、執着、恐れ、怒りが原因でした。

強く惹かれあい、言葉を交わすだけで幸せで仕方のない時間。

この幸せは、この人ともっと近づいて、それから失ってしまったら?というとてつもない恐怖と表裏一体でした。



わたしの頭はこういうストーリーを作り上げました。

ツインは結婚したばかり、社会的な責任を人一倍気にする彼のこと、離婚なんてするはずがない。「形」に表現されてこそ愛。どれだけ純粋な思いでも私は愛人、不倫相手にしかすぎない。ひとりでさびしく生きて、ツインの家族が増えていくのを聞かされたら気が狂ってしまうにちがいない。


彼の愛を独占したい。

彼を求めてもその形が手に入らないことを、許せない。

求めても仕方のない「形」を求め続ける自分の弱さが許せない。

これは愛ではなくて執着になってしまっている。だから、やめにしよう。

この恋は強烈だけれど、きっといつか青春の思い出にできるはず。


いま、この「形」への執着を見つめると、形が手に入らないことではなく、「形が手に入らないからやめる」という言い訳を使って、愛から逃げようとしたのだとわかります。

あまりに執着がものすごい力で自分を引っ張り、自分だと思っていた存在すべてがバラバラに壊れていくような気がした。

壊れてよかったのに。

そのまま、愛に身を委ねればよかったのに。


わたしは自分自身に謝りたい。

本心を裏切って、彼から去ったことを自分に謝りたい。






2015年11月6日金曜日

今朝の夢

夢を見ました。

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古い建物の中、腐って落ちそうな階段を上がり、最上階へ。

そこにはたくさんの人々。

窓から見える巨大なクレーンが、突然、今いる建物を壊すために迫ってくる。

猫を抱いていたわたしは、飛び降りて逃げる。

地上にも、警察のような制服姿の人々がたくさんいて、わたしたちを捕まえようとしている。

いつの間にか、猫は、かわいい色の白い小さな赤ちゃんに変わっていた。

わたしは、赤ちゃんを抱いて、逃げる。

途中で、赤ちゃんの父親にも出会うことができて、彼も赤ちゃんを抱っこして、微笑む。

彼もまた逃げている。

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夢分析に一時期こっていたことがあり、自己流で考えてみると、古い建物、そこで出会った人々は、わたしが持っていた既成の概念。

それを打ち壊し、わたしを縛ろうとする権威(警察のような存在)そこからも離れることにした。

猫と赤ちゃんは、わたしの大切な柔らかな心、新しい価値観。

起きた時は、逃げなくてはという焦りでちょっと息が上がるほどでしたが、冷静に書き出してみるととてもいい夢です。





2015年11月5日木曜日

夢とヴィジョンと

久しぶりにくっきりとしたツインの夢を見ました。

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スーツ姿で、はすむかいに座っている会社の風景。

わたしの席は隣の方が、話しかけてきて、困ってしまっているのを、ちらちらと見ないふりをしようとしながら、見てしまって、何かあったらすぐに立ち上がろうと身構えているツイン。

笑顔が大好きで、わたしはみとれてしまう。
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そんな夢を見て、気分良く過ごしていた午前中のこと。

さまざまな思いを書き綴っていると、そこに、じっとツインが見つめているヴィジョンが浮かんできました。わたしの右手に手を添わせて、じっと抱きしめている感覚。

幸せで幸せで、涙が出てきました。

共にいきているんだという実感。

ずっと笑顔のまま街に出かけてしまう、少々怪しい今日のわたしでした。





2015年11月4日水曜日

ワーク4.恐れを手放す

恐れって、手放そう手放そうと思うと、余計に恐れが強くなりまとわりつくような気がします。

昨日やってみたワークは、恐れにフォーカスするのではなく、恐れが示す本当の願いにフォーカスして強気で宣言するということ。

私の恐れそれは「ツインを失うのではないか」という恐怖。

その恐れが強すぎて、いっそ失ってしまった方がましだとランナーになったわけですが、いまだに、再会してもなお恐れはふわふわとつきまといます。

それをなんとかしよう、ということをいったん取りやめて、その恐れが示す、本当の願いにフォーカスしてみました。

わたしの願い、それは「ツインとともに生きていきたい」ということ。


その願いを受け止め、ちょっと強気をスパイスとして

「ツインは必ずわたしを選ぶ」

とアファーメーションしてみました。

すっきりとして、いい気分です。



2015年11月2日月曜日

ワーク3.自分を愛する

お天気が曇りだったり雨だったり、急に寒くなって気分が鬱々として乗らない。

ため息ばかり出る日。

そんなとき、責めたくなるのは、ツインがもっとメールしてくれたらいいのにとか。(いい迷惑)

気分を晴らしたいときは、自分を喜ばせるために何かをする。

ゆっくりとお風呂に入って、好きな小説を読む

昼寝する

ビールを昼から開けて飲む

そして自分のために料理する。

忘れていたレシピ。最近は自分のためではなく、夫のためにと作ることばかりで、自分が本当に食べたいものは作っていなかった。昔よく作っていた豚のひき肉の春雨煮。簡単なレシピなのに、ひとりで過ごす昼にも作っていなかった。

わたしは自分を忘れてた。

他の人のためだけに生きてしまうことが、「いいこと」で自分のために何かをすることに罪悪感があった。

何か言い訳(がんばったからごほうび、とか)が必要で、お酒を飲むのも罪悪感があった。

ただ、自分を喜ばせたい。

そうやって、あれこれしているうちに、すっかり元気を取り戻した。

そして、久しぶりに楽しみのために文章を書いた。


このブログは読んでくださる方のために、という意識が少し働くけれど、ノートに綴るのはただ自分が読むだけなのに、どこかで肩に力を入れてた。ただ楽しむだけの日。

なんて素敵なんだろう。自分を愛するって。






ワーク2.感謝


毎朝、いろいろなことを書くノートがあります。

ふと思いついて、感謝の言葉を書き連ねてみました。

誰に対してかというと、元彼の皆様へ。

最初に付き合った高校時代からのボーイフレンド、大学2年の時に会った異国の人、留学先で出会った笑顔が素敵な彼、社会に出てから出会った方々。

なんとなく、恥の部分も多い過去の恋愛なので、思い出すこともなるべく避けていたのですが、ひとりひとりの顔と名前を書きながら、その付き合いに感謝の言葉を書きました。

「⚪︎⚪︎くん、いつも穏やかで優しくしてくれてありがとう」

などと。

そして、一番難しい夫への感謝の言葉も。

お互いが憧れて結婚して、すぐに破綻したけれど、わたしを追い出すこともせず最近はずいぶんと気を使ってくれるようになった夫。

ひとりでは経験できなかったような、大胆な行動への感謝のことば。

面と向かうとぞっとしてしまい、1m近くに寄るのも嫌なくらいの夫ですが、書いていれば感謝のことばはさまざまに出てきました。

それが意外なことでした。

なんとなくすっきり。これもいいワークでした。


ワーク1. 男性性と女性性

自分を振り返るワークをこのところしています。

テーマの一つは、女性性と男性性。

思い返せば、小さい頃から母には「結婚なんてしなくていい」と言われて育ちました。自立心を持ち、仕事を持ち、一人で生きていく女性であってほしいという願いを母の年代では叶わなかった自立、自由の夢を娘に託したのでしょう。

受験に勝つことだけが10代のすべてで、めでたく有名大学に受かった後は、その後の学業、キャリアをブルドーザーのように突き進もうとした日々でした。

学校を出てから、友人の起業を手伝い、小さなビジネスを起こし、マーケティングを学び、結果を出す。それに無上の喜びを感じていた20代。

夫となる人は、同じくビジネスを生きて、二人でもっと大きくしよう、と過剰なまでに自分を膨らませ、追い詰めていたのが30代の最初、そしてすぐに破裂するようにその願いは破綻しました。

鬱々として、死にたいということだけが望みの30代でした。

こういう視点で自分を見つめ直すと、20代は結果至上主義、努力至上主義の男性性が過剰な時代、30代は無力になり、非力に泣き続ける女性性の時代と言える気がします。

わたしは、若い頃は、人への関心も感謝もなく、人の心をおもんばかることよりも批判し、議論して打ち倒そうとしていました。そして結婚してからは、ひたすら夫の顔色をビクビクと見て、自分というものを完全に失っていました。

40代になった今、ツインとの再会でエネルギーが格段にアップし、人への優しさ思いやりを表現できるだけ心は柔らかく女性らしくなり、そして、主婦だからといって何もできないわけではなく、知っていることをわかちあったり文章で表現することができる、独立、自由を求めた男性性をも取り戻しました。

これが、自分の過去世も含めての、自分の男性性と女性性を統合していくことなのかもしれません。

ツインは男性らしい男性ですが、ものすごく繊細で情熱的なところを隠しているようなところがあります。お互い、それを認め合い、受け入れた時にすごく素敵なパートナーシップが産まれる気がしています。


追記:
そうして、完全になったふたりがもう一度統合するということ、それは、二つが一つになるのではなく、二つが四つにも、さらにもっと多くにもなる瞬間なのかもしれません。そのためにわたしたちはあの日、冒険の旅に出たのではないかと。


2015年10月31日土曜日

天に帰るときには

今日、ゆっくりとお風呂に入りながら、しみじみと、幸せだなあと思っていました。

ツインに出会ってからいろいろな過去世を思い出しました。

表面的には辛いことも、苦しいことも、穏やかで幸せなこともありました。

それでも、長い旅を通じて、わたしの出会いは愛に満ちていたと、つくづくと思いました。

天に帰るとき、きっと神様に「わたしの旅は愛に満ちていて、本当に幸せでした」と言うだろうなと。

光に満ちて、「神様、帰って来ました」という自分の姿が浮かびました。


そこで不意に降りてきた言葉。

「で、相方は?」

天の門の前で、「相方がいないじゃない。一緒じゃないと入れない」と門前払いをくらうヴィジョン。

ええ!?

自分一人で幸せで充実して、関わる人々にも愛を持って接すればいいのかと思っていた。

「相方とともに帰って来なさい。」

「ともに飛び出したのだから。」

ということは、やっぱり一緒になるということなのかな?

世間的なカップルとしてではなく、やはり相方とはきちんとコミュニケーションをとり、通じ合う心を確かめ合い、信頼に基づいた関係を築くということ。

はい。

それがわたしのこれからの課題のようです。


正直、メールの返信が遅いので、またまた「もう終わりってことかな」とランナー気質の終わらせたい思考がこのところチラチラと頭をよぎっていました。

まだ終わりません。わたしの旅は。







願望という形の不平不満

「もっとツインがメールや電話をしてくれたらいいのに」

「もっと会いたいと言ってくれたらいいのに」

それは、願望というかたちの、不平不満でした。

宇宙、神様は、様々なシンクロニシティでわたしが宇宙の流れに乗っていること、加護を受けていることを教えてくれている。

それなのに。

信じていないのは、自分自身。

ツインに愛されていることを信じきれない。

それは、わたしが神の愛を受けていることを信じきれていない証拠。

こうだったらいいのに。

もっとこうだったら、幸せになれるのに。

そうじゃない、今、あるだけでも十分すぎるほど有り余るほどの愛に包まれ、今、なにも変化しなくても幸せだと実感すること。



ツインがいなければ幸せになれない。
ツインがもっとこうしてくれたらもっと幸せなのに。
ツインと一緒になれたら幸せになれるのに。
ツインソウルと一緒になれる人もいるのに、なぜわたしはなれないの?


これは、うっかり願望だと思っていたのですが、実は不平不満だったのでした。

今、このままでも愛はわたしを流れ、わたしを生かし、輝き続けている。

このままで、本当に幸せなのだということをブレずにずっといられる状態になれたらいいな、と思いつつ。

ちょっとした気づきのメモでした。






常に愛を選ぶ

昨年7月、いろいろなものから解放されたと思った後の、忘れられない恋人との再会。

出会った瞬間から、お互い惹きあって、最初から愛に満ちていました。

でも、わたしは若くて既存の価値観でガチガチに凝り固まっていて、その愛をそのまま受け入れることができなかった。

不倫、いけないこと、誰かを傷つける、だから諦めなくてはという思考、それはすべて自分(と思い込んでいたエゴ)の存在を壊そうとする愛の力への抵抗でした。

わたしは、執着を手放すということがよくわかりませんでした。

ちょっとわかりかけてきたのは、今、この瞬間も彼とはつながっていること、神が作り、再会させてくれたということを信じて、プロセスへの執着を手放し、今この瞬間、彼とは別々の家に居るという事実を受け入れた上で、幸せを感じるということ。

共にいてもいなくても、愛は変わらない。

「なんとかしなくちゃ」と焦るのをやめて、静かに流れに身をまかせる。

この瞬間でも、わたしは完全に神とつながり、愛されている。

すべての宇宙の存在が、わたしという存在を祝福してくれている。

わたしもかけがえのない、宇宙の一部なのだと。

ツインソウルということばを知ったことで、あのわけのわからない激しい恋を理解し、受け入れる。

そして、本当はわたしたちはひとりひとりが神の愛し子で、愛と光に満ちた存在だと気づくことができた。


彼を愛しているということ、そしてそれを受け入れることが、わたしの本質の光へと導いた。


それは、自分の意見を言わないでいい子でいるということではなく、人を傷つける言動を(人も自分も)許容するということではもちろんなく、はっきりと意思表示をすることもとても大切。

2015年10月30日金曜日

living shrine

今日は、久しぶりに神社に参拝に行きました。

大好きな神社、清らかなエネルギーに満ちています。

本殿の前で頭を下げていると、瞑想のゾーンに入るような、ぐうっと光が体の奥底から輝き、外へと押し出るようなイメージがわきました。



ツインとの再会から特に気をつけるようになっているのですが、美しく装うことを心がけています。

美しさは光。

神様が作られた美しい体を大切に扱い、美しく保ちたい。

清潔感を持ち、身仕舞いを整え、話し方、振る舞いを美しくすること。

そうすることで、神聖な存在である自分が光を取り戻す。

わたしたちは誰もがずっと光り輝く存在なのですが、それを表現することで、妨害していたエゴや古い記憶のかけらが取り去られていく。

そしてひとりひとりが、「歩く神社」のような存在になります。

日本の神社は本当に美しく、清らかで、静謐です。

わたしもそういう存在でありつづけたい。


不変、永遠の愛をこの世で



ツインとは、会っていきなり、天上の恋と知った。

それは永遠、不変の愛。

だけれど、わたしたちの生きる現世は、移ろい、変化する。

ツインソウルが取り組むチャレンジは、この「絶対」と「相対」の世界のバランスをとることなのかもしれないとインスピレーションが降りてきました。

絶対の愛、を変化するこの世で、実現すること。

うつろいゆくもの、壊れやすい物質の世界で、永遠不変の愛を体現すること。

そこに、宇宙の流れ、神の意志といった聖なるものが望む、至高の愛が、生きとし生けるものすべてにそそがれ流れている、三次元の天国が現れるのではないかと。

実際のやりとりは、もどかしいし、思う通りではないから切なくなったり悲しくなったりするけれど、それでも感情の表層は波立っても、深い底を流れる水は穏やかなようにツインへの愛は一切揺るがない。

ずっと、なぜ神はこんなに苦しくつらい世界というものを作ったのだろうかと思っていました。

でもつらくて、チャレンジしがいがあるからこそ、わたしたちは光の玉から飛び出し、二つに分かれた。

あの愛を、現実でも味わうために。

シンクロニシティ、が普通に起こっている世の中になっていくために。

鬼か夜叉か

ここ数日、恐ろしいヴィジョンが何度も現れてきて、そのたびに凍りついていました。

それは、ツインを独占したいあまり、彼の家族にひどいことをしている自分の姿でした。

鬼か、夜叉か。

狂気に満ちた自分の姿が浮かぶたびに、戦慄し、固まっていました。



したことは、「許すこと」

自分を許しました。

そんなに恐ろしいことを想像しているのか、それとも無意識に押し込めていた願望なのか、前世の記憶なのか、わからない。

でもそこまで執着し独占したいと思っている自分を、許しました。

どんな罪を犯しても、わたしはわたしを許す。

そういう究極の許しを心の中で、経験しました。

彼を愛している自分を許す。

封印され、行き場所を失った情熱はねじ曲がり暗い炎となってしまった。

だから許す。

わたしはわたしを愛しています。

かけがえのない存在、それは自分。





2015年10月27日火曜日

罪人なんかじゃない

あなたは罪人なんかじゃない

愛に出会っただけ

ただ愛する人に出会っただけ



自分をそうやって認めた。

愛してはいけない人を愛してしまったという罪の意識でいっぱいだったあのころ。

恋から逃げることで、罪をおかさないようにと思っていたけれど、それは自分の保身だった。

傷つく覚悟も、非難される覚悟もなかった。

わたしは弱くて、自分のアイデンティティを、この地上の表層のかたちを守ろうとした。

本当は、わたしは、神さまから生まれた。

あの光、愛、輝き、それだけが本当のわたし。

その魂がもとに帰ろうとして、見つけた光。

この出会いがわたしをもとに戻そうとする。

ツインへの愛を認めたとき、こびりついていた「悲恋」の記憶がバラバラに風に飛んでいく。

本当の自分へと戻る旅。

本当の自分を愛する旅。

世間のかたちから、はみ出ていても、魂が輝くならば、それが真実。

恐怖に支配されていた人生が変わっていく。


2015年10月23日金曜日

100点満点でなくてもいい

不器用な二人の恋。

近づいては離れ、不意に心の扉を閉めるようなことをお互いしてしまう。

でもこれもわたしたちのプロセスなのかもしれない。

打率4割でイチロー、3割で一軍なのだから、毎回毎回クリーンヒットを飛ばさなくても、ぼてぼてのゴロのような対話になっても、別にいいのかも。併殺打を打ってしまって、もうだめだー!と頭を抱えてしまっても、まだまだ続く。


