2014年12月31日水曜日

ごまかせなくなる

ツインソウルに出会って、自分という存在が「長い旅をしている魂」だと目覚めてしまうと、「この世的なごまかし」が通用しなくなります。

それは、まるで、メートル単位で暮らしていたのに、いきなりセンチメートル、ミリメートルの単位があると気づいてしまうようなものです。

3メートルだと思っていたものが、2メートル76センチ8ミリ、とわかってしまうようなもので、感覚が鋭くなりすぎて、それまでなあなあに済ませていたことが済ませられなくなってしまいます。

ビリビリと痺れるように互いのことがわかったり、目線一つで莫大なことを理解するようなツインとの交流が始まると、F1ドライバーとして走って、そのまま一般道に降りてくるようなかんじというか、動体視力が発達しすぎているままで、それまでの世界を見るとそれまでは「まあいいか、こんなもんか」で流せたことが気になり、本質を知りたくなります。

そしてこの世の常として、本質は知らない方がいいこともたくさんあるのですが。。。



私は、夫との暮らしに、くすぶるような不満と怒りを抑えつけて生きて来た、ということがわかってしまいました。

自分を押し殺して、できない女のふりをして、かわいがられる、無能な存在として守らせてあげよう、夫のプライドを傷つけないために。

これが今までの生き方でした。

ちょうど、「アナと雪の女王」の歌が日本中に流れているころで、最初は子ども向けのアニメと思って関心もありませんでしたが、同年代の友人からボロボロ泣いたよ〜と聞き、歌をYou tubeで聞きました。

英語での歌詞のほうが、より自分の感覚に近いのですが、抑えていた自分の力をもう隠しきれない、「いい子でいなくちゃいけない」という呪縛から解かれこのまま力を解放しよう、このままで、という箇所で、もう号泣しました。

恐れが自分の行動を抑えつけてきたこと、「いい子、いい妻」でなければ受け入れられない愛されないと思い込んできたこと。

過去はもう終わり。修行だと自分に言い聞かせて、本当の自分を押し殺して生きるのももう終わりにしたい。

「完璧ないい子」になるために生きてきて、世間的に見たらそうなれたとき、本当の自分が窒息して死にそうになっていることに気づいたのです。


2014年12月30日火曜日

宇宙のかけら

ツインソウルの彼とは、いつまでもお互いの瞳を見つめあっていられます。これって他の人では経験したことがない不思議な感覚です。


見つめ合っていると、暖かい海に二人きりでぷかぷかと浮いているような気がします。

触れ合うと、宇宙が生まれたその熱のかけらでわたしたちはできている、と思えます。

この三次元の世界で、いきなり宇宙とか、大海とかへ、意識が拡大する(自分の感覚ではぶっ飛んでいく)のは、最初はかなり戸惑いました。

大好きな人に再会して、嬉しすぎて頭がおかしくなってしまったのではないか?と本気で思うほどでした。脳内麻薬、という言葉が真に迫り、ドラッグをキメているとこんなかんじなのかも?と思うほど、やりとりを再開した日から、1ヶ月はまともに寝る必要もないくらい常にナチュラルハイな状態でした。


ですが、前世を白昼夢で見たり、夢で会話したことをそのまま現実でも会話するという経験を通じて、自分たちが肉体を持った魂という大きな存在で、長い長い旅をしているのだと感じられるようになり、少しずつこれが「普通」と思えるようになってきました。

話していると、感覚としては赤ちゃん同士が、きゃっきゃと言葉にならない言葉を発しながらじゃれている、そんな感覚が生まれます。いい大人なんですけどね、見た目は。

本当のわたしたちの魂の、原初の姿に戻してくれるのが、ツインという存在で、かけがえのない人、かけがえのない出会い、自分も含めて丸ごと世界を愛することができる、愛されていたことに気づく。

長い旅を経て、何度も身を引き裂かれるような別離を経験して、ようやく向き合えるようになったわたしたち。

この世的には、まだまだ試練がいっぱいにも見えますが、魂は喜んで跳ね回っています。









2014年12月29日月曜日

記憶喪失から覚めるように


15年間の別離から、ツインソウルの彼との再会がかなってから、わたしの人生は大きく変わりました。

それまで、無力感と虚無感に捕われ続け、周りから見ればしあわせな暮らしでしょうが、自分は「これが人生なら早くやめたい。一刻も早く天に召されますように」という願いしかありませんでした。

常に、死んだ後のことを考え、持ち物は極力増やすことなく、これは誰に受け継いでほしいか、誰に連絡をしてほしいかを信頼の置ける人に、段取りして、というのが唯一の未来でした。

ツインソウルとの再会で、とんでもないエネルギーが自分を貫いて、わたしは元気いっぱいだった20代後半の体と心に戻ってしまいました。世界の何もかもがキラキラしていて、新しい冒険と出会いの期待に胸を膨らませていたあのころ。

身体も一気に15年分の時計の針が巻き戻されたようで、常に感じていた疲労感も感じなくなりました。ツインソウルの彼と別離しようと決めた15年前のあの日から、わたしはまるで半身を失って生きてきたようなものでした。それがいきなり全身のパーツがそろったような、いきなり普通の人間に戻り、動けるようになったような、つまり本来の力を取り戻したのです。

精神的にはまるで、記憶喪失から突然目覚めたかのようでした。

わたしはここで何をしているのだろう?という疑問が湧いてきました。目の前にいる、夫、10年近く一緒にいる人を見て、「この人は誰だろう?なぜ一緒にいるんだろう?」という問いかけを(頭の中だけですが)してしまうのです。申し訳ないという気持ちと同時に、どうしてこの人に、わたしは力を奪われ続けているんだろう?という疑問が頭を去りませんでした。

夫とわたしは、条件があったこと、タイミングがあったことで結婚しました。夫からのモラハラと激務の過労で、すぐにどん底に落ち込んだ結婚生活をなんとか少しずつ谷を登って、ここ2年ほどは表面的には安定したものにしてきました。

それは私が、力を差し出し続けて、保っている結婚です。そういう相性もあるとは思うのです。五行のいう、相克のようなもの。ですが、わたしは最初に力を言葉の暴力で奪われ、自分を無力で、無能な人間だという「事実」(にそのときは思えました。信じて結婚した人にそう言われたのだから)を受け入れてしまったのです。

