2015年5月13日水曜日

びっくりして学んだこと

人生って思いがけない事が起きるものですね。

土曜日のこと、車を一人で運転中に、側道から入ってきた車に衝突されるという事故にあいました。

詳しい状況はさておき、車は破損激しくすぐに修理工場に入れられて、わたしは病院にて検査。

外傷もなく、軽い打ち身レベルで済んだのは不幸中の幸いでした。

状況からわたしは被害者という立場になったのですが、ものすごい勢いで噴出してきたのは、罪悪感、自責の念でした。

「あの道を通らなければよかった」(ひとつ前の交差点を曲がっても目的地に行けたのに、直感に従わなかったからこんな目にあったのではないか)

「もしもう少し相手をよく見ていたら避けられたかもしれない」

「夫の車を傷つけて申し訳ない」

「ツインソウルという言葉にかこつけて、不倫をしようとしている自分に天罰が下ったのかしら」

「大殺界なのに浮かれてドライブしたからかしら」

「そもそも運転なんてしなければよかったのに」

と、自分を否定する、自分に責任があるかのように責める、という言葉があとからあとから溢れ出しました。それが突き詰めていってしまうと、

「そもそも、自分が生きていなければよかったのに」

と、自分の存在すら否定する想念に、取り憑かれそうになりました。



今朝四時半に目が覚めて、そういうときは、神様とのお話タイム。

「罪も罰もないってわかっているよね」

「あなたは神の子だってわかっているよね。みんなと同じ神の子」

「どっちに向くかは自由だよ。でも絶対に守られているってわかっていてね」



自由意志というのは、どっちに向くか、という顔を向ける方向を決められるということ。

片方は、先方を恨んで、ずっと後遺症に苦しめられて、保険会社からは嘘だろうと疑われて、病院ではやっかいな患者としてレッテルを貼られて、自分は生きている価値なんかないと思う未来。



もう一方は、車があんなに損傷したのは、わたしを守ってくれたからね、ありがとう。

怪我もなく、打ち身くらいで済んだのは、本当にラッキーだわ。

ご先祖様、天使の皆様に守られたことに心から感謝します。

ご先方も保険に入っているきちんとした大人でよかった。

警察の方も、自己現場近くの皆様もとても親切にしてくださった。

びっくりすることは起きたけど、家族の絆は深まった。

そして、愛と感謝で生きると決めた自分の生き方を貫けることがなによりもありがたい。と思う未来。


もちろん選ぶのは後者です。それが自由意志の使い方なのだと今ならわかります。




そして大きな学び。

わたしの、自責の念、自己無価値観、そういうものは、光をあてると白いシーツだったとわかる幽霊の幻のようなものでした。

ただ、光を当てればいいのだと。

まだ心に巣食っていた、暗い部分、それはツインとの関係でも現れていて、「やっぱりわたしなんて必要ないでしょ」と思いたがる癖がなかなか取れなかったのです。

ツインのことを、情熱的にくるときもあれば、不意に心のドアを閉めて冷たく振舞うこともある、それはどうしてなんだろう?とずっと思っていましたが、すべての人間関係と同じ、「鏡」であることを思えば、愛されていることを信じられるときと、信じることができなくなって、不意に心を閉ざす時が自分にもまだあるということを示してくれていたのでした。

そして、確信。

「わたしの存在は、神の御意志である」

「神が造られたわたしたちツイン、それは神の御意志である」と。


いのちというものをどうしても尊重しきれなかった、いのちが輝くことに罪悪感を持ち続けていたわたしに、素晴らしい学びとなったのでした。


「わたしは悪い子だから、神様に愛されているはずがない」という思いが消えました。


一気に学びが来てくれたこと、先方さまにも、わたしの家族にもこの出来事は必要だったのだと思えます。それが四次元の因果というもので、ぽんと出て、学び終わればもうそれでおしまい。



そんなことに気づいて、ほっと幸せな気分になった朝、ピンポーンとインターフォンがなってご近所さんが家の前にいらっしゃいました。

「庭で咲いたから」と手にされていたのはピンクの薔薇。

まるで天使からの「はい、お見舞い」というメッセージつきのプレゼントのように朝日に輝いていて、さらに心には微笑みが広がりました。







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