完璧主義者をやめても、大丈夫。そんなに肩に力を入れなくても大丈夫。



細く長く、ゆるゆると永遠を旅しているのだと気付いた。

あなたと共に。


2015年10月21日水曜日

家庭像への執着を手放す

執着を手放すことができました。

それは、夫への執着。あるべき家庭の姿への執着。

わたしの子ども時代は、家族も多く、親戚も多く、いつもわいわいがやがやとしていて誰かが家にいて、こんにちは〜という声が聞こえたらお客様が茶の間にいるのが当たり前でした。

子どもは、二人か三人、いつも笑い声が絶えなくて、遊んで、学んで、というホームドラマのような暮らしが「家族」であり、それを作るために結婚したのに、なぜこの人はそれに応えてくれないのだろう、尽くし方が足りないのだろうか?もっと尽くして良い妻になれば、いつかその「家族」は実現するのではないか。

40歳になって、それが無理だとわかったとき、絶望に包まれました。

夫は、実家の状況がよく似ていて、きっとこの人とならそういった理想の家庭を作れる、と「夫自身」を見つめることなく、結婚して、無理に結婚を続けていた自分に気づきました。

どうして離婚できなかったのか。

わたしは彼はいつか変わってくれるという願いという形をとった「不平不満」を抱えていたのでした。

ありのままの、夫を見つめると、自分のビジネスで成功すること、趣味を極めること、ひとりで完結する人生を送れる人。

それをわたしは、被害者になったり、救済者になろうとしたりして、なんとか理想の家庭を築かせようとしていたのだと。

いま、夫への執着を諦め、(諦め=明らかに見るということ)ありのままの自分たちを見つめたとき、すうっと執着を手放すことができました。

感謝しよう。

いま、健康で、自由時間がたっぷりある境遇に。

9年半の結婚生活で、自分がどれだけ傷つき、立ち直り、学び、成長したかを。



夫への興味と関心を、完全に断ち切ったことで、むしろありのままの彼を見つめることができました。

興味と関心といえば聞こえは良いけれど、要は自分の思い通りの夫像を押しつけ、そうでないと苛立ち、矯正しようとしていたのでした。

いま、夫婦であり続けることへの執着が途切れ、自分自身の人生に全力を尽くせるようになりました。

妻たるもの、夫を支え、自分の人生なんて思ってはいけない、どこかで刷り込まれた理想の夫婦像を手放すことができました。

妻である前に、わたしはひとりの女性。才能もやる気もある。

大丈夫。生きていける。




恐怖心に向き合う

ツインの住む街に出かける予定ができた。

会えるなら嬉しい。でも、忙しくて、今年は二回会えなかった。

不安でいっぱいになる。

もしまた会えなかったら?

メールを無視されたら?

立ち直れなくなってしまうんじゃないか?

生きることも難しくなってしまうんじゃないか。

恐怖で足がすくむ。

どうしたらいいのだろう。

またこのまま片思いに戻って、ひそかに思い続けていた方が幸せなのだろうか。

と迷っていた、3日間。



ふっと、「わたし彼と一緒になりたい。結婚したい」という心の本音が現れてきました。

そんな願いを持つなんてことを、自分に許すことができず、離れた16年前。

どんな状況であれ、状況は変化する。

わたしは、何を望むかをはっきりとさせるだけ。

願いが叶うかどうかは天にお任せして、自分が出来る限りの事、愛を伝えること、だけをしていこうと。

わたしの人生で男性は、ツインだけでした。

そして、そのツインと共に生きていくことを望む自分を許す。

社会の尺度で、罪とか罰とかを与えない。わたしは、神様にお任せします。わたしの望みは、関係者みんながハッピーになること、そしてわたし自身も犠牲にしたくない。

恐怖心は、味わうだけ味わってみよう。またこれからも波のように襲ってくるだろう。そのときは、「こんな恐怖を感じる自分は弱い」とか「まだ覚醒していないからかしら」とか責めるのはよそう。

何度でも、何度でも。そのために永遠はある。

2015年10月16日金曜日

愛を受け取る

「愛を受け取る」

これが、わたしの最大の課題です。

なかなか「ありがとう、嬉しい!」と純粋に愛を受け取ることができない。

「悪いね、ごめんね、気を使わせて」と、思ってしまう。

自分が気を使って、何かをして差し上げるのは大好きなのに、自分が厚意を受けることを申し訳なく感じてしまう。

そんなふうに、思われたら、わたしに何かしてくれる人も、すっきりしないだろうなあと思う。

純粋に喜ぶ顔が見たい。

それがわたしが持つ思いなら、きっとわたしにしてくれる人も同じ。

ツインからの愛情も、受け止められなかった。

17年前、逃げたわたしがすべきだったこと。

ただ出会えた喜びを分かち合うことだったのに。

今も、メールの返信が遅ければ、胸がつぶれそうに痛くなりながら、どこかホッとする。

もう終わりにできる。ツインソウルなんていう幻想に振り回された恋も終わりに。

でも魂は知っている。

終わりのない、ふたりの絆を。

逃げたって同じ。

同じ課題を、また何年たっても、何千年たっても、同じところから「はいスタート!」と始まるのだ。

だから逃げたって仕方ない。

愛を受け取る。

自分が愛される価値があるということを、信じる。

難しいなあ、、、




2015年10月11日日曜日

古い傷が癒されていく

ツインと出会って、17年。

断絶の15年を経て、再会。

この一年は激しく感情が動き、ツインソウルという概念を学ぶときでした。

この一年どんなに涙を流したことか。

こんなに好きな人をどうして忘れようとしたのだろうか、ずっと一緒にいたかったのにどうして自分の半身を引きちぎるようなことをしたのだろうか、一緒にいられたらこんなに孤独でつらい日々を送らなかったかもしれないのにという後悔。

逃げた自分への懺悔。

そんなものでいっぱいでした。

涙に、古い傷は少しずつ癒され洗い流されたのか、今は「これでよかったのだ」と思えるようになっています。

40代を過ぎ、もう子どもを望めない歳になってから再会したことで、純粋に、あなただけを見つめられる。

これから残りの人生、ずっと一緒にいたい。

忙しく走り続けてきたあなたと、見つめあって笑顔でいたい。

他愛のない望み。

これが若い頃だったら、経済力、体力、子どもが作れるかどうか、親戚付きあいも含めて、純粋なものに維持するのは大変だっただろうと。

男女共、どこかで計算して結婚するものですからね。それが経済活動を含めた、社会活動である結婚というものなのでしょう。

社会の維持存続に対してまっとうである(正しいと判断される)結婚は祝福され、秩序を乱すものは「悪」としておく。

それくらいのものなのでしょうね。

ひっそりとでも、ツインと手を取り合って、共に生きていきたい。

やっと、迷いなく思えるようになってきました。




親なんて仮のもの

「親なんて仮のもの」

この言葉を読んだのは、10年以上前のことでしょうか

父親にはべったりとして、ファザコン気味の私ですが、御多分に洩れず、母親とは心を開ききれない、緊張感が子供の頃からずっとありました。

ひとは生まれ変わりながら、親の役をしたり、子の役としたりして、学んでいくという考えを知ってからも、あまり母との関係はすっきりとしないものでした。

ずっと感じていたこと。

「お母さんはわたしのこと好き?」

という疑問。

忙しい家で、三人の子育てと仕事を両立しながら、忙しない日々を送っていた母。

姑との折り合い、親戚付き合いと、ゆったりとした時間はまったくなかったでしょう。

優しい言葉、温かい言葉は、母自身が祖母との関係で得たことがなかったため、わたしにとっては優しい言葉をかける母親像というのは「バカボンのママ」くらいのフィクションでした。

母は、いろんなことに批判的でしたが、特に男女関係には過敏に反応していました。

芸能人の方の不倫略奪婚!というゴシップには、「こんなことをするから罰が当たって病気になる」など、短絡的に結論付けては、こきおろすのが常でした。

わたしは、若い時にツインと出会い、相手が既婚者だったことで関係を続ける勇気を持てませんでした。

「普通の結婚、普通の出産」をしたい、反社会的なことをすることは罪で、それをとてつもなく恐ろしいことだと思っていました。それを誰に刷り込まれたかといえば、テレビとそれを倍増させる母の言葉だったのだと今は思います。

でもやっぱり忘れられず、今、ツインとは外から見ればダブル不倫と謗られても仕方のない関係。

何よりも、母に認めてもらえない関係なのだ、もしこれから先お互いが結婚を解消して一緒になるとしても母は認めないだろう。

そういう恐怖、コミュニティからはじき出される恐怖でしょうか、それが自分を支配していることに気づきました。



つみびとである自分。

それでも、きっとこの思いはやまない。

そこで出した結論は、「娘が不始末をしでかした」という役を母も演じて学ぶのだろうということ。

概念の結婚をして、「いい旦那でしあわせでしょ」とわたしの苦痛は見て見ぬ振りをする(ほんとうにわからないのかもしれませんが)母は、イメージの母、ではなくて、一人の修行中の魂で、どうしてもわかりあえないところがあるのだということを。

それを受け入れるだけで、ずいぶん楽になります。

母親とはこうあるべき、という自分の概念からも自由になれます。

40過ぎたら親を捨てよう。

こういうスローガンを広めたい。

実際に、面倒を見ないとか、介護しないということではなく、「親」という呪縛から自分を解き放とう。

そんなふうに思います。












人と人との付き合いとして

知り合って、何度かお話しして、自分がどんどん元気になっていく、その場に上昇気流が渦巻いていくのを感じるような高揚感を実感するお相手もいれば

なんとなく、はっきりと言われたわけではないけど、どこかトゲのある言葉、別れたあとにどんよりと気持ちが暗くなる、疲れるお相手もいる。

それは人と人との付き合いとして、合う合わないもあるし、エネルギー量にあまりに差があると、なかなか仲良くならないということもあります。

つい最近、友人だと思っていた人に、びっくりする言葉を投げかけられ、ああ、この人とはおつきあいできない、と連絡を静かに断ちました。

実はその方とは、なんとなく違和感を感じる、というのを何年も続けていたのに、表面上は大したことではないような小さなことだったので、自分が気にしすぎなのだろうか?と思っていたのです。

やはり、心の声は正しい。

このひととは合わない、このひとは私を傷つけ、利用しようとしている、そうはっきりと確信するまでは、小さな違和感として心は警告を発しています。

特に、私は感性よりも理性偏重で生きてきたせいか、「こうあるべき」「こうふるまうべき」という規範に自分を無理やり当てはめてしまうところがあります。

そうではなくて、もっと自分の心の声を聞こう。

あ、なんかおかしい、と思ったら勇気を出して距離を持とう。

そんなことに、きちんと向き合うことも、ツインとのプロセスのひとつなのではないかなと思う今日でした。




2015年10月7日水曜日

本当の自分に戻る旅



本当の自分へと帰る旅を、長い長い時間をかけて、経験してきたのだと実感しています。

17年前に彼に出会ってから、わたしの「清算」と「学び」は速度を上げてかなり過酷なペースで進みました。

いま穏やかな日々を生まれて初めて感じています。

何かになろうと焦っていたことも、このままの自分ではいけないと叱咤激励していたことも、すべて過去の話になりました。

妻とか、娘とか、そういった役割の名前に縛られる必要もないのだとようやくわかってきました。


本当の自分とは、自由で、輝く、愛に満ちた存在。


自分が愛に満ちているように、他のひとも、地球のすべてのいのちも、愛でできているのだと実感できること。

そして、本当の自分で生きるということは、ただ、目の前のことに全力を尽くす。

この地球で、できることを精一杯する。

それは、大きいことでなくてもいい。小さいことでも。

そもそも「大きい」「小さい」とは本質とは関係のないこと。



本当の自分へ帰る旅は、あなたと共に。

愛するひとに出会い、愛を知り、自分が愛で満たされる。

自分が愛でできあがっていたことを知る。

それが奇跡。

宇宙に灯したわたしたちの小さな光。

二人で持ち寄った灯りが、少しずつ大きくなっていく。

ドグマに縛られ凍っていた心と体が少しずつ温められていく。


愛しています。今日も。



2015年9月26日土曜日

起こることすべてに意味があるなら

このブログも気づけば174投稿目。

飽きもせず、昨年12月から書いています。

昔の忘れられない恋人との再会、

ツインソウルという言葉を知ったこと、

ランナーということに気づいたこと。

カルマの話、悟り、目覚め。

いま、ツインソウルと検索すれば、いろんな本当に様々なパターンのツインソウルが現れてきます。

しあわせに共に暮らしているひと、去られ慟哭するひと、独身同士で出会っていてもぶつかり合いうまくいかないことに苦悩するひと。

すべてのパターンを経験することが、きっと魂の長い旅路の理由と願い。

わたしのパターンを、こうしてシェアすることも何か意味があるのかなと、日々、500~600PVをいただいている表示を見ながら、少しずつ書いています。



わたしたちのプロセス


最近は、クンダリーニの熱情がひと段落してきて、ずっとハートが寄り添っているような感覚があります。

じんわり温かく、信頼という言葉、愛おしいという言葉が、初めてわたしは実感しています。

誰のことも信じきっていなかったし、誰のことも愛しいと思ったことがなかった自分。

表面的には友人も家族とも仲良くしていたけれど、どこか距離を置いていた。


ツインとは距離がない。

何百キロも離れているのに、ずっと寄り添っている感触。

愛しい、信じている、と完全に無防備になって思えるようになった。


これが喉のチャクラにまで寄り添うようにふたりで合わさっていったら、言葉でのコミュニケーションにも変化が訪れるのかも。

そして、これが時間をかけてゆっくりと進む、わたしたちの統合のプロセスなのかもしれないと思ったのでした。


代わりに泣きじゃくる

昨日の夕方、頭のなかに「好きだ好きだ、離れたくない」と響いてきて、わたしは家の鍵を開けるところでしたが、その間もなく、涙が溢れてきました。

こんな泣き方、たぶん子供の頃もあまりしたことがないくらい、しゃっくりあげて、わあわあと泣いてしまいました。

まるで、一歳半の子どもみたいに。


ひっくひっくとしゃっくりあげている自分を「なんで泣いているんだろう?」と見つめる冷静な自分もいました。

これも、インナーチャイルドケアなのだろうか?でもわたしのケア、もうほぼ終わったと思っていたけどな〜と、思いながら、涙の波が消えて家事をしていたところ、ツインからのメッセージが届きました。

いつもながら短いメッセージ。ですが、万感の想いを感じます。



そういえば、以前も同じことがありました。寂しさの波が押し寄せてきたときの同じ時刻にツインからのメールが入っていたことが。

今回のものも。

仕事中だし、男だし、泣けないツインの心のなかの波が、こらえきれなくなってわたしに出てきた気がしました。

ツインの代わりに泣けるなら、それもしあわせ。


ふたりでひとつの魂を。




2015年9月25日金曜日

神の掟 人間の掟

教会の前を通りかかったとき、「神の掟、人間の掟」という文字が目に飛び込んできました。

人間の掟に縛られ、自由を失ったわたしたち。

神の掟は、そんなことにはとらわれない。

日々を感じ、命を感じること。

脈打つからだが表現すること。

一番近い、わたしたちのからだは、神が作った大自然。

このからだを、あなたが抱きしめたとき、いのちの重みを初めて感じた。

あなたにとって大切なかけがえのない存在である自分に気づいた。

やっと、一つの魂が男女に分かれたという実感が湧いてきた。

ダンスをするために。

二人で踊り、いのちの喜びを感じあうために。


2015年9月22日火曜日

涙 涙の日もある

今日は、朝からひとりになるとぼたぼたっと涙が流れてきました。

じんわり切なさに包まれるからだ。

不意に出てくる涙、涙。

頭は、何も悲しいこともないし、穏やかで美しい秋の日なのに、ぼたぼたと涙が流れます。

普通、泣く時ははなも一緒に出ますが、そういうことがなくて、涙だけ。

ツインの気持ちなのかもしれないなと、じっと空を見つめました。

双子は、離れていても同じ思いでいるそうです。相方が食べているものを無性に食べたくなったり、同じテレビを見ていたり、という話を読んだところ。

きっと、魂の双子のわたしたちも、同じ思いでいるのだろうなと。

涙、ぽたぽた。

大丈夫、ひとりじゃない。

会いたくて、切なくて、思い出す手のぬくもり。

なぜ、こんなにつらい思いをするのか?