ずっとそれから、奴隷のように「お役に立つ」ことで、生活の面倒を見てもらう、というがんじがらめの心理状態で結婚生活を続けていました。怖くて意見を言うこともできず、仕事で疲れて不機嫌な声を出されると恐怖で体が固まっていました。このままでは、早晩、心臓がやられて死ぬだろうなという予感がありました。それもいい、いっそ死にたい、とずっと思っていました。この結婚を逃げ出す勇気を持てず、自分がどうしたいかという意思を持てず、こんな人生は意味がない、早く終わりますようにと願って生きてきました。

私自身、自分も他人もきっと自分の役に立つかどうかという基準で生きてきたのでしょう。

鬱状態のひどかったころ、頭の中で「死ね死ね、お前なんか死ね」と響いていた声。あれは悪霊や死神なんかではなく、自分の魂の声だったのかもしれません。つまり「死ぬべき」なのは、偽りの自分。エゴと計算、冷たい打算だけで取り繕って生きていこうとする自分だったのかもしれないと、最近気づきました。

夫婦は鏡合わせと言いますから、夫が私の本当の輝きを見ることなく、役に立つかどうかという自分の人生のコマとして扱っている、と思うならばきっとわたしもそういうふうに夫を見ているのでしょう。存在そのものではなく、もたらしてくれるもの、お金や力などを望んでいたのでしょう。

ツインソウルとの出会いは、そんなものを吹き飛ばしてしまいました。ただ存在自体が好きで好きで愛しくて仕方なくて、何をくれるとか何を上げられるとか、条件とか取引とかの理性は介在することができない、原初的な愛。

だからあまりにも純粋すぎて、この地上では生きながらえることのできない愛だと当時は思いました。あまりにも美しくて完璧で、この人間界では通らないだろうと。

今、大人になって、つらい修行をくぐり抜けて、この愛をこの地上で守ることができるだけの強さを持つことができたから、だから再会が叶ったような、そんな気もしています。




前世の記憶

ワイス博士の前世療法という本を読み、CDを買って前世のヴィジョンを見ることを試しはじめたのは、10年以上前のこと。

CDで誘導されて見えた前世(と思われるもの)は、修道院に入っている老女となった私、とか山伏だった人生、などでした。

今回、ツインソウルの彼と再会して、スピリチュアルな感度も高まったのか、白昼夢の形でよくヴィジョンを見ています。

辛い別離の前世も思い出したのですが、笑顔しかない前世もありました。

チベットかどこかのアジアの高地での暮らし、わたしは若い母親で、可愛い3つくらいの娘がちょこちょことあとをついて遊んでいます。布を染めているのが見えます。家の裏の薪を積む場所や、かまどのような台所。たくましい夫の姿。

その人生はとてもシンプルで、しあわせなものでした。

ですが、それを思い出した時は、ツインソウルとの別離の前世や、修行に明け暮れた前世を思い出したときよりも、ずっとずっとつらいものでした。今でも、思い出すたびに身がよじれるほどの胸の痛みを感じて、涙を流してしまいます。

家族が笑顔で、幸せで、明るく澄み切った空の下で過ごした一生。たぶん短いものでしたでしょうが、貧しくても満ち足りていたその人生を思い出すたび、今の暮らしがつらくてつらくてたまらなくなります。

あの人生のように、穏やかに満ち足りて過ごしたい。

求道も修行も終わり、あとは、静かに愛を交わして生きていきたいと今は思っています。

2014年12月27日土曜日

愛は動詞


「愛は動詞」

これはマザーテレサの言葉だったような気がします。随分昔に読んだためあやふやですが。

私たちの口は、愛情を込めた言葉を発するためにある、優しい言葉、励ます言葉、あなたがいかに素晴らしい存在かを伝えるためにあります。

私たちの手は、暖かく誰かを抱きしめるためにあります。誰かにお茶を入れ、美味しいご飯を作るために、そして自分の、ひとの痛みにそっと手を添える時のために。

未熟だった頃は、わたしの言葉は刃のように冷たく人を傷つけ、手はひとを振り払い、叩きつけるためにありました。許してください。


今、全存在をかけて愛する人に再会して、彼に、あたたかい言葉をかけたいと思っています。再会の日にそっと、手の甲にキスをしてくれた彼の気持ちを受け入れ彼を抱きしめるために、自分の手があると思っています。

どう思われるかとか、恋愛のテクニックとかどうでもよくなりました。ただ愛してしまっている自分を認めて、そのままを(受け入れられる形にする努力は必要ですが)彼に伝えたい。

自分の役に立つからという、打算的な冷たい恋とは、まったく違う熱い愛の只中に放り込まれるのがツインソウルとの出会いで、そこで燃えつきるのはエゴやプライド、自分だと思い込んでいた重い鎧なのかもしれません。

燃え尽くされた後、純粋な光となったわたしたちは、本当の愛を、天上の恋を、地上の花にするのです。





魂は死なない


16年前にツインソウルの「彼」と初めて出会った時、それまでの恋とはまったく違う激しい衝撃に、自分が吹き飛ばされるような気がしました。

「彼」は結婚していましたから、それを理由に忘れなくては、諦めなくてはと自分に言い聞かせ、1年後に(半身を引きちぎるような想いをして)そっと彼の前から姿を消したわけですが、違う角度から見てみると、この激流に耐えられるようになるまで、15年という年月が必要だったとも思えるのです。

二十代後半から40歳になるまでに経験した大人になるための知識や、相対する人への思いやりの示し方、そういうものを身につけるまで、「彼」に会うことは危険だと心のどこかでわかっていたのかもしれません。あまりにもむきだしになる感情と情熱に、自分がその熱で倒れてしまいそうになるのを、少し離れて見ることのできるようになるまで、この別離は必要だったのかもしれません。

「彼」と再びメッセージのやりとりが始まり、再び、激流にもみくちゃにされるような感情の嵐を経験しました。鳴門の渦に巻き込まれるようなかんじで、なぜ離れたんだろうという後悔と、会いたくて仕方ないという恋慕の感情で泣かない日はありませんでした。