それはきっと、いつか人を励まし、なぐさめるときのため。

きっと、「あんな思いをしたからこそ、今がある」と思ういつかのため。







2015年9月20日日曜日

不思議 という言葉




ずっと共にいる感覚。

不思議だなあ。

不思議という言葉は、「不可思議」のこと。

「思っても、議論してもいけない」という仏教用語が語源となっているそうです。



なので、ツインの出会い、関わりを、思い悩むことはすべからず。

ただ、この愛にひたっていよう。



偽ツインソウル考

偽ツインソウルという言葉を最近聞きました。

「偽」ってちょっとなんだかなあ、、、な言葉だと思いますが、疑似体験というか、カルマの解消のために出会う大切なソウルメイトなのでしょうね。

思い出したのですが、ツインに出会う前に付き合っていた当時のボーイフレンドは、偽ツインソウルといえる関係性でした。

ひとめぼれはせず、なんとなく一緒にいるご縁となり、付き合っている間はケンカが絶えず、(物を投げたこともあります)別れようとすると、向こうが執着し、こっちが行くと向こうは逃げる、当時はヘトヘトになりましたし、別れられて本当によかったと思ったものです。

ただ、今思えば、あれも青春の懐かしい思い出となっています。

ケンカばかりでしたが、わたしが憧れていた世界に行くように後押しもしてくれたし、仲がいい時はお互いを励ましあって上昇しようとしていました。

今もし出会うことがあったら、「あのときは大変だったけど面白かったわ」と笑い合える気がします。

そして、誕生日が、ツインと二日違い。

見た目や、勉強好きなところもよく似ていました。

でも、全然違います。

ツインとは、引力の強さ、終わらない確信、生まれ変わってもまたあなたを見つけるという強い意志があります。


なによりも、離れていても心が温かく、満ち足りています。








2015年9月16日水曜日

エンジェルナンバー 1111

最近、1111が目に飛び込んできます。

友人を励ますメールを送った瞬間や、プロジェクトがいい方向になった!とテンションがマックスのときが11:11だったり。

シンクロニシティがどんどん増え、ふと「あ、あの人に会いそう」思った瞬間に思った人が目の前に立っていたり、こうしたいなと思っていたことが思いがけない方向から実現したりと、いわゆる「ツキ」がものすごく良くなっています。

ずっと温めていた企画も、昨日ふと友人に向かって口にしたら、やろうよ!年内に!とあっさり決まって驚き、お役所がらみのプロジェクトも、「前例はないので、、、」と言われて諦めかけていたら、突然担当の方が、「いけます、やりましょう!」とぐっと進んでしまったり。

何これ?

というくらい、いろいろなことがトントン拍子に進んでいます。

ツインとの関わりで言えば、「大好き」という気持ちが本当のコアの光なんだと受け入れ、その光を見えないように隠したりする(私の場合は、ごちゃごちゃと悩んだり抵抗する)のをやめたときに、本来の光がそのままで輝き始め、本当の人生ってこんな風に軽やかで楽しくて幸せなものなの?と呆然とするような、「いいこと」ばかりが起きるようになっています。

ツインを「大好き〜」と思うと、神様とか天使とか、見えない存在もキラキラしながら笑っている気がするのです。そして、大好き〜と天使がハグしてくれるような不思議な感覚も。

16年前のいまごろは泣いてばかりいた私。

去年の今頃も再会に喜びと同時に嵐に翻弄されていましたが、一年経つとみている景色がまったく違います。


今日も朝から、すでにツイていることが起きました。


1111、ネットで調べると、思考が現実化するという意味があるようですね。守護天使に守られている、とも。


幸せ。

ありがとうございます。

今日も、心から愛しています。







2015年9月15日火曜日

ただ好き

アセンションとか、再統合とか、難しい用語はよくわからないけれど、

今日も好き

変わらず好き

ずっと、肩の上にホログラムのあなたがいるみたいに

朝起きて、「おはよう、今朝も大好き」

何をしていても、常にあなたを思っている

眠るときは「おやすみなさい 愛しています」


許されないとか、離れたほうがいいとか、忘れられるなら忘れたいと抵抗していた気持ちがいつの間にか消えていた

ずっと右腕があなたに触れている感触がある

ずっと温かさを感じている


自分は頭がおかしくなったのかもしれないと思った日もある

でも、確かなこと

ただ好き

あなたが大好き

出会った日からずっと

あなたは私の運命

命そのもの



だからずっと

これからもずっと

ただ好き

移り行くこの世のなかで

変わらないこと











2015年9月14日月曜日

情熱の度合い

ツインとわたしは、見た目だけでなく、性格、政治的ポリシー、考え方、いろいろ対極にあります。

ですが、同じだなと思うのは、情熱の度合い。

考え方がどうあれ、その元となっているエネルギーの量と熱の温度が同じだと感じていました。

そして、自分が正しいと思う気の強さ、傲慢さの度合いも同じでした。

それが若い時のわたしたちの課題でした。

お互いは絶対に傷つけたくないという思いで、そっと扱っていても、他の人たちへの態度は、今考えると若さだけではすまされないくらい、申し訳ないものでした。

別離に意味があるならば、互いに世間の波にもまれ、結婚という最大の修行を経験して学んで、角をとってもう一度出会う。

丸くならないと互いを傷つけてしまうから。

離れているのは辛かったけれど、離れて修行したから、15年で終わったのかもしれないなと思うときもあります。

ひとりずつでする修行を終え、ふたりになることでさらに神の御心に近づくと天からGoサインが出たら、一緒になるのかもしれません。

今は、再会して、お互いがいることを確認しながら、修行の総仕上げの時期なのかもしれません。

離れていても、何年たっても、同じ情熱で求めあい、愛を失うことを恐れて離れても、またきっと求めあう。

必ず、ツインソウルはひとつになるのだと、今日は静かに確信しています。




今日も読んでくださってありがとうございます。

Camille






一緒にいないことが不自然

ふと心に聞こえてくる声

「一緒にいないことがこんなに不自然に感じるなんて」

自然に、進んでいこう。

魂が望む方向に、針路を合わせる。

少しずつしか進んでいないみたいに見えても、今、望む未来を思い描くことで、そしてそれを「人の道に外れている」とか「うまくいきっこない」といういつの間にか刷り込まれた言葉は、微笑んで傍に置いて、きっと未来はそこにある。

一緒になりたいという思いを、否定しない。

魂の叫びを、きちんと聞く。

手をつないで、微笑み合いながら、散歩しているふたりのヴィジョン。

きっと叶う。

乙女座の新月の夜、祈った言葉でした。






2015年9月13日日曜日

17年になります

今、完璧な夕日を窓から眺めながら、書いています。

9月9日、あまりにも胸が苦しく、押しつぶされるようになって、それまで、少しの間ですが封印していたメールをツインに送りました。

短いメッセージ。

翌日、届いた返事は、海外から。出張中でした。

どうやら、ダイレクトに胸が痛んだり、ツインのエネルギーを感じる時は、夜遅くか、出張の移動中のことが多いと、気づきました。

普段は仕事に夢中になっていて、ホッとしたときに、わたしを思い出していてくれる気がします。


ツインソウルのテレパシーについては、サイトやブログでよく読むものの、本当なのだろうか?とどこかで疑っていましたが、真偽がどうこうではなく、自分の心に従おうと思えるようになりました。

出会ったときと同じ気持ちのまま、来月ツインと出会って17年になります。

その間、気持ちは深まることも浅くなることもなく、忘れようとして心にかけていた扉の鍵を開き、換気をして、余計なもの(心配、恐れ、不安など)を少しずつきれいにしてきた1年。巨大な洗濯機に放り込まれたように、ボロボロになったりもしましたが、洗われて、心を曇らせていたものが少しずつクリアになってきました。


神を信じられる、わたしの人生が限りなく恩寵に満ちたものだと感じられるときが、少しずつ増えてきました。

神と共にあることを気づくのが悟り、そして悟った後、それを生きることで、少しずつ関わる人がより幸せに、自由になっていく。

そんなふうに進んでいる気がします。





2015年9月9日水曜日

一切ごまかせない


このところ、大変精神的にも外部とのやりとりも順調すぎるくらい順調で、元気一杯の日々でした。

ツインと出会えて元気になって、たくさんのシンクロニシティと新しい出会い、挑戦ができるようになりました。

このまま、会えなくなっても、再会はわたしを宇宙船の発射のように、点火してくれ、互いに噴射して空高く上がっていく、そういう貴重な出会いだったのかなと思い始めていました。

感謝して、手放すっていうこういうことなのかしら?なんて能天気に思っていました。



それが昨日あたりから、わたしの調子が悪くなりました。

恐怖心がひどくなり、普通にしていた運転が、ひどく恐ろしく感じられたり、いつもは楽しい友人との会話が少し、おっくうになったり。

今まで活動しすぎて、疲れが出たのかな?雨も続いているし、急に涼しくなったし、夏の疲れかな?なんて思っていました。

それが今朝は、まったく動けなくなり、ぐったりとしてベッドにもう一度もぐりこみました。

こんな感じは久しぶりです。

スマホを見るのも目が痛くてつらいので、じっと空を見ながら、自分の心と対話していました。

ああ、外との関係が楽しくて、じっくり自分と向き合っていなかった。

最近、何もテレパシーのようなものを感じないと思っていたけれど、その扉を開けていなかったんだ、と気づいた瞬間、イメージが流れ込んできました。



ツインも忙しいだろうし、用事もないし、メールすることもないから、と自分からの発信もしていませんでしたが、

「ごまかさないで」

と、突きつけられたのは「恐怖」でした。




メールをして、決定的に別れるといったような言葉を言われたらどうしよう。

もう一度失ってしまったらどうしよう。

その恐怖で、身動きが取れなくなっている自分を見つけました。



そして、泣き叫びながらわたしを抱きしめて、「もう別れたくない、失いたくない」と言い続けるツインの彼のヴィジョン。

胸が締め付けられる、という言葉が甘く感じられるくらいの痛み。
まるで締め上げられるようにつらい。

これは、自分一人で瞑想したり、ブログでシェアしたりということだけでは、ダメなんだ、やはりツインとこの世であっているということは、きちんとこの世のツールを使って関わらなくてはいけないんだと、わからされた瞬間でした。

それに気づいて、深呼吸した後、わたしの体のだるさは消え失せて、こうしてPCに向かえるようになっています。

あ、おかしい、と思ったら、すぐに自分と向き合うこと。

これはし続けていかないといけないみたいです。









2015年9月7日月曜日

ランナー チェイサー逆転

ツインソウルという言葉を知り、

ランナー、チェイサーという言葉を知り、

自分がランナーだったことを悟り、

再会して、もう逃げない!と宣言はしたものの

彼からはあまり連絡なくなり、

まさか、と思うけど、これって。。。

向こうがランナーになっちゃったのかも!?

「王子様は王女様を抱きしめて、仲よく暮らしましたとさ、
めでたし、めでたし」とはなりませんでした。




せっかく再会したのに!

わたしは逃げないって決めたのに!

と、天に向かって楯突いていた時、

ふっと気づきました。



再会の時は、ただ幸せだった二人ですが、

もう一度会った時、彼は、わたしを失うことを恐怖していました。

それをわたしは懸命に、「もう逃げないから」と伝えたつもりでしたが今までの人生の傷とか、隠していた感情が爆発することに、わたし自身毎日翻弄されていたように、彼もきっと通り抜けなくてはならない人生の課題に取り組んでいるのだろうなと。



それは、わたしが逃げないと言うことでは解決できない。

彼の課題なのだと。

そして、彼のことを信頼すること。

ふたりを作った天を信頼すること。




わたしはできること(外への行動)はやりました。

あとは、一番苦手なこと

「忍耐」「待つこと」「天にお任せすること」



「あんたはまだダメ」と言われているのではなくて

「そこを伸びしろとしてまだまだ取り組めるよ」と

きっと神さまが教えてくれているんだよと。



毎日、自分のできる最善のことをして、

幸せに暮らそう。

光を、小さな光でも灯すこと。

今日も読んでくださってありがとうございます。

かっこ悪いけど、ツインソウルの旅、これも真実のひとつかなと思い、書いてみました。


今日も読んでくださってありがとうございます。


Camille










2015年9月4日金曜日

人生が加速する

ツインとメールのやり取りを含む再会をして、1年が過ぎました。

あっという間でした。

昨年までの10年、暗くて、辛くて、一刻も早くあの世に行きたいと思ってばかりいた私が、やりたいことが次から次へと出てきて、仕事も来年2月から始めようと準備を進めています。

活力がツインに出会った頃(17年前)にいきなり戻ったようです。

ツインと前回過ごしたのは一年足らずですが、あの年も幸せで、輝いていて、あっという間でした。

生木を裂くような思いでツインと離れてから、もう、大人になったのだし、ああいう楽しい、幸せ!と毎日言えるような暮らしはできないのだと思っていました。

戻ってきました、あのきらめきに満ちた一年が。
いっぱい泣いたし、いっぱい笑った一年。


一年が3ヶ月くらいに感じるときって、3ヶ月しか本当に年を取っていないという説があるのですね。ちょっと実感するくらい、元気いっぱいです。

アラサーのころは、アラフォーになったら女性としては終わりだと思っていました。

全然、そんなことないですねえ。

スタイルも28歳のころ(一番良かった時代)に戻ってしまい、肌もピカピカです。



ツインと、現世での関係性は、たいして連絡も取らず、会えてもいないのですが、だからといって鬱々と落ち込みはじめると、日々が暗く地獄になっていきます。

朝起きて、ただ、空に向かって、おはよう、今日も大好きよ、とつぶやくだけで、存在を感じられるし、なによりも命の源とつながっている安心感と、喜びで元気いっぱい1日を送ることができます。

ツインと出会ってから、いいことしか起きていないなあと、しみじみ思います。

今月に入って、ますますびっくりするほどのいいこと続き。加速しています。


幸せです。

愛しています。



Camille



2015年8月31日月曜日

カルマの法則 女としての人生

カルマの法則とは、罰を与えられるということではなく、自分ひとりでは一面的にしか見えない、それゆえに、悪口を言ったり、せせら笑ったり、バカにしていたことを自分がその当事者になることで理解する、という面があると思うのですが、

先週のこと、わたしは常に「それって女みたいじゃない」と今の自分の境遇、専業主婦で仕事もない、ということを悔しく思い、卑下していることに気づきました。

ものごころついたころから、どうして自分は男じゃないんだろう、もっとバリバリ活躍したいのに、と思っていましたが、いかせんせん少し無理をするとすぐに倒れてしまう体力では、男並みに働くことはできず、「女みたいな暮らし」をせざるを得ないことに忸怩たる思いを持っていたのでした。

どうして、自分はこの体なのだろう?