その過程で、さまざまなビジョンを見るようになりましたが、中でもいろいろな前世が映像として浮かんできて、「彼」とのものを3つ思い出しました。それはいずれも同じパターンで、彼と深く激しく愛し合いながらも、身分違いであるとか、その他の理由で結ばれない、結ばれないならいっそ死ぬ、といってわたしは3度とも自害していました。そして冷たくなっていくわたしの体を抱きあげながら慟哭する彼。同じことをなんども経験して、魂は少しずつ学んでいくのでしょう。やり遂げられなかった課題を、もう一度、と願えば何度でも再生して、何度でも同じパターンでも少しずつ異なった状況で、わずかずつであっても成長をしていくのが転生を繰り返す魂の道なのかもしれません。

今回、彼とのやりとりが始まってから、なんども逃げたいという言葉が頭に浮かびました。そのたびにこの前世を思い出し、「また逃げるのか?また悲しみのどん底に彼を突き落とすのか?」と問われているような気がしました。

逃げるというのも自由意志です。人生には逃げなくてはいけないときもあると思っています。でも今回は、もう向き合えるだけの力をわたしは持っている。できることからは逃げないでいたい。

幼い頃から求道というのが私のテーマでしたが、それを追い求めてようやく一つの段階を超えて、すべてが一つであることを実感した時、それをよりヴィヴィッドに見せてくれるこの出会いへの扉が開いたのかもしれないと今は思います。





2014年12月25日木曜日

愛されていることを知って

あなたは思いきり愛されています

どんな罪人でもどんなに小さく汚れた存在に自分が見えても

あなた方一人一人は、皆、神の美しい子

ただこの地球でオペラのようにあなたの役を演じているだけよ

多幸感に包まれる

皆一つの大きなファミリー

違う人など、ひとりも ひとつの命とていない

あなたが大嫌いなその人も、大好きなあの人もみんな同じ命から生まれた

ただ愛されきっていることを知っていてほしい

ただあなたは美しく愛されている存在だから

目覚めようとしてもいいし、しなくてもいい。

人を傷つけても 自分を傷つけても構わない

そんなことで神の愛は揺らがない

愛し、許しきっています。

たとえあなたが自分を罪人と呼んだとしても。

私のかわいい子 美しい子

あなたを愛しています。

たとえどんな姿でも

どんな振る舞いをしていても。



ひそかな願い


「わたしが死ぬときは手を握ってて」



ツインソウルの「彼」と15年ぶりにメッセージのやりとりを始めて再会の約束をしてから、今まで経験したことのない感情をたっぷりと味わうことになりました。

いきなり白昼夢がはっきりと始まったり、声が聞こえてきたり、そんなふうになった自分に訳が分からず、書いていないと気が狂いそうで、必死でノートに書き綴っていました。

その中でもなんども繰り返し浮かぶ言葉が「私が死ぬときは手を握っていてほしい」でした。

それまで、自分の死ぬ場面をイメージしたことはありませんでした。子どももいないし、きっと寂しいものになるだろうなあと漠然と思うくらいでした。

でも、80歳になった私が天に帰るときには、84歳になった彼に手を握っていてほしい、と強いイメージが湧いてくるのです。

実際に、とても健康で長生きしそうな彼なので、もしかしたらいろんなことが解決して共に生きることができたら、最期を看取ってもらうのはまったくのファンタジーではないのかもしれませんが、、、

なぜこんなふうに思うのかは未だにわからず、そしてこの思いは日々強くなり、確信に向かって行っています。










2014年12月24日水曜日

いつか見た夢


光のあふれる場所から
ふたりで飛び出した日

はじめて肉体を持って
きゃっきゃと笑って

体ってなんて素敵
なんておもしろいの

抱きしめあって
ふざけあって
キスをしあって
草原のような場所で
ころころと転がりながら
笑いあって

見つめあって決めたの

ねえこれから冒険の旅に出よう

ふたりにわかれた私たち
お互い違う場所に飛び込んで
旅をしよう

時々は出会おうね

姿かたちが変わっても
手をつなげば光が生まれる
瞳を見つめ合えばそこに
生まれた場所が見えるから
きっとわかるよ
心配いらないよ

そして出会ったら
互いの旅を
何を見てきたか
どんな冒険をしてきたか

いっぱいいっぱい
語り合おう
約束だよ

さあ飛び込もう
地球というジャングルへ




今朝の夢


夜明け前の夢で
わたしは裸で泳いでいた
温かい水のなか
水に揉まれるようにして泳いでいた

突然、彼の眼に映ったままの
自分が見えた

初めて出会った時の衝撃、
初めて会話を交わした時
ふたりきりで食事した時、
抱きしめた時、

すべてのことを思い出した。

あなたはわたし
わたしはあなた

二つの魂がひとつになろうとして
互いに手を伸ばし、
しっかりと抱きしめ合う

水に揉まれて
激流にのまれても

もう二度と離れぬように




2014年12月22日月曜日

自分を許すということ


私は、自分に許されたかったのかもしれません。自分をまるごと愛したかっただけかもしれません。

ツインソウルとの間柄にはいっさいのごまかしがきかず、針の先ほどの心の動きまではっきりと自分に見えてしまいます。その震えが本当に苦しかった。

今は、彼をただ愛してしまった自分をそのまま受け入れたいと思っています。

逃げて、逃げて、(15年も!)やっぱり逃げられなかった。深い地層で繋がれたふたりの絆は、ちょっとやそっとで切れるものではありませんでした。

今でも、単なる恋愛だったらいいのに、浮気だったらいいのにと思うことがあります。それなら終わりになるのに、とため息が出ます。

私は長いこと、自分は神様に愛される存在ではないと思い込んでいました。理由は「いい子じゃないから」。人に意地悪なことを思うこともあるし、ささいなことで腹をたてることもある。悪い言葉を使うこともあるし、好きになってはいけない(と社会で決まっている人)を好きで好きでどうしようもない。

その反動で、ガチガチの「いい子」を演じてきました。いい娘、いい孫、いいきょうだい、いい妻でありたいと、自分の頭で想像した「良い振る舞い」で自分を律して理性だけで生きようとしてきました。それはすべて「愛されるため」でした。


でもツインソウルの衝撃は、理性なんてふっとばしてしまい、そのままの自分をさらけ出してしまいました。

そして、そのままでいい。

ありのままの自分がそのままかわいくてしかたない。

今は、そう思えます。


2014年12月21日日曜日

ツインソウルのランナーとして まだ逃げたい


深く魂から繋がっている相手、ツインソウル(と思われる)「彼」にせっかく再会したのにもかかわらず、いまだに臆病風に吹かれて逃げたくなることがあります。

愛されることへの恐怖、というのもあるのですが、もうひとつ、自分の真の姿をまるごと愛さなくてはいけないという葛藤があるようです。彼と対峙するとすべてが明らかになってしまうのです、なぜか。

「彼」と言葉を交わし始めたころ、「この人って金と権力の話ばかりするなあ」と思ったことを覚えています。人は自分の鏡と言いますから、何か他人に引っかかることがあればそれは自分の姿があらわになっているということ。

それをじっと思い出しながら考えていたら、「金と権力が大好きなのは自分」とはっきりわかってしまいました。きゃーーはずかしい!と誰もいないのに思わず身を隠そうとしてしまうほど恥ずかしい発見でした。

「ありのままに」という歌が今年は流行りましたが、「ありのままの自分」は映画の中では魔女のような人を傷つける存在だと思っていた自分のこと、(実は、能力が高すぎて適応できない姿なのかもしれません)に私には見えました。

私の場合は、「金と権力が大好きな、それを清廉なふりをして隠しているとんでもない女」、がありのままの自分でした。

金と権力のためなら、人も自分も、まるで道具のように扱うことをなんとも思わない冷血で計算高い女。そんな自分まであらわになってしまいました。

もう笑うしかありません。どこかで、自分は知っていたのでしょう、自分はこういう女だと。それなのにまるごと愛されてしまってどうしたらいいのかわからない。無条件の愛を受ける価値がないのに、と思っていたのかもしれません。







ツインソウルのランナーとして 再会しても逃げたい

15年ぶりにツインソウル(と思われる)「彼」に再会し、尽きない会話、笑顔にやはりこの人だったんだ、と確信しました。

会うまではものすごくドキドキして、メッセージのやりとりひとつひとつに17歳の乙女か!?とときめいていたのに、出会うと心からくつろいでしまう。心が裸になって、とりつくろって、大人の女を演じるのを忘れてしまう。

そっと抱きしめられて、「ここがわたしの魂の居場所」と実感しました。なぜか子どもの頃からずっと私は居場所がない気がしていました。家族の愛にも仲間にも恵まれていたのに、ずっとどこか異邦人のように感じていました。

今、わかりました。わたしの居場所は、彼の腕の中でした。


ですが、同時に此の期に及んでもまだ、逃げたい!というランナー気質が消え去ったわけではなく、帰り際には「もうこれで会わないですよね?これで最後よね?」となぜか口走るわたし。

敵もさるもの(?)学んでましたね、彼も。

そんなわたしのたわごとは聞こえないふりをして「次はいつ会える?」「また」と20回くらい繰り返し言っていました。

彼から「また」という言葉が発せられるたび、柔らかく全身が少しずつくくりつけられるようでした。






2014年12月19日金曜日

第二印象

ツインソウルの「彼」との衝撃の出会いから、言葉を交わすようになってさらに衝撃が待っていました。

こんなにまったく相容れない考えを持つ人がこの世にいるなんて!というほどの違い。

そういう二人が出会って、まったく話がわからないということが驚きで、面白くて仕方なくて、話しはじめると止まらない、ということが何度もありました。

あまりにも二人の世界に没入してしまうので、まわりが心配するほど。

いちいち、すべての考えが違うので、しまいには呆れてお互い笑ってしまうという感じでした。



今ならわかります。

それは、意見や信条など、瑣末なこと。

違いがあって当然、たがいに意見を戦わしながら本当の戦いには至らないようにする。

違いを認め合って、それでも共にこの地球にあるというある意味「人類愛」を学ぶ相手としてのツインソウルでもあったのでしょう。

そして、まったく違うエレメントを持ち寄って、ひとつの完成形を作るための相方。それがわたしと彼の関係なのかもしれません。





初対面の衝撃

初めて会った時のことは、今でも鮮やかに思い出します。とある会合に出席予定だった私は、用事があって少し遅れてその場に入りました。

知り合いに挨拶をして、椅子に腰掛け、話している人に注意を向けた時、その横顔に「こんなに素敵な人がこの世にいるんだ」と驚きました。すぐに、左手薬指の指輪にも気づき、「こんなに素敵な人なんだから結婚していて当然か」と苦笑する思いでした。


話が終わえた彼が、ゆっくりと目線をわたしのほうに動かして目が合った瞬間のことです。

「わたし、この人知ってる。この人はわたしのパートナーだ。え?どうして結婚しているの?」

と、稲妻のように閃いて、息もできず一瞬のうちに宇宙に放り出されたように何も聞こえなくなりました。そして、まるで火山が爆発しているかのように、身体中が小爆発を起こしていました。


会合が終わった後の雑談の時間にも、気になって気になって仕方がありませんでした。それは彼も同様だったようで、何度も目が合い、帰り口に互いに知り合いと連れ立って向かうときも、強烈な引力に引っ張られるようにして、同じエレベーターに乗り合わせました。

深い深い黒い瞳がじっと私を見つめ、わたしも目をそらせずに見つめ返していました。互いの胸に、工業用磁石が埋め込まれていて、それがいきなり引き合うような、理性がなかったら、というよりも周りに人がいなかったらそのまま見つめあって体と体を合わせてしまいそうな力で、惹かれあっているのがわかりました。

自室に戻っても、身も心もしびれているような感覚が続き、じっとベッドの上で膝を抱えてうずくまっていました。

スピリチュアルな本で読んだことはあっても、本当に前世があるとは信じてるとは言えませんでしたが、この日ほど、その存在をリアルに感じたことはありませんでした。

「こんなに魂ごと惹かれる人に出会ったのに、結婚しているなんて」


その日のうちに、気持ちにはケリをつけよう、惹かれてもどうこうなる相手ではない。そういうご縁だったのだ、と自分に言い聞かせてようやく眠りにつきました。


2014年12月18日木曜日

ツインソウルのランナーとして 逃げた理由


逃げた理由。


それは、あなたが結婚していたから。
あなたの家族の話を聞いたら心が粉々になると思ったから。


じゃあ、もし結婚する前に出会っていたら、どうだったと思うの?
すぐに恋には落ちただろう。

そして、たちまち深く愛し合って、なんの障害もなくて今頃幸せだと思うの?