細く、弱く、なよなよとして、体を使うことも鍛えることもできない。

もっと強くなりたい。

もっと働いて稼ぎたいのに。



女性らしく着飾ることを20代後半で覚えましたが、それは周りに明るい気分になってもらいたいからという、柔らかい心からではなく、単に男性ウケがよいから、でした。そしてそういうあからさまに変わる周りの変化を心の中でせせらわらっていました。単純ね、と。

わたしにとって着飾ること、化粧することは、歌舞伎の女形さんみたいに「女を演じる」という擬態のためのもので、武器で、武装でした。

心は男を捨てていない!じゃないけれど、「女」を、「女である自分」を、下に見ていました。

それに気づいたとき、過去世のいつか僧侶だったとき、「女は悟れない」「女が着飾って寺社詣でをしたところで無駄だ」といかつい容貌で話す自分の姿がパッと脳裏に浮かびました。

僧侶だった自分がバカにしていた、その「女」で生きるということがどういうことなのか。

わたしは今生、身をもって体験しているというわけなのでした。

魂に性別はなく、今はこの女としての人生を歩いている。

早く、この身を脱ぎ捨てたい、ではなく、これも神様、宇宙が作った貴重な体での体験なのかもしれない。

いろんな花に生まれ変わるように、今は、特に食用にもならない、風にふわふわと揺れているだけの花なのかもしれない。

弱者として生きる自分を俯瞰して、受け入れることができたとき、もっともっと世界を愛しく思えるのかもしれません。


そういえば、「女」として生まれて本当に良かった、と思ったのは、ツインに抱きしめられたときのことです。

それまでは「女」が嫌いなのだから、自分も当然嫌いでした。女であること、ツインと出会えたこと、それが嬉しいと思えたとき、もうひとつ、殻が取れた気がします。








色即是空

この地球

色即是空

空即是色

神のイマジネーションがこの宇宙で

すべて幻想、仮想であり、相対の世界

神自身は、絶対の境地

揺るぎない愛しかない世界

そのふたつの重なり合う場所がこの地球


地球で生きるコツのようなもの。

深刻になりすぎたら笑い飛ばし

瞑想しすぎて地に足がつかなくなったら、美味しいものを食べて生き返る

現実にがんじがらめになって息ができなくなったら、

空を見上げて祈る




ツインとは絶対の境地でつながっている

現実では離れ離れかもしれない

つながろうとする、一緒になろうとする

それは地球にいるからこそできる努力

もがいていても、魂はこの冒険に喜びを感じている



幻想であり、現実である

そのふたつに気づき、遊ぶこと

それが生きるということなのかもしれない





2015年8月28日金曜日

俗世を生きるということ

20代のころ、学歴、お金、社会的な成功、それを求めていました。

30代で結婚して、鬱状態が長く続き、それまで頼みにしていた「頭」(理性、努力)がまったく働かなくなり、地に足をつけることもできず、ふわふわとただ生きてきました。

40代になって、ふっと楽になり、そしてツインと再会しました。

それまでは、半分あの世に足を突っ込んでいたような、生きている実感のない10年。

この一年、ツインとの再会で、泣けるだけ泣き、もがき苦しんで、出会えた喜びに天にも昇る気持ちになり、

激しい執着と、絶望を繰り返しながら、ようやく落ち着いてきました。

そこでわかってきたこと。

この世で、蓮の花のように、泥(俗世)から花(真理)を咲かせるということ。

20代で出会ったツイン。

あのころは「天上の恋」だと思いました。

純粋すぎて、あまりにも透明すぎて、この世では生きることのできない恋だと。

それを、どうしても魂はこの世で実現したくて、厳しい修行の時期があったのかなと、今になると思えます。

あのころは、ガラスのように少しの衝撃でバラバラに砕け散ってしまいそうな恋だったのが

この時間を経ることで、ダイヤモンドの輝きへと、変容した気がします。


相変わらず、大して連絡も取り合わない日々ですが、気持ちはまったく変わらず、むしろ愛は純粋になっていく。

そして、わたしも俗世を花として生きていこうと、思えるようになりました。

そう決めると、どんどんと仲間が増え、自分の得意なことが発展させられそうな気配。

人生という冒険が始まろうとしています。

ツインと出会って、本当の人生が始まる。

あなたもそうだといいな。

今日も愛してます。


Camille





2015年8月27日木曜日

ささやかな自由意志

「もっとこうして欲しいのに」

「もっとこうだったらいいのに」

苦しくなる。



「おはよう、今朝も大好きだよ〜」と祈れば、幸せな気持ちに。

これがささやかな自由意志。

自分の人生、容姿、才能、家や育ちまで決めてからこの世に生まれてくるといいますが、たぶん真実なのでしょうが、今は決めたときのことは思い出せない。

思い出せないからこそ、今、自由意志として、日々の気持ちを選ぶ。

明るく、澄み切った空のように。

今日も大好き。

ありがとう。







2015年8月25日火曜日

ソースに触れる

ソース、二度づけしたらしたらアカンやつ、、、ではなくて、命の源、ソース。

なんとなく頭がすっきりしないので、家事の合間に映画を見て、印象的な一言に出会いました。恋人を失ったある人の、

「彼女を失ったことで、インスピレーションの源を失くした」

というような意味の言葉。

インスピレーションに満ちた人生、自由な魂の羽ばたき。

そういうものをわたしはずっと求めていました。

人生ってこんなもんじゃないはずだ、とずっともがいていました。

こんなもんじゃない、けれど何を望んでいるのかわからない。

だから、もっといい生活、もっと華やかな社交、もっともっと。

手に入れたら満ち足りるのではないかと。

そんなものに、夢はないのだとわかったとき、すべてに絶望して立ち尽くしたとき、ツインと再会しました。

そして、わたしは満ちたりました。


何も欲しくないし、何かに乗り遅れているのではないかという意味不明な焦りから解放されました。

すべてを内包する、命の源。

わたしたちを生んだ、すべての源。

ツインに出会えたことで、ソースに出会った。

このまま導かれるまま、生きていこう。

ソースを信頼して、自分の運命を愛する。

まずは、一番みじかな自然、わたしの体、を愛する。

わたしの体が嫌い、それは神の作った創造物を嫌うと同じことでした。


わたしも私を愛しています。ツインを愛するのと同じように。







2015年8月17日月曜日

ツインへの愛は自分への愛

よーく自分を観察していると、ツインとの関係が苦しい、やめたいと、もがくときというのは、「普通、付き合うと言ったらこういうことだから」「いまの状態では、付き合っているとはいえない」「きっとこれからも一緒にはなれない」「だったらきっぱり別れたほうがいい」という思考になり、恋愛という形が整わないことに、苛立ちと焦りを感じて、もういい!もうやめる!と思うようになり、

そして、そう決めた途端に、

地に足がつかないような、ふわふわとした感覚になり、どうしたら早く死ねるだろうか、この世は生きているだけで地獄だ、ということばがぐるぐると回り、何かをかぶったようにもやもやとして何も考えられなくなり、意欲もなくなる。



そこで、もう一度自分に問いかける。

「愛してないの?」

もちろん、愛していますとも。出会ってから、もうすぐ17年。

愛していないときなど一瞬たりともなかったし、これからもない。

飯田史彦さんのツインソウル、に書いてありましたが、魂の罪、つまりツインソウルと出会いながら愛を交歓しないことは、魂への罪であると。それがようやくわかってきた気がします。



ツインへの愛をやめようと思った途端に、自分への愛も遮断され、愛なくして生きていくことはできないことを思い知らされます。


ツインを愛することは、自分を愛すること。

あなたに出会うために生まれてきた、と本気で思うならば、

つまり、ツインのために、この自分は存在する。

たとえ、形は整わなくても、わたしが、彼に元気で、健康で、活躍して、才能を生かし切ってほしいと望むように、自分自身も大切にし、尊重して、ツインが隣にいて気遣ってくれるようにわたし自身を扱おうと。

ツインの宝物を、管理しているのが自分というように、思えば、投げやりになったり、暴飲暴食したり、心身を痛めつけたりできなくなります。



今日も愛しています。

ありがとう。


Camille


2015年8月10日月曜日

一緒になりたいという願いと

ツインと一緒になりたい、と願うことと

ツインと一緒になれなければ幸せになれない、と思うこと



このふたつって似ているようで全然ちがう!ということに今、気づきました。

願いと、執着の違い、なかなかわかりませんでしたが、いまちょっとわかりかけているかも。



中途半端な投稿ですみません。


でも忘れないうちに、書いておきたかったので。

暑いけれど、元気でお過ごしくださいね。

読んでくださっていつもありがとうございます。


Camille 

2015年8月9日日曜日

色を失うときもある

ふっと絶望にまたとらわれるときもあります。

このまま、逢うこともままならないまま人生が終わるなら、早く死にたい。

早くあちらであなたを待っていたい。

世界は色を失い、一度ポジに反転して極彩色に彩られた天国のようなこの世が、ふたたびネガに転じて、色を、香りを失う。

急速に死へと向かおうとする自分を感じる。



そういう瞬間も、抵抗しない。

今感じている感触を感じきる。

脱力して、あちらに向かおうとする自分も、そのままにしてみる。


そうすると、川のちょっとした淵で泳いでいるみたいに、ふんわりと体が軽くなり、温かい命の流れを感じ始める。

ふっと笑いが戻る。

ああ、生きてる。

あなたを愛しているということだけが確かなことだと、また思える。



こういうこともすべて、いいとか悪いとかはなく、ただ感じたことを書くこと。

それが、わたしのすること、なのかもしれないと思い始めました。

道徳も善悪もなく。

そのままの自分を愛して。





2015年8月5日水曜日

気長に考える

女性の恋愛は10代の頃から、かなり短く期間を区切った考えになるのかもしれません。


高校卒業、わたしの場合は進学のために故郷を離れたので、その当時付き合っていた彼とはどうするか、さらに卒業のあとはどうするか、海外へ行くことや、仕事への取り組み、そして出産の計画も含めた結婚、と、とにかくめまぐるしく、2、3年ごとに環境や考え方が変わるような20年でした。

男性は、それほどでもないのかもしれません。卒業したら、就職する。定年まで働く。その間に結婚して子育てして、ということはありますが。

40代になっての、ツインとの再会は、なにも急ぐ必要がないのだなと、ふと思いました。

20代で出会ったときには、わたしも結婚や将来を考えなくてはいけなかったし、こんな付き合いを続けたら心が壊れてしまいそうだと思っていました。

でも、今は、切れることのない絆を、しっかりと感じているし、少しくらい会えない時が続いても、ゆったりと構えていようと。

若い頃に続いていたら、あなたの子どもが欲しい、結婚したいと泣きわめいていたでしょうし、(まあ今ならそれもありだと思うのですが)今だからこそ、お互いしかいらないような純粋な関係となっていくのだと思います。

世間に教育(洗脳ともいう)されてきたような、27歳で結婚、32歳までに二人子どもを産んで、幸せなママ、というものを追い求め、そういったタイムリミットをうまくクリアして、人生すごろくを上がっていけば幸せなのかと思っていました。

でもそうではなかった。



ツインが、たとえ物理的には離れていたとしても、あなたの存在が人生にあること。

それが本当の幸せ。

さあ、今日もわたしの人生を生きます。




2015年8月1日土曜日

理想と現実


たぶん、一番苦しいと思うのは、「大好き」だから「一緒にいたい」でも「一緒にいられない」という理想と現実のギャップ。

そういうときは、まず感情の「大好き」に浸ります。

「だから一緒にいたい」というのは自然な流れのようでいて、どこかで「一緒にいるべき」という外部からの情報が入り込んでいるような気がするのです。

大好きに浸ると、ほんわかと幸せ。力が湧いてきます。

この現実をなんとかしたい、ともがき出すと、かさかさと砂漠のように純粋な愛が乾いていってしまう。

今は、大好きに浸り、そして、祈りを書き出し、それは忘れて、日々目の前に登場する方と人生を楽しみながら学ぶ。

その先に、何があるかはわからない!ともがくのは、「頭」が道筋を求めているからかもしれません。

道筋は、天にお任せなのです。

ただ、現在地と、理想地点、それしかわたしたちにはない。

そのささやかな二つの地点を、明確にすること。それが自由意志というものなのかもしれません。




天の配剤ならば

どうして、ツインが結婚した直後にわたしたちは出会ったのだろう?

どうして、近づこうとすると近づけないような仕事の配置になったのだろう?

どうして、こんなに遠い街に住んでいるのだろう?



そういうことを考え出すと、ぐるぐると八方塞がりになります。

八方塞がりになったら、深く穴を掘るか、天を見上げるしかしようがない。

深く自分を見つめ、それから天を見上げて、答えを求めました。

強烈に会いたい、一緒になりたいという想いが、起爆剤となって、これからふたりの人生の燃料になっていくのだと言われた気がしました。

純粋な愛となって、それでもこの現世を生きて行くということ。

何度もロミオとジュリエットか、近松門左衛門の心中ものか、と思い出すほど、死へと向かおうとする心。

それは、もう前世で経験済み。

今世は生き抜いて、困難な愛でも貫きたいと、それがわたしの魂の願いなのではないかと。

この現世には、倫理があり、法律があり、世間の目があり、非難される、駆逐されるという恐怖を植えつけられて生きています。

もっと、人は自由なのだと。
愛は自由なのだと、それを現世で現実にするのだと。


ささやかなふたりの愛でも、大切に育てていきたい。そう思えるようになりました。

というか、思わないと、倫理に力を奪われて、近いうちに死んでしまいそうなのです。死んだって構わないとずっと思っていたけれど、まだ生き抜きたいと魂は力強く脈を打っています。



ツインとの再会から1年。驚くほど生命力を取り戻したわたしでした。




2015年7月17日金曜日

「当たり前だ」というアファーメーション

自慢ではなく、これはどうしてもシェアしたい話です。

わたしは今、ドイツ製の高級車に乗っています。

エルメスのバッグを持っています。

そういえば、と思い出したのですが、20代後半の頃、「40歳になったら、ポルシェに乗ってエルメスのバーキンを持つ」と決めていたのです。

働いてもいないし、買う予定もなかったのですが、それが手に入っていました。それは「そうなって当たり前」となぜか意識に入っていたからだと気付きました。

以前も書きましたが、夫となる人の条件を何十項目も書いて、夫はすべて合致していました。

つまり、本当に願いは叶ったのです。

ですが、本題はここから。

逆に、願っていなくても「でもわたしはそういうのが当然だ」と思っていたことも叶っています。

「結婚してもすぐに飽きられてセックスレスになる」

「本当の意味では、ありのままの自分では、愛されない」

「からだが弱いから、子どもは産めない」(これは小学校の時に刷り込まれました)

どこかで、おそらくどうでもいい情報を読んで、それを自分に刷り込んでしまったことが「現実」となっているのです。

「そうなって当たり前だ」ポジティブでもネガティブでも、引き寄せの法則とか思いは実現化するとか、本当になってしまうんだと。


それに気づいて、ツインと会えない日についついネガティブになってしまいそうな時は、自分が本当に何を望むのかもう一度問いかけます。

「ツインとずっと恋をしていたい」

「離れている間に、愛が深まっていく。いつか一緒になるんだから今は遠距離を楽しむわ」

「ツインと結ばれた今、これからが本当の人生のスタートだ」

「心は醸成した40代、顔と身体は28歳」

かわいいですよね、自分が愛しくて仕方なくなります。

ツインソウルはこの人生ではうまくいかないとか、そういう情報を得て、無意識にアファーメーションしてしまわないよう、気をつけます。






自分本位 自分軸

うつ状態に苦しんでいた時、「普通がいいという病」という本を読んだことがあります。そこで印象的だったのが、夏目漱石が留学し西洋とのギャップにうつ状態になり回復した時「自分本位」ということばをつかんだという文でした。

わたしは、ずっと子どもの頃から、外に基準を置いていました。社会、学校、親、先生、自分よりも「よく知っている」ひとに判断をあずけるのが良いことなのだと洗脳されていました。

今は、何も怖いものはないのは、この人生はわたしの魂の旅だと強く思えるようになったからです。

今世では何十年か早く生まれた「先輩」でも、前世ではわたしのほうが師匠だったのかもしれない。

何年か前の「常識」がものすごいスピードで変わっていく。

残されているのは、

自分の心の声に、従うということ。

「こうするべきだったんじゃないだろうか」と行動やことばをくよくよと悩むということは「こうすべき」基準がありそれに自分は合わなかったのではないかという裁判をずっと心の中でしているようなもの。

問題は「こうすべき」と思われている基準はあやふやで、論理性も良心もなく、「皆そうしているから」といった理由だったりする点です。

ツインとの再会で、久しぶりに恋愛モードの自分になり、高揚感とその次にやってくるのはお定まりの、「自分なんて愛されないに決まっている」という自己卑下。

恋愛マニュアルを読んで、自分はやっぱりもう年だし、かわいくないし、と自分を否定し、ツインソウルブログを読んで、わたしたちはツインソウルじゃないんじゃないか、うまく行かないなんて偽のツインソウルというやつじゃないだろうか、と自分に覆いをかけるようなことをしてしまう。

まだ毎日のようにそういう暗闇にとらわれることもありますが、それから気づくのは、わたしは光り輝く魂であるということ、その輝きを増すために生きているということ。

自分の魂の声を聞き、自分の存在が愛と光であることを知る。

それ以上の喜びはないのかもしれないと思うのです。



2015年7月10日金曜日

プリズム

ひとりひとり

ひとつひとつの命が

神のプリズム

生まれてくる光は神から放たれ

この世は色と光に満たされる

あなたは、かけがえのない存在

あなたを通してしか生まれない光がある

あなたの存在がこの世にもうひとつ色を加える

生きていてくれてありがとう



2015年7月9日木曜日

愛の波動でいること

愛の波動でいること

それをふと忘れるとき、

ツインソウルなんて幻かも

どうせわたしのことなんていらないんでしょう

始めれば終わりが来るに決まっている

年を取っていくわたしに愛想をつかすに決まってる

という暗い思考にはまっていきます。




そうではなくて、

空が青いのが見えること

しっとりとした雨に恵みを感じること

食事が作れて美味しく食べられる

着る服がある

なによりも、ツインに出会うという奇跡に

感謝と愛の波動でいたら

ツインと連絡が取れているとか取れていないとか

未来の不安とか過去の後悔

そういうものもほんとにどうでもいいと思えます。


今、ここにいること

息ができて、満ち足りていること

愛しかないとわかること

それこそがわたしにとっては、ツインソウルに出会って気づいた奇跡


何よりも誰よりも、愛の波動でいるとわたし自身が幸せなのです。

地球でたったひとりでも、愛と幸せを感じることができる人間がひとり今、増えた。

神様、ありがとうございます。


2015年7月8日水曜日

ツインから

昨日の絶望感はなんだったのでしょうか。。。

あっさりツインから、元気なメール。

この一ヶ月、悶々と悩んでいた自分がかわいくて笑ってしまいます。



気づいたこと。


わたしはわたしで自分で勝手に幸せでいればいいんです。

学んで、仕事して、日々感謝してキラキラ生きていればいい。

自分を大切にして、ツインへの愛に満たされて、幸せを感じていればいい。

相手の機嫌を取ろうとするとか、相手の事情をおもんばかろうとしすぎると、身動き取れなくなってしまって、罪悪感とか「どうせ思い込みだったんだ」とか、魔が入り込んできます。