いいえ、思わない。



もしも、何も外的な問題は何もない状態で出会っていたとしても、わたしは愛をそのまま受け入れることはできなかったと思う。

疑って、疑って、わたしなんかを愛するはずがない。きっと浮気する、と迷妄に落ち込んで、自滅していたでしょう。

それがわたしが持っていた大きな課題、心の中の冷たい石。

そうして、二人はこのうえなく傷ついていたかもしれない。




だから、あの別離は無駄じゃなかった。

互いに見てきた世界を語り合う、今このとき。

長い旅をしてきたこと、人への優しさ、自分を愛することを知ったことを、今語り合えるから。



別離は無駄じゃなかった。
あんなに悲しみ、苦しんだけれど、
だからこそ今、あなたがどれほど、私にとってかけがえのない存在かわかるから。



2014年12月17日水曜日

これが覚醒? その5


クンダリーニの上昇というのが起こったのでしょうか。ものの本によると、ざっくりとした言い方ですが、素人が手を出すものではない、というようなことが書いてあるので、これはわからないとしておきます。

体調の大きな変化としては、睡眠がそれほどいらなくなりました。私は過睡眠タイプで、1日10時間くらい眠っていないと辛くていられなかったのですが、平均で6時間になりました。

ストレスが減りました。人がみんなかわいくてしかたなくなり、(前世からのつながりが見えることもありましたし、いたいけな魂が頑張って生きていることに胸が震えて感動するのです)過敏すぎた神経が落ち着いてきました。

若返ったというのは、自分も肌が柔らかく透き通るようになり、じっと鏡を見つめてしまうほどでした。わたしは自分の容姿にひどくコンプレックスを感じていて、とても自分を鏡で10秒以上見つめることができなかったのです。それが自分を見て「かわいい、かわいい、きれい」と呟くようになったのですから、大変な変化です。

地球が美しくてたまらない場所に見えるようになりました。小さな木の葉の一枚一枚、石ころひとつ、流れて行く雲、そういうものが光に満ちて神が造ったいのちに見えるようになったのです。

もちろん、わたしたちのからだも。神の美しい、情熱を表現するための造形なのだと思えるようになりました。(それまでは、かなりストイックな感覚で肉体を下に見ているところがありました。)

ツインソウルの「彼」を無条件で愛してしまうことを自分に許した時、自分自身も条件なしで愛せるようになったのかもしれません。それまでは、自分を頭が悪い、顔が悪いとひどい罵倒を繰り返していましたから。


前世とカルマ


罪も罰もない

善と悪もない

正邪も、上下も、すべて幻。

すべてのことは同時に起きていてまた長い長い紐として、見ることもできる。

自分がした行動を、された側から見てみたい。味わってみたい。だからカルマという法則が生まれて前世と来世という「物の見方」が生まれた。

時間も空間も幻で、彼と私という分離も幻。

すべては一つ。

すべては愛。


これが覚醒? その4


ツインソウル(と思われる)「彼」と私は、政治信条、物事の捉え方、世間との関わり方が真逆と言っていいほど違います。


それでも、その違いが面白くて仕方なくて、互いに話をしながら「そんなふうに考えるの!?」と驚き、もっと知りたいと思ってしまうのです。他の人だったら「こんなふうに考える奴はクズだ。話にならない」と切り捨ててしまうくらい違います。


見た目も、彼はとても男性らしい男性で、華やかでがっしりとしていて体育会系、わたしは一人で本を読むのが何より好きで、内向的、アジア人らしい容姿です。

ある星占いを読んでいた時、二人の相性は重なり合うところが全くない、違うからこそ惹きつけられる、と書いてありました。

そのときに目の前に浮かんだヴィジョンは、ぱあっと孔雀が羽を広げた姿でした。

まったく違う二人が共にいると、互いが持ち寄るものでひとつの完全な円になるというイメージ。

また、私はピンクや紫色が好きなのですが、彼のイメージは赤とかオレンジ色です。(わたしはオーラは見えませんが、人の波動は色で記憶するところがあります。)二人が近づくと、ゴゴゴゴゴ、とまわりのエネルギーが動き出し、互いが持ち寄る色がすべての色を織りなして、一つの完全な銀河が生まれるような映像が浮かびます。



これが覚醒? その3


長年、心を悩ませてきた夫との関係も変化しました。常に私に対して上からしか物を言うことのできなかった人が、ある日思わず「⚪︎⚪︎子さん」と私の名をさん付けで呼んだり、「あぁ?」としか返事をしなかったのに、普通の会話をするようになっていました。かなり気を使って優しい言葉を選ぶようになっていました。

その時に、私が感じたことは、二人で演じてきた「打ち解けない夫婦というお芝居」が終わったのだという感覚でした。

いま、夫とは同じ劇団の仲間が、打ち上げでビールを飲み交わしながら、「あの時の、あの憎ったらしいセリフまわしよかったよ〜!」「あの睨み方最高だったわ」と笑いあい、いい芝居したね、おつかれさん!と語り合っているような気持ちになっています。

互いに、ままならない夫婦関係に悩み、苦しんだけれど、それはすべて魂の選んだ劇場の一幕でした。

私はそこで、何を学ぼうと決意して、何を学んだのか。

そのことのほうがずっとずっと大切なことなのです。





これが覚醒? その2


ツインソウルと思われる「彼」との15年ぶりのやりとりが始まって、白昼夢がひんぱんに起こるようになりました。

本当におかしくなってしまったかと思うほどの、はっきりとしたヴィジョンを見るようになりました。

4次元につながり合う、輝くネットのようなものが突然見えたりしました。それは命のつながりで、すべてがつながりあい、暗い宇宙に浮かんでいて星のような輝きが命が集中しているところを示しています。