愛と光に満ちていること。

それだけで、いいのかもしれません。



2015年7月7日火曜日

責めたくなったら

因果の法則、

自分がしたことは、されることで学ぶ



実は、ツインが一ヶ月連絡をくれないのです。

忙しいのかな?とじっと待っていましたが、こない。



そこで湧き上がってくる思い

「あなたはまたわたしを失うの?」

「愛より仕事を選ぶの?」

「あなたは魂の声を聞かないの?」

そして、それは自分への言葉であることの、すぐに気づきました。




かつて、わたしは仕事、野心、世間体、

それを愛よりも優先した。

あなたを置き去りにした。

あなたをひとりぼっちにしてしまった。

自分から湧き上がることばは、16年前のわたしへの叱責。




それに気づいたときに、涙が溢れました。

「ごめん、ごめんね、ひとりにして」

まだ未熟者なので、これに気づいたから、連絡くるかな?と期待をしたりして。


それは、神様にお任せの領域です。

もう二度と会えなくても、わたしの魂はあなたを愛し続ける。

なにがあっても、何も起こらなくても。


それが、すべてはひとつ、の顕れなのでしょう。



落ち着いてきて

最近は、すっかり落ち着いてきました。

ツインをネット上で15年ぶりに見つけて、感情の激流にもみくちゃにされ始めたのが昨年の7月。

毎日のように、何時間も泣いて、書かずにはいられなくて、ノートに書きなぐるように自分の感情を吐き出していました。

久しぶりに再会したのが秋のこと。

そのあとの後悔、(自分への)怒り、整理のつかない感情にランナーという言葉を知り、ブログを始め、自分を知ろうと日々過ごしてきました。

現在のところ、体調は絶好調、鬱々と過ごしていた、1年前とはまるで別人のように生き生きと毎日を楽しんでいます。

泣くことも少なくなりました。
夫との関係も、意外なことに共通の目標のプロジェクトがスタートして良好です。



心がけているのは、「今ここ」にいること。

変わらず、ツインへの愛はありますが、嵐が過ぎ去って南の国の暖かくて穏やかな海のように、凪いでいます。

今朝は、あまりに落ち着いてしまったので、「これって、もう終わったのかな?ツインどうこうという話は幻で、一つの恋が復活して、消えて、わたしは蘇った気がするけど、彼との関わりは役目を終えたのだろうか?」と静かに感謝しようとしていた途端、

目の前を走ってきた車のナンバーは、ツインの誕生日。

ご丁寧にクラクションまで鳴らされてしまい、思わず苦笑してしまいました。

勝手に終わらせないで、と言われている気がして。



今日も静かに愛しています。

落ち着いてしまって、更新は少なくなったこのブログ、それでも毎日500PVくらい頂いて、ありがたいことです。

読んでくださってありがとうございます。

すべての皆様に素晴らしいことが天からの光のごとく降り注ぎます。
この世は愛と恩寵に満ちています。

感謝を込めて。


Camille

2015年7月3日金曜日

離れている間に

ツインと離れている間に、心がけていること

出会う人の、魂の来歴に思いを馳せながら、優しく接すること

温かい言葉、励まし、素晴らしいね、と伝えること

そして

自分の体と心のケア

ツインと出会ってから

「あなたひとりの体じゃないんだから」

昭和のドラマで妊婦さんに伝えるような言葉を自分に言うようになった




わたしの体は、わたしひとりの体じゃない

わたしが神様から頂いた(お借りした)ものであり、

同時に、一番見つめてくれるツインのものでもある



自分を宝物のように大切に扱うようになった。

わたしは、ツインにとっての、人生の宝物、贈り物、恩寵。


誰かのために生きるということが

こんなに幸せに満ちたことだなんて

知らなかった。


ありがとう。

愛しています 今日も。



自分軸を取り戻す

いつの間にかわたしたちは、

社会の

親の

周りの友人たちの

「意見」「意向」「空気」

を読んで行動するように刷り込まれて

自分軸を見失って

なんとなく世間でいう「幸せ」を手に入れようとして

手に入れても満足できなくて

満足できない自分を欲張りだと責めて

人生ってこういうものなのかと

薄暗い絶望をとぼとぼと生きる。




それを、恋はばーんとぶっこわす

閃光のように目をくらまして

自分と相手との関わりが

突然濃厚に

意味をもたらす。



あなたに出会うために生きてきた。

あなたに寄り添い生きていく

それが取り戻した「自分軸」の望みだから

誰に批判されようと

石を投げつけられようと怖くない

自分はこうやって生きる

それ以外に、人生はない、と。

2015年6月26日金曜日

愛を生きる

ツインとの再会から、もうすぐ一年が経とうとしています。

状況は何も変わっていませんが、

わたしの内面の変化はものすごいものがありました。


いま、取り組んでいること。

毎日、目の前にいる人に、笑顔と温かい言葉をかける

常に、上機嫌に振舞う

悩み事を持つ人には、とことん話を聞き、味方だよと伝える




これに取り組み始めたとき、一つ不安なことがありました。

収入もわずかしかないし、体力もたいしてないけれど、続けられるでしょうか?

そこへのメッセージ

「あなたが人のためにと尽くすとき、すべてのリソース(お金、体力、時間)は与えられています」

このメッセージを信じて、やり始めました。

そして、「人に心から喜ばれる」という体験をさせてもらったとき、

わたしの中にくすぶっていた、現世への恨みや辛いという気持ちが消えていったのを感じました。



生きるということ、

愛するということ、

ツインに出会って、本当の愛を知り、わたしは愛を生きられるようになりました。


ありがとう、愛しい人。

愛しています、今日も。







2015年6月15日月曜日

インナーチャイルドケアかも

昨日の夜のこと。

眠る前のぼんやりとした時間に、ふっと瞑想状態になりました。

やせっぽっちの小さな子が、道に寂しそうに座っていました。

見覚えのある顔。

わたしが小さい時、熱を出した時によく出てきた、やせっぽちで背中の曲がった少年でした。

なんて久しぶり。

子どもの頃、熱にうなされると必ず同じ夢を見ていました。

痩せぎすで、背中が曲がっていて、大きな目をして、じっと笑うようにしてわたしを見ていて、怖くて怖くて、汗びっしょりになって目を覚ましたものでした。

その少年を見つめると、寂しそうに見つめて返してきました。

「一緒にお風呂に入ろう」

露天風呂のようなところに、二人で入り、お湯をかけあっこしていると、ツインもお風呂に入ってきました。わたしを抱きしめてキスをして、三人でくつろぐヴィジョン。

そうか、すべて同じではないかもしれないけれど、この少年の象徴するインナーチャイルドをふたりで共有しているのかもしれない。

さびしさ、

ひとりぼっち、

心細さ、

自分は仲間はずれなのではないかという恐れ

三人でお風呂でくつろぐうちに、顔色の悪かった少年も笑顔を取り戻し、バラ色のほっぺになってきました。

過去は癒せる

未来は変えられる

そんなことを思った夜でした。


2015年6月8日月曜日

心の周波数

20代の頃、読みあさっていたのは

「思考は現実化する」ナポレオンヒル

「原因と結果の法則」ジェームズアレン

など、引き寄せの法則のような本ばかりでした。

そこで、リストアップすることを知り、結婚したい相手のことを何十項目もリストアップしました。年齢は4つ上、事業を起こしている、身長は175センチ以上、などなど。

夫に出会った時、そのリストのことは忘れていましたが、のちのち読み返すとすべての項目をクリアしていて、なるほど、これは確かに結果が出ると思ったものでした。

ただし、わたしは大事な項目を書いていませんでした。

わたしをありのまま愛してくれる人、
ずっと愛しあえる人、
優しい愛情表現をしてくれる人

本当は、それを何より望んでいたのに、リストに入っていなかったためにもちろん夫はそれは持ち合わせていない人間でした。


そこで、リストアップの方法には、行き詰まりを感じます。

今も、人間の認知、予想、言語化にはかなり制約を感じていて、何を望んだらいいのか、自由意志という言葉をうまく咀嚼できない日々でした。

それが、今日ふとひらめきがありました。

今までの経験に基づいたリストアップももちろんしてみてもいいだろう

でも、もっと大切なのは、心の周波数はどこに合っているか、なのではないか。

わたしは、結婚相手をリストアップする時、「早くしなければ年を取ってしまう」「相手がいなくなる」という欠乏、不足の周波数に合わせていました。



それよりも、「この世は愛に満ちて豊かである」「楽しくて美しい場所である」「天国に住んでいるみたい」という周波数、「豊穣、芳醇、潤沢」(この言葉は師匠から教えてもらいました)に合わせて、その上で、自分がワクワクすることを行動し、これがやりたい、経験したいとリストアップしていく時、神と人とのダンスのような自由意志と、天国とのコラボレーションが起こるような気がします。

わたしも、まだこれを実践していくところなので、まだまだですが、とりあえずは読んでくださっている皆様とシェアしたい気分になりました。

今日も読んでくださってありがとうございます。

恵みの雨が降り注ぐすばらしい国に住んで、美しい日本語でこうしてコミュニケーションを取れることに感謝しています。


Camille

2015年6月7日日曜日

自分を愛するということ

今のままの自分でいい

臆病で、ときどき逃げたくなる自分でいい

苛立って、すべてを呪いたくなる時もある

それでもいい

そのままでいい

ぜんぶ、自分だから

そのまま受け止めるよ

大好きだよ

心は晴れたり、曇ったり、雷雨になったり

それでもいい

今のままの自分でいい

大好きだよ

未熟? やきもち? 後悔?

それでもいいよ

そのままで大好きだよ

========

1日に何度も唱える、自分への呪文です。

ツインも同じ魂ならば、きっと同じなのです。

自分を深くありのままで愛するということはツインへの愛にもなる。

愛しています。


2015年6月6日土曜日

霊能よりも大切なこと



子どもの頃から、祖母は信心深いところがあり、通常の檀家としても供養を大切にしてました。

が、ときおり家族のいろいろなもめごとを、拝み屋さんのような霊能者の方に見ていただくことがありました。

思春期の頃から、そういった霊能者の方、突然霊能が開いた方、スピリチュアルに生きたくて無理をしててでも霊能を開こうとしている方を間近に見てきました。

祖母が、先祖がこういう人だということを全部当ててもらった!と話すのを聞いて、「知っていることを教えてもらってもしょうがないんじゃないのかな」と少し冷めた目で見ていたところもあり、お布施の額やら、お守りやら、、、高額なのはもちろんのこと、一律の値段というのもなんだか妙に落ち着かない気持ちがしていました。

周りの「信者」に崇められ始めると、偉い人のような振る舞いをしてしまうのが人間ですし、どんどん、相が曇っていくのが、敏感な子どもであるわたしには見えて、そういう人や道場は黒い雲がたちこめているようなひどく恐ろしい場所でした。一度、「家が寒いのですけど、ここにカーテンとドアをつけてもいいでしょうか」という相談をされている方を聞いて、通常でも出来る範囲の判断を、すべてゆだねるといういびつな精神になってしまう方を見ていました。


また別の時は、スピリチュアルな世界に関わっておられる方が、ご自身は霊能は開かないのを気に病んで、かなり無理矢理第三の目を開こうとしたりされたという話を間近に聞いて、それもひどく禍々しいものに感じました。

スピリチュアルも、エコブームにも感じるのですが、自分の方がよりものを知っている、「上だ」と思うことは、相対の世界の罠にどっぷりとはまっていることになります。霊能がないから自分は下だと思うことも。

今は、神から与えられた肉体で、表現し尽くせぬ思いを、それでもなんとか伝え合って、愛し合うことしか、できない。

そんな短い一生ですが、それでいいのだなと思うようになりました。

たいしたことはできないかもしれない。

一歩一歩、歩んでいくしかない。

無力で、非力で、

自分と、せいぜいツインしか愛することはできないかもしれない。



でも、神様はこんなに素晴らしい肉体と、世界を与えてくださり、そこで遊ぶことを許されているのがわたしたちなのだと。

昔、聖書で読んだ「小さきものにしたことは、わたしにしたことである」という神様のお言葉、わたしは「小さきもの」を社会的弱者のようなかわいそうな人、だと思っていたのですが、それはもしかしたら「自分」なのかもしれないと気づきました。

まずは自分を愛し、大切にしよう。

何もできない存在かもしれないけど。

でも今、この瞬間、とてつもなく愛されているのだと。






直感は神の領域

ふとしたことで、この言葉を知りました。

「直感は神の領域」

あの日、初めて出会い、目が合った瞬間に「この人知ってる わたしの相方だ」と思ったことはまさに直感というしかなく、それ以降、理性は「なぜこんなことを思うんだろう?」と不思議で、勘違いかも、のぼせているのかも、愛されるはずがないと否定し続けてきた15年でした。

再会して、もう一度瞳を見つめあって、やっぱりこの人だったんだ、、、と深く思いました。

あの日、神様が落としてくれた直感を信じることができないくらいわたしのエゴはガチガチの鎧でした。

15年かけて、やっとその鎧を脱ぎ捨てて、素のままの自分になって、その直感を受け止めることができました。

この愛が、わたしの存在理由。生まれてきた理由。

それまでの人生がすべて出会うための長い助走だったのだとようやくわかったのです。

もし、一年でも遅く、早く生まれていたら、もし、あの年にあの場所に行かなければ出会わなかった。

それまでの不本意なこと(大学を落ちたこととか、就職場所が違うところだったら、とか)もすべて、この出会いのためだったのだとわかりました。

もちろん心は移ろいやすいもので、ときには不安に振れて、絶望の波に飲み込まれるような気がするときもあります。逃げたほうが楽なのではないかとまた思ってしまうときもあります。

それでも、やり残したことを完遂するために何度も生まれ変わるならば、わたしはこの出会いから逃げてはいけないのだと、何度でも自分に言い聞かせて。今日も、不安の渦の下に、確かに愛があることを見つめています。



今日も、天使の光が降り注ぐようなすてきな1日になりそうです。

読んでくださってありがとうございます。

愛を込めて

Camille






2015年6月5日金曜日

オーラソーマ

友人に教えてもらったサイトで、オーラソーマの誕生日ボトルというのを知り、やってみました。

ほうほう、、、と思える内容で、何の気なしに、ツインの誕生日も入れてみたところ、同じボトルが出てきました。

ひゃー!と驚いたのですが、よく読むと数秘術(誕生日の数字を足していくもの)のナンバーが同じなので、同じ結果なのでした。

でも、ちょっとしたシンクロ。

嬉しい。


オーラソーマは、数年前にも遊びでネットで選んだことがあったのですが、今回自分が選んだものはまったく以前とは違っていて、それにも驚きでした。

本当に、わたしは変わったんだなあと思うひとときでした。

今のテーマは、自分の感性を信じて発信すること、肉体を愛してケアすること。



梅雨空となってきましたが、これも天の恵み。

体を持っているわたしたちが大地と天に生かされているんだなあと実感しています。

読んでくださってありがとうございます。
今日も1日幸せにお過ごしくださいね。

愛を込めて

Camille


2015年6月4日木曜日

エンジェルナンバー

今まであまり興味なかったのですが、エンジェルナンバーを検索してみました。

興味がなかったのは、「人は1日何十回となく、数字が目に入っているけれど、自分はこの数字に縁がある、と無意識でも思っているとその数字ばかりを見ているような気になる」という、つまりは錯覚であるという文章を以前読んだからでした。

ですが、今回、ふとつらい気持ちになったときに、ぐいっと目の前に押し出されるようにして「2222」の数字が目に入ってきました。

これは、素直に調べてみよう。

ネットで検索したところ、「すべてはうまくいっている。信じて奇跡を待ってください」という言葉が。

大丈夫よ、と天が微笑んでくれたような気がして、柔らかい気持ちになりました。


2という数字は、ツインののことのようで、ツインツインツインツインと連呼されているような気分です。

ほっと笑ってまた今日も、1日をありがたく過ごします。

読んでくださるみなさまにも、天からの光が降り注いでいるのを、感じています。


ありがとうございます。

Camille





2015年5月31日日曜日

ありがとうございます 10万PV

このブログを開設して半年が過ぎました。

ブログの管理画面には日々のPVが表示されるのですが、昨日、ブログを始めてからのPVが10万を越えていました。

PVは世間的な比較をするようなものでもないのですが、そもそもツインソウルというジャンル(?)がさほど知られているとは言えない中では、わたしには重みのある数字となりました。

つたない文章を読んでくださった皆様に感謝です。

多くの方がツインソウルとの別離に苦しみ、なにかヒントをと探してくださっているのかもしれないと思うと、切ない気持ちでいっぱいになります。

と、同時に、少しでも楽になっていただけたらという思いを胸に、書き綴ってきました。

わたし自身、ツインへの封印した思いが15年ぶりにあふれ、どうしても書かずにはいられず半年の間自分の心を見つめ続けてきました。

半身を引きちぎるような別離をした自分自身への懺悔、ツインへの懺悔の気持ち。

失っていた感情、情熱、生きることの喜びを取り戻したこと。

周りの誰にも理解されない思いを、ネットで共有できる時代であること。

いろいろと思いがよぎります。




ツインと再び連絡を取り合ってもうすぐ1年が経とうとしています。

とても早かった、そしてとても生き生きとして、世界が色を取り戻したような一年でした。

物理的には離れていますが、ともに生きていることを実感し、感謝しています。


読んでくださっている皆様にも感謝を込めて。



Camille








2015年5月27日水曜日

やりとりを通じて

ツインとのメッセージのやりとり

忙しそうだったので、遠慮して返事のいらない報告メールをここのところ一週間に一度くらい出してました。

既読機能って便利ですね〜
すぐに読んでくれるけど、返事はなし。

そろそろ寂しくなってきたので、仕事がらみの話と、元気にしてる?と送ると、その日のうちに返してくれました。

短いやりとりをしてほんわか嬉しくなりながら、ツインソウルという言葉で、肉体を持つ三次元の存在としてのやりとりを雑にしてはいけないなと、思ったりしてました。

仕事に忙しい男性なら、負担にならないくらいのやりとり、相手が返しやすいボールを投げる、ということ。

いわば人間関係としての、普通の気遣いなのですが、ついつい、つながりが深い間柄だと思ってしまうと、なんでもわかってよ!と要求しがちなところがわたしにはありますので。


別離があったり、言葉に出さないとわからなかったりといういわば「めんどくさい」この世で愛を感じる、表現するというチャレンジをしているのがわたしたち。

だから、神様はひとり神からビッグバンを通じて分離して、ありとあらゆる存在に分かれてみて、悲しみや苦しみも作り上げて、愛の喜びを知りたいと思ったのでしょうね。

ひとつでいたわたしたちの魂が、どんなに美しくて輝く存在かを知るために、ふたつの身体に分かれて、生まれて育って、生きて、巡り合って、離れて、そして再会して。

このシンフォニーのようなドラマを、心から楽しんでいる魂と、その御祖である神様。

今日もとっても幸せです。

読んでくださってありがとうございます。


2015年5月26日火曜日

自己無価値観

根強い自己無価値観が、久しぶりにむくむくと湧き上がってきて、しばし格闘の時間を過ごしました。

ランナーとなった最大の原因は、この自己無価値観、

「自分なんて愛されるはずがない」

だったのですが、

もちろん、前世からの影響もありますが、前世から持ちこした課題は今生に現れて取り組む問題となっていると思うのです。

私の場合は、母親でした。

最近になってようやく、「わたしが子どもの頃、お母さんはいつもガミガミ怒っていたよね」と話すようになったのですが、当の母は「まったく覚えがない、あんたはいい子だったしあんたを怒った覚えはない」というのです。

下に二人いるきょうだいは、素直に言うことを聞く子たちではなかったのでしつけて怒っていたけどね、と。(きょうだいたちは怒られたことは覚えはない、と笑ってました)

つまり、子ども心には、きょうだいを怒る声はすべて聞こえますし、それが自分と他人という観念が未分化の状態で聞くと、悪いことをしていないのに怒られている、と受け止めたようなのです。



悪いことをしたら怒られる

悪いことをしていなくても怒られる(=きょうだいへの言葉も自分へのものと受け入れる)



絶対的な存在である母が、わたしが悪いことをしていなくても怒っているということは、「わたしという存在自体」への怒りなのだと理解してしまったようなのです。

わたしは何をしても自信がなく、受け入れられないだろうという恐怖を持って生きてきました。




もうひとつ、親戚がよく「あのおばちゃんによく似ているね」という伯母がいるのですが、母はその方のことを「あんなブスに似てるって言うなんて」と怒っていました。(折り合いが悪かったのでしょう)


子どもには大人の意見は絶対ですから、大好きな親戚のおばちゃんたちが言う言葉も、母の言う言葉も正しい、と思うものです。そこで「わたしはものすごく醜いのだ」と強烈にインプットされました。


さらに、もうひとつ、父のことは大好きでしたが、父は「ママが一番大切なんだよ」と言った日のことをよく覚えています。わたしはその日、初めて絶望という言葉を知ったのだと思います。

おおげさなようですが、子どもの心に、初めての人間関係である親との関係はほぼ100パーセントの影響を持ちますし、大好きな父は母を最も大切にし、母はわたしの存在を否定する。

わたしはそこで心を開ける場所を失いました。

誰にも心を見せられなくなりました。


今、こうして書き連ねていくと、自分にとっては大事件の3つの事柄も、母も若くて未熟で精一杯だったのだろうし、虐待とかそういうレベルの話でもないのです。


ですが、わたしの心の傷は大人にしてみたら何気ないところから生まれ、傷つけ、自分を縛り、行動を縛り、運命を歪めていきました。


ツインに出会うということは、そういった心の傷も全部あらわにして、自分たちが純粋な魂で、何をしてもどんな姿でも許し合い、愛しあえるという世界が突然現れるということで、わたしはそんなことが可能なのだろうかとまず疑いました。きっとこの人も、本当のわたしを知ったら、怒り出すだろう、と。

そして既婚者を愛するなんて、さらに存在を否定されるほどの罪だと。

そしてわたしは、ランナーとなりました。

いい子、でいつづけるために。

心を隠して生きるために。












2015年5月20日水曜日

執着しきってやる

執着しきってやる

来年でも

来世でもいい

ぜったい、ツインの嫁になってやるからな

覚えとけ!

くらいの勢いで、(宇宙に)ツインに執着することを宣言した途端、

憑き物が落ちたような爽快感。

なんだか体が軽い。

とっても幸せ。

自分が大好き。

ツインも大好き。

世界が美しい。キラキラしてる。



あれでしょうかね、

サイドブレーキを引いた状態でアクセル踏んでもギリギリと車が壊れそうな音で進んでしまうのと同じ?

執着しきってやるという宣言が、サイドブレーキを外したのでしょうか。

ともかく楽になりました。


ランナーになってよかったと思う日もある

なぜ、あの時離れてしまったんだろう、と後悔の涙にくれる日もあれば、

ランナーになってよかった、と思う日もあります。

20代のころわたしは

人の痛みに気づかない

言葉遣いは乱暴で

冷たくて

頑固で

傲慢で

潔癖で

すぐに人を嫌いになったり

レッテル張りをしたり

自分が偉いと思っていたり

そんなことばかりしていました。



あのまま、一緒になる道があったとしても、きっとツインもろとも、傷つけあってズタボロになっていただろうなと思うのです。

真っ暗闇をもがいた30代があったからこそ、今、どれだけ人と関わるということが尊いことか、その重みとありがたさがわかります。

長くて辛い旅でしたが、ずっと見える存在(家族や友人)にも見えない存在(守護天使や守護霊さま)に守られ、ツインとの再会、つまり自分の本当の魂との再会の日がやってきたのだと思うのです。


今日も深く愛に満たされてます。


ありがとうございます。



2015年5月19日火曜日

執着について 3

執着するのをやめよう

というのが、まやかしだったと気付けてよかった。

ランナー気質が手を替え品を替えやってきたことに、気付けてよかった。

あっぶないところだった。



自分の感覚を否定する。

自分の魂の叫びを否定する。



あんたはまだ学んでない。

あんたは修行が足りない。

執着するなんて、まだ悟ってない。

あんたみたいなダメなやつ、愛されるはずがない。


物心ついてからずっと、つきまとっていた灰色の自分への「お告げ」

自分はどうしようもない人間だという刷り込み。

まったく違う姿で、まるで神の啓示のようなふりをしてまたつきまとわれるところだった。



わたしは、最高の存在。

みんなと同じように、魂は神様から分かれた、何も欠けるところのない完璧な存在。

愛され守られている。


2015年5月18日月曜日

執着について 2

ツインへの執着。

魂がひとつに戻ろうとする力を、ツインに強烈な引力として感じるならば、それは宇宙の始原の力と同じで、ビッグバンを人の力で止められないのと同様に、人の力(自制心や理性)で抑えきれるものではない。

それを、近づいてはならない、この人を欲しいと思ってはならない、お互いに結婚しているから。と理性で片付けようとして、それで「執着しているのは波動が低いから」と自分をレッテル貼りして、無理矢理諦めようと、いわば「執着」をすり替えのロジックに使っていたのかもしれません。

あ、これもランナー気質かもしれないです。




近づきすぎて、うまくいかなくなったら?

一緒になっても互いの死で、引き離されてしまったら?

その恐怖も、まだ根強く、それを避けるために、「執着」ということばを利用している自分がいるのかもしれない。



だーいすき。

キスしたい。

声が聞きたい。

できることなら24時間一緒にいたい。



今すぐには叶わないことが、ギャップとして苦しい。

それはわかるけど、その苦しさを「執着を捨てよう」という言葉でごまかしたくない。

ものすごい引力を感じた、その波に乗りたい。










ツインへの執着と諦め

執着


精神世界のことを勉強して、執着は捨てよう、というようなことを学びました。

でも、苦しいんです。

ツインへの執着を捨てることができなくて、苦しくて、自分を責めてしまう。

一緒にいたい、逢いたい、もう二度と離れたくない。

でも、こんなふうに執着するって波動が低いのかしら、自分は手放せないから、サレンダーしたとはいえず、だからこんなに離れていることが苦しいのかしら。


で、ハッと気付きました。

「執着を捨てる」ということに執着している自分に。



諦め、とは明らかに見る。ということ。

ツインに執着している自分を、「あきらめる」

執着しきってる自分を、許して、その執着に身を任せる。



いいんです、執着してて。

それが、自分とツインの幸せだから。

魂だけで生きているわけじゃない、肉体を持って生きて、出会った私たちは、肉体に執着したっていい。

いいじゃん。

それがわたしにとって自然なことだから。



12年前のことば

ツインの彼が、12年前にくれた言葉。

3年会っていなかったとき、久しぶりのメール。

仕事がやりがいがあって楽しい、ということが書いてあった。

わたしは舞い上がり、飛んで会いに行きたかった。

でも来たメールのどこにも、会いたいとは書いてなかった。

だから、会いに行くのはやめよう、と思った。

会いたいとは書いてない。

わたし一人で盛り上がっているだけかもしれない。

それにもう一度会ったら、絶対に気持ちを抑えられなくなる。

「お元気そうで、とても嬉しい」と返事を出した。

覚えていてくれて嬉しかった。

まったく変わらない自分の気持ちにも気づいた。

でも、会ってはいけない。傷つくだけ。

わたしは、飛んで行こうとする魂を無理やり封じ込めた。



わたしは。

あなたの言葉を聞いていたのだろうか?

世間の恋愛のマニュアルのような話を信じて、あなたの言葉の本当の意味を知ろうとしなかったのではないだろうか。



それにやっと気づいた。12年も経って気づいた。

あれが精一杯の、愛の表現だったと。



そして、今回の再会には、「また会おう」と返事をくれた。

ありがとう。

進歩したよね、お互い。

少しずつ素直になってきたよね、お互い。

まだまだかかるかもしれないけど、それでも。







2015年5月14日木曜日

腕の中の君

最近見たヴィジョン。

見上げている、わたし。

笑顔で、甘えているわたしは輝くようで、それを抱きしめている腕。

「なにこれ?」と思ったのですが、それはツインの目から見たわたしのようでした。

愛しくて、可愛くてしかたなくて、抱きしめて、腕の中で雨のようにキスをして。

あの日のわたしの笑顔を彼から見たらこうだったと思える不思議なヴィジョンでした。

わたしは、ツインに愛されていることを確信してから、自分が大好きになりました。

今までずっと、自分が嫌いで、不完全で、美しくもない、もっと頑張らなければいけないと思い込んでいたのが嘘のよう。

そのままの自分は、輝いていました。


2015年5月13日水曜日

びっくりして学んだこと

人生って思いがけない事が起きるものですね。

土曜日のこと、車を一人で運転中に、側道から入ってきた車に衝突されるという事故にあいました。

詳しい状況はさておき、車は破損激しくすぐに修理工場に入れられて、わたしは病院にて検査。

外傷もなく、軽い打ち身レベルで済んだのは不幸中の幸いでした。

状況からわたしは被害者という立場になったのですが、ものすごい勢いで噴出してきたのは、罪悪感、自責の念でした。

「あの道を通らなければよかった」(ひとつ前の交差点を曲がっても目的地に行けたのに、直感に従わなかったからこんな目にあったのではないか)

「もしもう少し相手をよく見ていたら避けられたかもしれない」

「夫の車を傷つけて申し訳ない」

「ツインソウルという言葉にかこつけて、不倫をしようとしている自分に天罰が下ったのかしら」

「大殺界なのに浮かれてドライブしたからかしら」

「そもそも運転なんてしなければよかったのに」

と、自分を否定する、自分に責任があるかのように責める、という言葉があとからあとから溢れ出しました。それが突き詰めていってしまうと、

「そもそも、自分が生きていなければよかったのに」

と、自分の存在すら否定する想念に、取り憑かれそうになりました。



今朝四時半に目が覚めて、そういうときは、神様とのお話タイム。

「罪も罰もないってわかっているよね」

「あなたは神の子だってわかっているよね。みんなと同じ神の子」

「どっちに向くかは自由だよ。でも絶対に守られているってわかっていてね」



自由意志というのは、どっちに向くか、という顔を向ける方向を決められるということ。

片方は、先方を恨んで、ずっと後遺症に苦しめられて、保険会社からは嘘だろうと疑われて、病院ではやっかいな患者としてレッテルを貼られて、自分は生きている価値なんかないと思う未来。



もう一方は、車があんなに損傷したのは、わたしを守ってくれたからね、ありがとう。

怪我もなく、打ち身くらいで済んだのは、本当にラッキーだわ。

ご先祖様、天使の皆様に守られたことに心から感謝します。

ご先方も保険に入っているきちんとした大人でよかった。

警察の方も、自己現場近くの皆様もとても親切にしてくださった。

びっくりすることは起きたけど、家族の絆は深まった。

そして、愛と感謝で生きると決めた自分の生き方を貫けることがなによりもありがたい。と思う未来。


もちろん選ぶのは後者です。それが自由意志の使い方なのだと今ならわかります。




そして大きな学び。

わたしの、自責の念、自己無価値観、そういうものは、光をあてると白いシーツだったとわかる幽霊の幻のようなものでした。

ただ、光を当てればいいのだと。

まだ心に巣食っていた、暗い部分、それはツインとの関係でも現れていて、「やっぱりわたしなんて必要ないでしょ」と思いたがる癖がなかなか取れなかったのです。

ツインのことを、情熱的にくるときもあれば、不意に心のドアを閉めて冷たく振舞うこともある、それはどうしてなんだろう?とずっと思っていましたが、すべての人間関係と同じ、「鏡」であることを思えば、愛されていることを信じられるときと、信じることができなくなって、不意に心を閉ざす時が自分にもまだあるということを示してくれていたのでした。

そして、確信。

「わたしの存在は、神の御意志である」

「神が造られたわたしたちツイン、それは神の御意志である」と。


いのちというものをどうしても尊重しきれなかった、いのちが輝くことに罪悪感を持ち続けていたわたしに、素晴らしい学びとなったのでした。


「わたしは悪い子だから、神様に愛されているはずがない」という思いが消えました。


一気に学びが来てくれたこと、先方さまにも、わたしの家族にもこの出来事は必要だったのだと思えます。それが四次元の因果というもので、ぽんと出て、学び終わればもうそれでおしまい。



そんなことに気づいて、ほっと幸せな気分になった朝、ピンポーンとインターフォンがなってご近所さんが家の前にいらっしゃいました。

「庭で咲いたから」と手にされていたのはピンクの薔薇。

まるで天使からの「はい、お見舞い」というメッセージつきのプレゼントのように朝日に輝いていて、さらに心には微笑みが広がりました。







2015年5月8日金曜日

ククリヒメ


イザナギとイザナミ

ふたりは黄泉平坂で、別れてしまうわけですが、再会は果たさなかったのかな?と調べていたら、「ククリヒメ」がふたりの会話を取り持ち、イザナギはそれを聞いて褒めて去った、という神話が。

何を話したかの内容は神話にはないのですが、そこでふたりを取り持ったことで「ククリ」すなわち縁結びの神様にもなったとのこと。

なぜ、それが気になったのだろう?と思っていたら、ククリヒメは白山信仰の祭神であり、巫女の女神とも信仰されるとwikiに書いてありました。

だからか、、、と腑に落ちました。

今月末、祖母の一周忌で、北陸のとある町にでかけます。

そこから見えるのは、霊山、白山。

本当に美しくていつ見ても心が震える御山です。

どうしても白山にご挨拶に行かねばならないという思いを感じているのは、なにかわたしの小さな頭ではわからないけれど、エネルギーの循環のようなものなのかもしれません。

ツインとの再会から初めてのご挨拶で、感謝を申し上げたいと思っています。

あんまりこういうことを書くと、ツインソウルとの再会で覚醒しました的な、いかにも、にわか霊能者っぽくて、嫌なのですけどね、、、




そういえば、子どものころ、絶対になりたくない職業は「霊能者」と「政治家の女房」でした。

そもそも、絶対になりたくないって、なれないものには想像すらしませんよね、医者とか弁護士とか。なれるけど、なりたくないと心のどこかで思っていたということでしょうか。