また、とある山々が見える場所に出かけた時、突然大地から雷のようなエネルギーが私の足元から湧き上がってきて、(雷が落ちるのではなく、逆に上がるようなイメージです)天へと駆け上がっていき、呆然とするわたしに「我は里の行、満業したり〜!」という叫び声が背後から聞こえ、それに呼応する「おお〜!」という同じ眷属の喜びの雄叫びが聞こえたりしました。

いつもお参りする神社に入った時には「巫女よ!巫女よ!」と喜びに満ちた声が頭の中で響きました。

これは、本格的に頭がおかしくなってしまったのかもしれない。とも思うのですが、腹が揺るがないというか、多幸感に包まれて、(ほんの何度かですが座禅の真似事をしていたときに感じたことのあるものを100倍くらいにしたもの)体の力が抜け、知覚が鋭敏になっているのがわかるのです。

人は自分の鏡と言いますから、自分の状態がわからなくなる時は周りを見るといいと思っているのですが、大切な友人たち、出会う人々が私を見ると実に嬉しそうにくつろいだ笑顔を見せてくれるのです。

「きれいになった」と何度も人に言われました。そういったお言葉で、どうやら狂ってはいないらしい、、、と胸をひそかになで下ろしていました。


これが覚醒?


ツインソウル、という言葉を知ってから、何度も思っていました。

「ツインソウルなんて幻だったらいいのに」

「わたしの勝手な勘違いだったらいいのに」

「更年期前で、中年の危機というやつで、恋に溺れたくて昔の恋人に連絡して、運命だとかのぼせ上がっている欲求不満の主婦のたわごとだったらいいのに」


我ながらひどい言葉の数々です。

もし、再会がなければこのまま平穏な人生が待っています。半分死んだようになって、早くこんな人生終わればいいのにと怒りを感じるエネルギーもなく、ブツブツと世の中を呪いながら生きて行く。それがわたしの未来でした。

「彼」をもう一度見つけてしまった日。やりとりを再び始めた日。

ものすごい性的な高まりがわたしを襲いました。彼が好きすぎて、のぼせておかしくなってしまったのかと思うほどの、力で、下半身から竜巻のように昇っていくエネルギーを感じました。単なる性欲とはレベルが違います。


わずかな知識しかありませんが、クンダリーニというヨーガの概念の絵を見たことがあり、その絵で見たように大蛇がとぐろを巻いて上昇していくようなとんでもない感覚でした。

スピリチュアルに興味はあっても、チャクラとかクンダリーニという話になるとなぜか眠くなりまともに本を読めたことがありませんでしたから、今でも知識はあやふやです。ですが、この力強い高まりがあってから、たった二日で面変わりするほどの変化がありました。

ひらたく言うと、若返りました。たった数日で肌は透き通るようになり、姿勢も良くなり、28歳の頃、自分のベストだったと思える頃の体型に戻り、何よりも、自分の顔が大好きになっていました。




再会 そして別離の意味を知る


再会の日。

変わらないねと言い合い、笑顔で過ごした数時間。
宝物のような思い出がもうひとつ増えました。
神様ありがとう。



15年という月日が経っても、変わらないのは、互いがキラキラした瞳で見つめ合ってしまうこと、そして笑顔、会話がどんどん弾んであっという間に時間が経っていくこと、もっともっとおしゃべりしていたいと思うことも。本当に15年もたったのかな?と互いに笑いあいました。

変わったのは、「彼」の優しさ、穏やかさでした。若い時にはお互い言葉が鋭すぎて傷つけ合ってしまうのではないかとひやりとしたこともあったのですが、別離の間に、いたわりのある言葉、気遣いを素直に見せること、温かい視線を彼は身につけていました。

若かった頃の角が取れて、より純粋に出会いを喜び合えているような、そんな気がしました。それはたぶん、私も同じだったでしょう。


長い長い別離でしたが、この喜びの日のためであったのかと、むしろ離れていて良かったのだと思えるほどでした。

互いに、それぞれの人生でしなくてはいけないことを果たして、大切で仕方のない人とどう過ごしたらいいのかを学ぶ旅から帰ってきた気がします。

比翼、という言葉があります。これは雌雄が二つに分かれて、ひとつずつの目と翼を持った伝説の鳥のこと。

わたしたちは、離れたようでいて、互いの目で世界を見て、ひとつの翼で羽ばたきながら、再びひとつになろうとする壮大な物語を生きている気がします。


2014年12月16日火曜日

再会の日


メッセージのやりとりから実際に会うまでは、互いに違う場所に暮らしていることもあり4ヶ月がかかりました。本当は、すぐにでも会いに行きたかったのですけれど、今はその期間が、必要だったとわかります。

この4ヶ月の間、感情の嵐を追体験することになりました。出会った喜び、失恋だと思おうとしたこと、諦めようとしたこと、やまない思慕の念、そして会わなかったことへの後悔。

毎日のように涙が止まらなくて、後悔して逡巡して、心の激情を誰にも見せないノートに書き綴り、ようやく心が落ち着いた頃、本当の再会の日が訪れました。


出会って、第一声はお互いに「変わらないね!」でした。




再会へのメッセージ


迷って、逡巡して、感情の嵐で心はめちゃくちゃな2週間ほどを過ごしました。

もう一度、会えたら、と思う気持ちと、15年も経っていて、忘れられているかもしれない、覚えておられたとしてもいまさらなんなんだと思われるかもしれない。

ですが、人生も折り返し地点を過ぎ、どんなに恥をかいても、愚かしくても自分の心に従って生きていきたい、と決めたじゃないと自分を励ましました。

彼に送ったメッセージは、「お元気そうでなによりです」といったあたりさわりのないものを短く。それでも勇気を振り絞って、書いた一文でした。

あまり眠れぬまま、次の日の朝早く、鋭い胸の痛みで目が覚めました。このままの精神状態だと本当に心臓か何かがダメになってしまうんじゃないだろうかと我ながら心配になる程の痛み。





深呼吸してパソコンを開いたとき、「彼」からのメッセージが届いていました。

昨夜遅くの日付がついたメッセージ。そこには、「また会いたい」という言葉が含まれていました。

私はそれを見て、声にならない叫びをあげて、椅子に突っ伏して泣き崩れました。





2014年12月15日月曜日

ずっと一緒


日本語は本当に示唆に富んでいるものと思うことがあります。




ずっと一緒だったんだ

肉体は遠く離れていても、実はずっとずっと一緒だった。



と気づいた時、
一緒、という漢字、待てよ。。。と。

「一つの緒」で繋がれたという意味なのでしょうか。



へその緒のようなもの、紐のようなものが伸びて、ずっとツインソウルの彼につながっていたイメージが湧いて、おかしくてたまらなくなりました。

透明できらきらしていて、結構太くて、ずっとつながっている。胸の真ん中かな?

場所はどこでもかまわないけど。

時間も空間も幻想だけど、こういうイメージはわかりやすくてとても面白いものです。


















ツインソウルにとらわれない


ツインソウルという概念は、わたしの激しい感情の動きに翻弄されてクタクタになっていたとき、本当に救いになりました。

ですが、逆説のようですが、ツインソウル(ツインレイ ツインフレームという言葉もあるのですね)という言葉や概念は理解の助けにはなりますが、それ自体が目的ではないということです。

モーツァルトやベートーヴェンの作曲した音楽の譜面は、どのように解釈するかは指揮者によると聞いたことがありますか。譜面はあくまでも、なるべく忠実に作曲家の耳に聞こえている音楽を再現するための指標であり、そこに書いてあることがすべてではなく、もっともっと伝えたいことをなんとか二次元に落とし込んでいるということらしいのです。

こういうとき、言葉や記号は助けになります。理解が進むし、特に理性はまったく理解できない動きには固まってしまい間違いなのではないか、気が狂ったのではないかと思うものです。そこでツインソウルという言葉があれば、それが指標となって理解しやすくなるのではないかと思うのです。

本当に味わって欲しいのは、男性あるいは女性の唯一の存在を見つけて愛し合うということを通じて、この世界は、この宇宙は本当に唯一の愛でできているということを知ることです。

呼吸をしている空気、今日つまづいた石ころ、はらりと落ちてきた葉っぱ。それらすべてに宇宙の神の意志が宿っていて、すべてが神のかけらであり「一」であるということを感情と肉体を通じて、実感することです。

ツインソウルに出会うことは素晴らしい体験ですが、それ自体が唯一の道ではありませんし、たまたま今生では出会わない設定をしているかもしれません。

私もいくつかの前世を思い出しましたが、出会っていないものもたくさんあります。今回は壮大な愛の物語を生きるために、きっと約束して生まれてきたのでしょう。

ふたりは、神の懐から飛び出したあの日からずっと、分離という幻を通じて、本当の愛を味わおうと決めているのでしょう。冒険、クエスト、ゲームや映画であるような物語。

誰もがあなただけの物語の主人公で、壮大なシンフォニーがあなたが指揮者として奏でられているのです。






一人にしてごめん


ツインソウルという言葉を知り、「彼」がツイン何かはわからなくても、自分にとってかけがえのない存在だと確信するに至りました。

「彼」の写真をネットで見つけた時、「一人にしてごめん」とつぶやきました。

彼は一人ではないはず、家族もいて仕事も順調というのが伺えました。でもその写真での彼は傷ついて一人で戦っているように見えました。

「一人にしてごめん」

自然と湧き上がったその言葉の意味は、まだわかりません。






ツインソウルという言葉 そして再会へ


2014年の夏が始まった頃のこと。

すべての「行」が終わったという感触と、ではこれからどうしようか?という不思議なふわふわとした感覚で日々を過ごし始めた頃のこと。

ではこれからは、自分の好きなように生きようと決意したのでした。それまでは家族のためにすべて捧げて生きて来た、これからはもう好きに生きよう。そういう私が気に入らなくて離婚するというならそうすればいいわ。

それまで、恐怖に身を縮めて生きて来た私が、自分を取り戻した気がしました。

そして、昔好きだったことなんかをいろいろとネットで検索していたとき、「彼」を見つけてしまいました。

彼の写真を見たとき、あの日、初めて会ったあの日と同じ衝撃を受けました。

息ができなくなって、ドキドキして、身体中に小爆発が起こっているような感覚。時が一瞬止まったような気がしました。

16年経って、同じ人にまったく同じように感じるなんて。

涙が止まりませんでした。変わらず、お元気で過ごしておられたという感動と、こんなに好きな人を諦めた15年前の自分と、同じように感じたという衝撃。

激しい恋心と揺るぎない愛情。

彼との別離から恋愛しようとしてもできなくて、恋愛感情ではなく理性で決めた結婚も、うまくいかなくて、苦しみ抜いた15年。やはりこの人が好きだったんだ、この人しかいないんだ、という確信に、涙にくれました。

それからの2週間は、連絡をしたいという思いと、もう忘れられているのではないか、忘れてなくても今更なんなんだと思われるのではないかという葛藤で揺れ動きました。

あまりにも激しく感情が動くので、苦しいのと少しでも理解したいという思いからインターネットで検索をして「ツインソウル(ツインフレーム ツインレイ)」という概念を知りました。

当てはまることが多くて、驚き、この概念をもっと早く知っていたらという悲しみも同時に感じたのですが、、、

そして、「彼」にメッセージを送ってみたのです。

無視されて当然、、と思いつつも。





「いい子」からの卒業 罪と罰


わたしは、ずっと「いい子」で生きてきました。いい娘として、いい姉として、いい孫として、いい妻として。

何が「いい」なのか深く考えもせず、いい子でいれば愛される。いい子でいれば幸せになれると盲目的に信じていました。

24歳でツインソウル(と思われる)「彼」に出会い、強烈に惹かれあい、抱きしめられた日に、私の中で「罪」という恐ろしい言葉が響き渡りました。

その時の私にとって、既婚者との恋愛、不倫は恐ろしい罪であり、自分のアイデンティティのすべてを崩壊させるものでした。

そんな道に入ってしまったら、どうなるのだろう?