そして政治家の女房。

ツインからは、いずれ政治家を目指すとはっきり言われちゃいました。


あーあ。

これもまた運命。









ありがとうって思えた

モラハラ夫への怒りでブチ切れそうになっていたのが、昨年の夏から冬にかけて。

ずっと押し殺していた自分自身がツインソウルとの再会で殻を破って出てきた時、それまで我慢し続けてきた感情が爆発しました。

といっても、夫に直接復讐するのではなくて、わたしはわたしの人生を生きるんだと決めて、説明しながら自分のしたいことを少しずつ始めてきました。

それまでは、「ああ!?」と関西のチンピラみたいな返答だった夫が、いつの間にかとっても穏やかに話を聞いてくれるようになっていましたし、それまでは休日にわたし一人が出かけるということはあり得ませんでしたが、それもいつの間にか普通にできるようになっていました。

丹田に力をいれる、「腹ができる」、というような感覚があって、そうなると夫を含め怖いものがなくなっていき、新しいことに挑戦するだけの力がみなぎってきました。

これもツインとの再会のおかげです。



そして、このところ立て続けに、夫の悪口というか批判を、わたしの友人から聞くことがあり、そのとき猛然と反発している自分を発見しました。

「そりゃあ、問題は多々ある人だけれど、あなたに指摘される覚えはない」

「こういう美点だってあるのよ」

と。

そんな自分の変化にもびっくりしています。

以前は夫は夫なりに愛してくれていたんだろうなとも思おうとして、できなくて、怒りを押し殺していましたが、それを解放したことで、夫へのこだわりもまたいつの間にかなくなり、むしろかばいたくなるほどのかわいさを感じるようになっていました。

よく頑張ってきたよね、結婚してすぐに心身ともにどん底になったわたしと日々暮らさなくてはならなくて、責任感じてなんとか自分の態度を改めて、必死で稼いできてくれたんだね、としみじみありがたいと思えるようになってきました。

未熟な二人がろくに結婚の意味もわからず暮らし始め、ぶつかりあって、それでもなんとか学び続けてきた同志。そういう姿に、ようやく見えてきました。



怒りを解放しないまま、離婚してツインのもとに走っていても同じことを起こしていたかもしれません。「夫」という役割への期待、欲がわたしにあったのも事実、夫も「妻」像への幻想があったのでしょう。幻想をとっぱらって、ありのままの姿でお互いを見たとき、この9年を頑張ってきたふたりがいました。






「契約」ではないふたり

誰かと恋人になるときは、「付き合おう」と言ったり、「別れよう」と言って初めと終わりがあった。


今の結婚を始めるときは、「これだけの経済力がある」「家事ができる」という合意があって始まった。

同意
合意
契約。


不信を基にした関係性だったのだと、今になってわかる。

「裏切ったら契約違反、違約金が発生する場合が有ります」

誓いという名の、契約。
人の気持ちはうつろうものだから。

ツインソウルは、何もかも吹っ飛ばす。

魂は、浮世の決まり、うつろいゆくものを縛りつけようとする契約関係なんてどうでもいい。

「わたしはあなたの魂の伴侶だ」と宣言する。

始まりも終わりもない。

出会った瞬間、ずっと知っていて、会うたびに、初めてのデートのようにどきどきする。それがツインというかけがえのない存在。



それに気づいたのは、最近友人が恋愛関係を終わらせたという話から。

「旅行に行った後、2週間も連絡ないの。激務だってわかっているけど、メール一本よこさないなんて、バカにしてる。だから別れた」


メールが2週間こないから、別れるんだ!?別れられるんだ?

という驚き。

それで別れられるくらいの関係なんだ、と。確かに自分の以前の恋愛を思い出せばそんなもんでした。

ツインソウルと出会って、17年。今でも出会った日と同じようにときめいて、大好きで、ずっと変わらない。



こうした日々の小さな気づきはわたしをどんどん自由にする。

魂のままに生きていこう。








2015年5月7日木曜日

人ってこんなもんじゃない

ずっと子どもの頃から、大人に対して、社会に対して抱いていた怒り。

「人ってこんなもんじゃないはず」

「こんなふうに、機械みたいに扱われていい存在じゃないはず」

要は、学校が大嫌いで、組織というものの意味がわからなくて、会社に入ってからも、9時から5時までは座ってろ、という決まりの意味がわからない、という全くの社会不適合者でした。

自分で言うのもなんですが、仕事はできたんですよ。深夜まで仕事をするのも面白くてたまりませんでしたし、稼ぐのはとても上手でした。

でも、ずっと抱いていた怒り。

「人はもっともっと輝く素晴らしい存在なのだ」

社会のルール、道徳、規範、前例主義、そういうものがたまらなく嫌いでした。

でも、30代になって、自分が間違っているのだろうか?大人として生きるってこういうものなのだろうか?と世間的に見たら「良い」結婚をして、すぐに鬱状態になって、逃げ出す気力もなく、暗闇の30代を過ごしました。

今また、ツインソウルと出会って、自分を覆っていたカビ臭い甲冑がバラバラに壊れていくのを感じて、訳がわからなくて、泣いて、のたうちまわっての10カ月でした。

やっと、自分が知らないうちに身につけていて、振りほどきたいと思っていた古い縛りからとけて、自由な魂が歩き出そうとしている感覚があります。



2015年5月1日金曜日

イザナギとイザナミ


イザナギとイザナミ

なんかずっと気になっていました。

wikiを読んだだけですが、イザナギは天地開闢のとき神代七代の最後に、イザナミとともに生まれた。とあります。

イザナギはイザナミの兄であり夫である。

イザナギとイザナミってツインで、夫婦なんだ。

私たちの国ってツインソウルが産んだ国ともとれる。

世界の他の天地創造の神話を見ても、男女神が作ったというのはあまりないみたいです。


ふーん。なんだか幸せな気持ちです。







もう逃げないよ

ランナーとなって逃げて、15年。

前回の記事は、漠然としていたと思うので、もう少し具体的に書こうと思います。


ふっと、ツインの彼に連絡をして、すぐに以前の通りにメールし合うようになって、出会って、時間なんて経っていないかのようにひとときを過ごしました。

二度目に出会ったときのこと、なぜか別れ際になって不意によそよそしく振舞うツイン。

どうしたのかな?と思いながらも「出会った日と変わらない、ずっと大好き。今日も大好き」と言ったわたしに、「君の気持ちも変わっていくよ。(自分は)年を取っていくし」と辛そうにツインは言いました。

そんな弱気な発言と、つらそうな彼の表情を初めて見ました。

胸を突かれる思いでした。

非常に男らしくて、いつも快活で強気で、驚いた顔や楽しくて仕方ないと言った顔しか見たことがなかったので、その初めて見る本音の表情をどう受け止めたらいいのか、理解できませんでした。

しばらく(2ヶ月くらい)考えて、ようやくわかりました。

一つの事実を、わたしは受け入れなくてはいけないことを。

それは、わたしは彼にとって、かけがえのない存在であるということ。

それを私は100%受け入れてはいなかった。

自分にとって唯一で絶対の存在である彼。

でも彼にとって自分は、きっと代わりのきく存在なのではないかと、どこかで疑いの気持ちを持っており、それを逃げる免罪符にしようとしていました。

「失ったら生きていけない」それは私の叫びでもあり、彼の叫びでもありました。

それを認めた時、「もう逃げない」と静かに確信することができました。

ランナーは自分の気持ちにいっぱいいっぱいで、自然災害に反射的に逃げるように感情の激流から逃げようとします。相手の気持ちに気づくのは、少し落ち着いてからかもしれません。チェイサーの心にまで思いが及ぶのは時間差があるかもしれません。(わたしは15年以上かかりました、、、)

一人にしてごめんね。なんてひどいことをしてしまったんだろう。

そしてあなたは何度でもわたしを許してくれるんだね。

ありがとう。

もう逃げないよ。






2015年4月28日火曜日

もう逃げない?

コメント欄でのご質問があったので、少しさらに整理して考えてみました。

「もう逃げない?」

自分に何度も問いかけました。

ツインソウルは人生の後半に出会うことが多いと、どこかで読ませていただきました。それは幸せなのかもしれないと思います。

私たちが出会ったばかりの20代半ば。人生には選択肢がたくさんあり、未来にはたくさんの出会いが待っているように思っていました。

若さゆえに恋の経験もわずかしかなく、ツインに惹かれる思いがどれほどのものなのか、まったく理解していませんでした。

ツインから逃げた後、いろんな夢を叶えて、一方でたくさんの夢に敗れて、それでも生きてきて、今生で本気で経験したいと思っていたことはすべてやり尽くすことができました。苦悩からスピリチュアルな勉強もしましたし、自分を愛するということを少しずつ学びました。

「やり尽くした。もう生きる理由もなくなった」

そこまでやり尽くせたのは、幸運に恵まれていたからと言えます。モラハラ夫でしたが、結果的には、物質的な面での夢を叶えてくれたという側面もあります。

「さあ、終わった。おウチに帰ろうか」と今生の旅を振り返って、立ち上がって、パンパンとスカートをはたいて、振り向いたら、ツインが待っていた、というのがわたしの心象風景です。

「やり尽くした?おかえり」と抱きしめてくれました。

この世でのわたしの居場所は、彼の腕の中でした。おウチ、はお空かと思って、死を選ぼうとしていたわたしの前に彼はもう一度現れてくれました。

この世のあらゆる(行きたかった)場所に行って、自分の居場所を探し続けてきましたが、どこにもありませんでした。どこも素晴らしい場所でしたが、自分の「ホーム」と感じられる場所は、実家も婚家も含め、ありませんでした。

そういう旅をしてきたからこそ、ツインの腕の中から、「もう逃げない」とわかるのかもしれません。

わたしが人生で求めていた真実。悟りとか、覚醒。それを、社会的宗教的にはもっともあってはならないはずの、男女の形のなかに身を委ねた時、自分が求めていたこの世での三昧の心境にいることに気づきました。

ツインソウルに出会うということは、ブッダのような覚醒をカップルにもたらすということで、それは宇宙の計画、神のお計らいなのだと、信じられるようになりました。

神の啓示を聞いて立ち上がった、キリスト教の聖人のように、最初は信じられない、自分が狂ったのかと思う、やがて受け入れ、それを生きる、それが自分の運命なのだと。




2015年4月27日月曜日

性について その2

ずっと以前のことになりますが、「雲に乗る」という本宮ひろ志さんの漫画を読んだことがあります。ご存知の方も多いと思うのですが、青年劇画というのか、エッチなシーンがてんこもりなのですが、人間として生まれ、佛界に戦いながら進んでいくという、どうしてこんな物語が描けるのか本当に不思議になるような、ダイナミックなお話です。

その中で、神々の性についての会話があり、「人間は、体を密着させなくては達しないけれど、その上の神になると手が触れただけで達することができる。さらに上級の神になると、目と目があっただけで達する」といったようなことを知恵のある老女がいうシーンがありました。(細かいところは曖昧ですがこのような意味のことだったように記憶しています)

結局、その話を聞いた女神は、人間の大きさに体を縮めて、体と体で交わってみたい、と経験をするのですが、10年以上前に読んだきりのこのお話を唐突に思い出したのは、ツインソウルに再会してからというもの、実際に自分が経験したことのないほどの快感と達する感覚が何も(体に物理的な刺激を)していないのに、感じてしまうという体験があって、今まで自分だと思っていた「肉体」「精神」がもっともっと大きなものなのではないかと、確信するまでになったからでした。

それまではニューエイジ系の本を読んで、「私たちの中にも神はいる」とか「すべてはひとつ」と、理解してはいても、肉体の反応が、精神を超越するというまでのことはありませんでした。

ツインソウルに出会うと、普段は閉じられている(のか、意識にのぼらない)天上との回路が一気に開かれて、悟りとか覚醒というレベルにいきなり持っていかれるので、それはなかなか至高でもあり、同時につまらなくても穏やかな社会生活を営もうとする私にはハードな体験でした。

ですが、法律や常識が生まれるはるか以前からのこの「性」のエネルギーは、「生」であり「聖」であり、きっと「清」でもあると、ようやく思えるようになってきました。

子供の頃から植えつけられる、性の回避、隠匿、揶揄、力として使うという誤った認識を、ツインソウルに出会ったらすべて掘り起こして、消去して、本来のいのちの輝きとはそんなものじゃない!と、神々の訴えを地上に伝えるのが、大事なお役目の一つなのかもしれないなあと。

こんなことを考えていると、ツインに会って抱きしめて、キスしまくりたい、と幸せな妄想にひたっております。



性について

ツインソウルという言葉に出会ったのは、9ヶ月前。

とてつもない「性エネルギー」の高まりを、昔大好きだった人とネット上で再会してやりとりを始めたときに、体験したからでした。

「性」と「生」が同じ音のように、性はわたしたちのからだを生み出し、いのちをつなげてきたエネルギーそのもの。

それを、隠匿するべきもの、と封印したり、金銭のやりとりに使ってきたのが今までの時代とするならば、これからは、このエネルギーこそが、魂の本来の姿を取り戻すためのパワーになるのではないかと思うのです。

私自身、初めての体験をした19歳の頃から、それはボーイフレンドを支配する力として使っていた気がします。特に喜びを感じるためではなく、盛りのついた男の子を思うように支配するための道具として、寂しさを紛らわすツールとして使っていた面がいなめません。

だから常に罪悪感がありました。親に隠れてこんないけないことをしている、というような思い。誰と経験しても、後ろめたさがつきまといました。

16年前のこと、初めてツインに抱きしめられたとき、恐ろしいほどの力で、体の扉がばーんとあいて、身体中でツインを受け入れようとしている自分に、心底驚きました。

まるで意思を持たないはずの内臓が開いて、ぱっくりと彼をそのまま飲み込もうとでもしているような感覚。

「こんなことは絶対に許されないことなのに」と既婚者であるツインとの交わりは、必死で自制しました。ですが、心と体はなんのためらいもなくツインのものになろうとしていました。

あのとき、もしも交わっていたら、きっと子どもができていただろうと思うほど、強力な力を感じました。

それ以降、誰にも感じませんでした。恋心も、快感も。プラスチックのように冷たい私の体を、結婚してすぐに夫は拒否しました。

去年再会した時のこと。ツインにごく自然に抱きしめあってキスを交わした時、「ああ、やっぱりこの人だったんだ」と深く思いました。

わたしがこの世に生まれたのは、この人に出会い愛し合うためだったのだと。

世間的に見たら、一番してはいけないことを、しようとしている自分、罪を犯そうとしている自分を、そんなものは関係ないとばかりに魂はスパークします。

一番純粋に、性が美しく、本来の輝きを取り戻すのが、世間的にはとんでもない関係。ふと、では常識とか法律ってなんなんだろうか?と思ってしまいます。


2015年4月23日木曜日

祈りのことば

神様に上手にお願いする方法、とか、引き寄せの法則という本を読みあさっていた時期があります。

共通していたのは「あたかもすでに叶ったかのように感謝すること」が、思考を現実のものにするということ。

そこで、虫が良すぎるくらいの祈りの言葉を今日、書いていました。



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出会わせていただき、ありがとうございます。

再会させていただき、ありがとうございます。

すばらしい会話と愛に満ちた抱擁を経験させていただき、ありがとうございます。

二人で生きていけることに感謝いたします。

互いの元家族、実家、友人たちとも円満に楽しく付き合えることに感謝いたします。

毎日互いをいたわり合い、喜びの交歓ができること、愛し合えることに感謝いたします。

互いの夢を応援しあい、励ましあい、共に前に進めることに感謝いたします。

経済的にも豊かで満たされ、周りにもたっぷりと分け与えることができることに感謝いたします。

互いの才能が開花し、心身ともに健康な日々を送れますこと、心から感謝いたします。

これが本当の神が結び給う、真の結婚だと、日々感謝しております。


ありがとうございます。


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つまり、「ツインと結ばれますように」と祈れば祈るほど、「結ばれていない」という現実が現れるということなのかな?とふと思い、祈りの言葉を完了形にしてみました。

また、叶えたいことができたら追加していくつもりです。





2015年4月18日土曜日

あなたの目の中に

会えない寂しさに泣く

なぜ手を離したの?と責める。
(自分から逃げたくせに)

「ずっと好きだったと言うなら、どうして離れ離れになってしまったんだ?」と思うツインの気持ちも伝わって来る。

イライラして他人にまで当たりそうになる 

そして、嵐が静まると

出会えた奇跡に深い喜びを感じる

感謝する



これが、毎日のように繰り返す、私の気持ちの動きです。

ぐるぐる同じところを回っているような気もしますが、精神的な成長は、螺旋階段のようなものと20年以上前に読んだ本に書いてあった通り、昨日はあらたな心の動きがありました。



それは、感動

それは魂を同じくするものがもうひとりこの世にいて、巡りあっているということ

嘘みたいだ

国籍も年齢も性別も取り払い、魂のままでいられる相手

タガが外れたように恋に落ちて、無我夢中で求めてしまう相手


相手の眼の中に自分が映る。

互いしか見えなくなってしまう。

けれど、狭くなってしまった気がしていた視野からは、自分の魂が見える。

そこから宇宙が透けて見える。

すべてへの悟り、慈しみ、愛、光、そういう賢者たちが追い求めたすべてが互いの目の中にある。








2015年4月17日金曜日

今朝の夢 

夢を見た

北海道かどこかの、原野の中の素敵なホテル

皆で集まって、温泉の話や、土産物の話をしている。

通路に座る私
椅子に座るあなた
あなたの隣にはきれいな奥さん
幼い息子さん

すぐ隣にご家族がいるのに、平気で私だけに話して、私の腕にずっと触れている。

夢の中なのに、体温が伝わって来る。

まばたきもせず、まっすぐ私を見つめ続けるあなたに、私の母が気づく。

どうしようもないのね。

母はつぶやく。

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こんな夢を見ても、心が乱れることなく、思ったよりも、冷静な自分がいました。

彼は家庭という簡単には下ろせない責任を背負っているのだなあと。

経済的なこともあり、私自身、すぐに離婚できるわけではない。

仕事をしなくてはと焦っていましたが、それは、その方向を向いて、焦らずに、今自分がいる場所でベストを尽くそう、と。








2015年4月14日火曜日

内なる光

今朝の夢。

図書館のようなところにいる夢でしたが、はっきりと言葉が頭に残って目が覚めました。

「クエーカー教徒」

起きて、wikiで調べたところ、キリスト教の会派(?)のような団体らしく、

「内なる光」

という言葉が、目に飛び込んできました。

私も、道徳や、社会的常識や、恋愛マニュアルや、幸福論ではなく、内なる光に導かれて生きていきたい。

そんな気がした、穏やかな朝でした。


2015年4月13日月曜日

守護霊 守護天使 ガーディアンスピリット

何かを本気で願うと、守護霊とか、ガイドするスピリットが、がらりと変わると聞いたことがあります。

ひとつのことを今、始めようとしているのですが、本気でそのプロになろうと決めた瞬間から、守ってくれる「おかげさま」(お蔭さま)の軍団が変わった気がしました。スキルや気配りが格段にアップするのです。


そして、今日、ツインとの関係性についてぐずぐずと3時間ほど泣いた後(いまだによくもまあこれだけ泣けるものだと思えますが)、何度か眠っては直感を得て、ノートに書き記すことを繰り返しました。

その中でも、「さあ、これをブログに書いて」と言われた気がしたのは、これからは、ガイドスピリットにお任せしよう、ということ。

なんでも相談して、頼ろうと感じたのでした。

踏ん張って、頑張って、努力して、苦行をせねばと思い込みそうやって生きてきました。でももうそれは終わり。

なんでもお任せして、「幸せの方向を向いて進む」と決める。そして頼る。キラキラと輝く、喜びの翼が生えてきた気がしています。


<追記>
そういえば、ツインの近況を知った時、16年前と同じように一目惚れ(というにはあまりにも激しい)状態になった時、叫ぶようにしてお願いしたのでした。「もう一度、やり直したい、神様お願い、あの晩からもう一度やり直させてください!」と。そしてあっさりと数ヶ月後にその願いは叶い、あの晩(最初で最後、抱きしめられた時)と同じ状況となりました。そして今、ランナーとなった自分を思い出すような同じ状況になっています。そんなときに、今日のメッセージが降りてきたのでした。






2015年4月7日火曜日

触れ合った手と手が

ツインソウルと触れ合うと、肌がとろけるよう、とかどちらが自分か相手かわからなくなるという書かれているブログを読んだことがあります。

私は、再会して抱きしめられたとき、彼が無臭だったのに驚きました。

男性には特有の匂いがあるものだし、特に1日が終わった後のこと、いい年でもありますしきっと匂いが気になるだろうなあと覚悟していたのですが、拍子抜けするほど「無臭」

かなり敏感なたちで、人のシャンプーの残り香でも気分が悪くなることも多い私ですが、まったく何も匂いませんでした。

そして、手をつないでいるときに感じたのは、肌の乾き具合とか、弾力が瓜二つ。人の湿った手が苦手だと思ってしまうこともあるのですが、まったくそんなことがなく、それも不思議な感覚でした。


そして今日、用事で出かけながらぼんやりとバスに揺られて、ツインのことを思っていました。

ふっと手を重ねた時、ツインの手が自分に触れている気がしてびっくりして、自分の手を見つめてしまいました。もちろんそこには自分の手しかありません。ですが、手が温かくなっていて、いとおしむように何度も手をつなぎ、指にキスをしてくれたツインの感触がリアルに蘇りました。

男性の手ですから、自分よりは厚いし、力も強いのですが、ツインに触れられているみたいで気持ちよくて、ずっと自分の手をさすってしまいます。

赤ちゃんが、指しゃぶりを覚えたみたいで恥ずかしいのですが、、、

もちろんクンダリーニは絶好調。

きっとこのエネルギーが、イザナギとイザナミが国を造った時のように、地球にいのちをもたらす気がしています。

ツインの子供が欲しかったなあと思うこともあるのですが、きっと触れ合い、スパークするエネルギーは、もっと微細で精妙な何か、光というかエネルギーを産んでいる気がします。

いや、私たちが生むというよりも、私たちを作った宇宙の原初の熱と光が、二人の触れ合いで、よみがえっているような気がします。




2015年4月6日月曜日

自分の人生を生きる

何があっても自分の人生を生きよう。

静かにそう思えるようになってきました。

今、この時を、自分の周りの人たちと語り合って笑いあって励ましあって、そしてたくさんの楽しいことを共有して生きていきたい。

そう思えた時、今までバラバラの要素でまとまりのなかった人生が急に磁石によって描かれる絵のように、ひとつのかたちを見せようとしています。

ツインと一緒になれないなら死んだほうがマシだ、とまで思い詰める激情も、ようやく少し落ち着き、魂のレベルではつながっている二人の絆をしっかりと感じています。

互いにしたいこと、見たい景色があり、それを語り合おうと決めてきた人生だから今まで別々に生きざるを得なかったけれど、離れているのはとてつもなくつらかったけれど、決して離れることはない、双子の魂。

時々、浮かんでくるヴィジョンは、天上で二人は柔らかなベッドの上でいちゃつきながら映画を見ていて、その中では想いあっているのに切なくすれ違い、悲しみと絶望と、再会の喜びと、また離れ離れに生きている苦しみを味わっている「今の私たち」を、「ああいうときもあったわね」なのか「こういう切ない恋物語もいいよね」と過去なのか未来なのかわからないけれど、見物している、というものがあります。

私たちは、現実という虚構でお芝居をしているように思えるときがあります。

ツインソウルに出会って、目のくらむような喜びと、叩きつけられるような絶望を感じておられる方は、きっとネットに何か答えなりヒントなりを探しておられるのだろうと思います。(わたしもそうでした)

自分の人生、自分のツインソウルとの出会い、そこで体験すること、学ぶことは、本当に自分だけのかけがえのない人生の輝きそのものなのだと思います。

昨年の7月から12月あたりまでは、毎日のように何時間も号泣していましたが、このブログを書き始めて、ずいぶんと今までのこと、これからのことがクリアになってきました。

毎日のPVがブログ画面を開くと現れるのですが、日々1000PVくらい頂いており、その分苦しみを抱えている方々が見ておられるのかと思うと、切なくもあり、またこれだけの同志の方がおられるということをお伝えしたいなと思います。PVを稼ぐために書いているようなブログではまったくないので、公開したところで自慢でもなんでもなく、一生懸命に生きている魂がたくさんおられるということをお伝えして、少しでも勇気の糧になれば、と思います。


2015年3月29日日曜日

ランナーが帰ってくるとき



ランナーが帰ってくるとき、それは、

愛し合うことがすべてなのだと「諦め」たとき。

この「愛」に身を委ねると、決めたとき。

逃げてランナーになったけれど、お釈迦様の手の平のうえの孫悟空みたいに、結局この愛から離れてはいなかった。

「諦め」

また逃げたいという気持ちが、ゆっくりとほぐれて溶けていく。








2015年3月28日土曜日

クンダリーニの導き

気づけば99投稿していたこのブログ。

100回目の投稿は、クンダリーニのことを。



私が「ツインソウル」という言葉にたどり着いたのは、2014年夏のことでした。

15年前に離れた、大好きだった人と、再びメッセージのやりとりをはじめたとき、経験したことのない性的な高まりが体を下から上へと貫きました。

なんなのこれ!?

とあまりに唐突な体の変化に、少しも理解できませんでした。

どう検索したかは覚えていないのですが、インターネットで手がかりを探すうち、「ツインソウル」という言葉に出会い、あまりにもその特徴が当てはまり、衝撃と共に腑に落ちたのでした。

そして、8月に実家に帰省した時に、飯田史彦さんの「ツインソウル」という本が書棚にあるのを見つけてまた衝撃を受けました。(自分が何年か前に買ったはずですがまったく意識にありませんでした)

それからは、泣きながらツインソウルブログを読みあさる日々。

クンダリーニの上昇とも思える現象が起こることを、さまざまな方のブログを読んで知ることができ、異常ではないとホッとしました。

最初は毎日のように延々とそのエネルギーと頭の中に流れる「激しいそういうシーン」と「体感」に翻弄されて、早めの更年期障害が始まって幻覚を見ているのだろうかと本気で心配したこともありました。

このところ、落ち着いてきていますが(というより、慣れたのかもしれませんが)それ以上に、なにか、自分が大切なことを知った瞬間に、同じような高まりを感じるようになっています。


たとえば、次に自分が開ける扉の前にくると幾つもの扉(選択肢)があるなかで、一番クンダリーニが反応するところに行く。

これを魂とか、神とか、直感とか、そういうものとつながっているサインだと受け入れられるようになってきました。

「ワクワクすることをしよう」という言葉を知ってはいましたが、どうもその感覚がわからないわたしにとって、これは大事な道標となりました。



2015年3月27日金曜日

生きる

ツインソウルと出会って、一番大切な学びは、ありのままの自分を見つめ、愛して、そのままでいいんだと受け入れること。

自分を市場価値で測ったり、
だから愛される資格なんてないと思ったり、
無理をしていい人間のように振舞ったり、
誰かに反発して望んでいない道を選んだり、
社会の常識にとらわれて自分を罪人のように扱ったり

そういうのをやめてもいいんだと思えること。


わたしたちはツインソウルという光に出会って自分が満たされていたことを知る。

本当の、真実の、ありのままの自分をそのまま受け入れて、大きくならなくてもいいし、小さく見せなくてもいいことを知る。

気弱な理性は、それでも手綱を引っ張ろうとするけれど、わたしたちは、わたしたちの魂の輝きと力強さに気づいてしまった。


ただの主婦、ただの会社員、ただの親、普通の、ただの。

それが、少なくとも一人の人間にとって、かけがえのない存在である自分に気づく。

そのとき、世界は生きる場所になる。

あなたのために生きる。

わたしの、真実のわたしのために生きる。



2015年3月26日木曜日

市場


未婚のころ、恋愛も結婚も、「市場」原理だと思い知った。

女性なら、かわいい、小柄、美人、賢いけれど高学歴すぎないこと

男性なら、高学歴、エリート、収入が高い、見た目がいい

そういう要素があればあるほど、「高値」取引されるものだと。



40代になってもそれは同じ。

男性なら、安定していて高収入、まだメタボじゃないとか、

女性なら、40代には見えない、若い、きれい、とか。

いつか友人が付き合っていた、性格には難がある(モラハラ気味)けど、高収入の医師(婚歴は2回)ならさしずめ営業マンがこう言いそうだ。

「はい、こちらフェラーリでございます。まあ、難点というほどでもございませんが、ややブレーキパッドが甘くて、時々暴走いたします。でも、だましだまし乗れなくはありませんし、やはりお客様のようにお美しくてお若く見える方にぜひとも乗っていただきたいと、、、ええ、確かに、ブレーキパッドは重要ですが、まあテクニック次第で、なんとでも。まだ死亡事故までは起こしておりませんから。それに、なんといってもフェラーリでございますし、街中でも注目の的でございますよ」



もちろん、わたしもその市場の測り方に自分を当てはめていた。

もう若くない。子供も産めない。ツインソウルだとのぼせ上がっているけれど、きっと彼も市場の原理に従えば、わたしに何の価値もないことにすぐに気付くだろう。

男性としての彼の人生はまだまだこれからが上り坂。

なぜ好き好んで、そんな年の女と浮気するの?



浮気じゃない。

相対評価で、人を好きになる?

それは、絶対的な人間に出会っていない人たちが、市場原理に幻を見させられているだけだ。

恋愛という幻想に酔おうとしているだけだ。

ツインソウルに出会うと、目が覚めてしまう。

真実に目が開いてしまう。

それは必ずしも「シアワセ」ではないかもしれない。

痛みを伴う脱皮になるかもしれない。

でもお願い。逃げないで。



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この文を、17年前の自分に読ませたい。

逃げないで、と。








2015年3月23日月曜日

「カミーノ 魂の旅路」 シャーリー マクレーン


いつか読もうと思っていた、シャーリー マクレーンの「カミーノ」。

スペインの巡礼の道を歩く彼女に見えたヴィジョンのこと、学びのことが書かれています。

最後の方に、ツインソウルとソウルメイトのことが描かれています。

以前、投稿した中に「二つの心臓が同じ鼓動を刻んでいる」という感覚を書いたことがあるのですが、ひとつの両性具有の肉体が、ゆっくりと男女に分かれていく場面の描写は圧巻で、自分の感覚と同じようなことが書かれていることに鳥肌を立てながら読みました。


ツインソウルと、相対する場面で、

「お互いを必要としながら、そこには一種の浮揚感と安らぎと、ゆったりとした感覚があった。

お互いに惹かれあってもそこに目的は必要ないと信じていた。

実は、惹かれることそのものが目的だった。

お互いにあこがれを同じように分かちあうことが、神を感じることだった。」(p.287-288)


こう書かれていることに、深く納得するものがありました。



ツインソウルとの出会いの後、さらにソウルメイトと呼ばれる魂の振動を同じにする相手を探す、というくだりもあり、そこはまだ理解できない部分でしたが、さらに魂の冒険は続くのだと思えるとわくわくしてきました。




2015年3月16日月曜日

今朝のシンクロ

朝、家の周りの掃除をしていたときのこと。週末にした、親との会話、夫との会話で、無性に腹立たしく悲しくなっていた。

親子でも夫婦でもしょせんは他人、言葉を尽くしても理解してもらえないのか、という悲しみが、嵐の波のようにやってきて、思わず涙が出そうになる。


そのとき、自分の感情とは別のところから、寂しさ、という気持ちが激しい強さで押し寄せてきた。

これはなんだろう、と思う間もなく、二つの感情は二つの大きな波が、ぶつかって、三角波となった。

それがふたつの波でさらに高くなるのではなく、ぶつかり打ち消しあうような風景が見える。波は穏やかとなり、ネガティブな気持ちはそこで消えた。


不思議な心象風景だったなあと思いながら、掃除を終えて家に入り、携帯を見ると、ちょうどその時間あたりにツインからのメールが入っていた。

ああ、あの寂しさはツインからのものだったのだと気づく。

寂しさや哀しみという「ネガティブ」な気持ちですら、互いを呼び寄せ、互いを癒している気がする。




大丈夫。
他の誰にも理解されなくても、あなたさえいれば。


昔は、こう考えた瞬間に「そんな共依存関係は、うまくいかなくなるに決まっている」とアタマの声が響いてきただろうけど、今はちがう。


あなたがいてさえくれれば。
わたしは生きていける。








2015年3月11日水曜日

ナビ

車を運転している時、ナビに目的地を入れると、このルートが最短です、と指示がでます。

でも、その道が運転しづらそうだったり、なんとなく違うルートを通りたくなったりして、指示通りに走らないと、すぐにナビは計算し直して、新しいルートを選んで指示してきます。

これって、自由意志と最終的なゴールの関係に似ているなあと、運転しながら思いました。

どの道を通るかは、ささやかな自由意志として、私たちが決められる。

でも、最終ゴールは、常に神のもとに向かっている。

私の場合は、生まれる前に決めた運命は、「彼のもとに向かう」ことだけで、あとは、とにかく「こうしたい!」という思いだけで目の前の課題をこなして、自分にとってのベストを選んで来た気がします。自分の思いに正直に生きていた時、彼に出会いました。

それから、ランナーになって、大きく遠回りするわけですが、それも、わたしの自由意志として尊重され、そこですべきこと学ぶべきことを天がすべてベストなかたちで置いてくださっていた気がします。