普通に結婚して、仕事して、出産してという「普通のこと」ができなくなる人生とはどんなに寂しくて恐ろしいだろう?

「彼」へ惹きつけられる思いは到底自分の理性の力を超えていました。会えば、制御できなくなるという確信は本当に恐ろしかった。彼とつながっていれば、「普通の幸せ」を選ばない、選べない自分が見えるような気がしました。



全部、魂も体もぜんぶ持っていかれるような感覚。

胸の中に互いに工業用磁石が埋め込まれていて、いきなりその磁石が引き合うような強烈な感覚。

初めて会った日、じーんと魂ごとしびれて、自室に帰ってしばらく膝を抱えてベッドに座り込んでいました。何が起こったのか理解できませんでした。

こんなに魂を感じるほどの人に出会ったのに、近づいてはいけないんだ、諦めなくては、と思ったのを思い出します。

それからは、憧れの人として言葉を交わすようになって、彼が私に近づきたがるのには気づかないふりをして、静かに別離の道を選んだのです。



それから15年。

すべての修行が終わったという実感が突然湧いてきて、今までいくらスピリチュアルな本を読んでも、肉体を鍛錬しても感じられなかった「ほんとうのかんじ」がわかるようになりました。

世界には、罪も罰も、正邪も、上下も、優劣もなく、すべてが等しく光り輝く神の分け御魂だと、見えるようになったのです。

そこでわたしは初めて、自分が愛したことが罪ではないと理解しました。あえて罪と呼ぶなら、自分を罪人とレッテルを貼った、わたしの理性のあやまちでしょうか。

それすらも今は愛しいと思えるのですけれど。




運命の変わり目 生命の泉


運命が変わったとはっきりと感じられたのは2014年5月の末のある日でした。


その日の朝、亡くなった祖母を思い泣いた後、久しぶりに「彼」を強烈に思い出してたまらない思いににとらわれていました。

昼頃出かけたのは、とあるお寺でした。そこを歩いている時不思議な感覚におそわれました。




音もなく湧き出す清水、遠くで聞こえる鳥の声だけ、という静寂にそのあたり全体から暖かいもので包まれている感じがしてきました。

「それ」は力強く、下から上へと私の体を柔らかく貫きました。

そのとき感じたのは「これが生命の泉。それに今触れている」というものでした。




自分もその生命の泉の一部、泉からほとばしる小さな滴の一つなのだと。

生命の泉は甘露でした。暖かく、甘く、すべてのいのちを育む。

静謐で、にぎやかで、すべてが弾けるように笑っている。
楽しい。

それがいのち、でした。






ずっとずっと探していた答えにその日、出会ったのです。

それは生命の全肯定であり、人の理性にある分別を超え、善悪も罪も罰もなく、ただひたすらそのままの、ありのままの姿でいたらいい。

「彼」を愛することを自分に禁じてから15年が経っていました。

半身をひきちぎるようにして、諦めようとして諦めきれず、大人になろうとして、しかばねになりかけてもそれでも生きてきた、自分を否定して、叱咤激励して向上しようとして、それでも自分を認められず受け入れられなかった長い長い苦行の日々が終わった瞬間でした。


ツインソウルと別離のあいだ その2

鬱状態になってから、回復まで4年が必要でした。そのころまでには夫の態度もかなり良いものとなって、少しずつ人らしい交流ができるようになっていました。

夫婦としては破綻したままでしたが、それでも「子供ができたらこういう学校がいいよね」と彼は時折話していました。

夫からの拒否で結婚して数ヶ月で夫婦の生活はまったくなくなりました。ですが、わたしはその言葉に一縷の望みを抱いていて、このまま耐えれば、我慢すれば、いつか本当の夫婦になれるのかもしれない、と信じていました。いえ、信じたいと思っていました。

自分が選んだ結婚なのだし、結婚は誰としても我慢と忍耐が必要なのだと母も友人も言うし、それが真実なのだろうと、考えていました。せめて良いところを見つけよう、鏡の法則という本を読んで、相手の嫌なところは自分の鏡なのだから、自分が成長していかなければと思っていたのです。

そう信じて、待ち続けて、わたしは2014年に40歳になりました。

この年の前半は実家の取り込みがたくさんあって、子供も仕事もないわたしは飛び回って皆の面倒を見ることができました。その自由な境遇をありがたいと思っていたことも事実です。

その取り込みがひと段落した5月末のこと。

突然声が聞こえました。

「はい、里の行終わり。ごくろうさん」

一人でリビングにいた私は、「え?誰?」と周りを見回してももちろん誰もいません。スタンプをポンと頭に押されたような感覚があって、うろたえました。

そのときに私の運命は、変わったのです。






ツインソウルとの別離のあいだ その1

ツインソウル(と今なら思える彼)との別離の間どのように生きてきたかと一言で言うと、必死でした。

20代の終わりから30代は誰しも大人になるためにあがいてもがいて、うまくいかないことも多くて苦しんで、家族のためにも生きなくてはいけなくて、という年代なのではないかと思います。

私も仕事を覚え、夢中で働いた20代の後半。それはとても楽ではないけれど楽しくて仕方のない時期でした。ただ、彼氏はできませんでした。自分で言うのもなんですがよくモテたし、デートの相手には事欠きませんでしたが、私は常に彼を探していました。彼は私にとって最高の男性でした。その「彼」と「出会った人」を比べるのではないのです。さすがにそんな失礼なことはできません。比べるのは、「彼への気持ち」と同じくらい深くて激しいものを出会った人に感じるかどうか、でした。

誰にもそんな風に感じませんでした。悪くない相手、周りもお似合いだよと言ってくれる人、31歳までに結婚しないとさすがに紹介できなくなるよ、という声にプレッシャーを感じていた私は、必ず31歳で結婚すると心を決めました。引き寄せの法則が流行り始めた頃で、自分の決めたことはすべてかなってきたという確信も持っていました。

そして、31歳と10ヶ月目に出会った男性と、結婚を決めました。

優しそうな笑顔が素敵で、職業も、学歴も、互いの実家のことも、見た目も、とても釣り合いの取れたカップルでした。結婚を決めた日、その日はとても嬉しくて、久しぶりに幸せを感じたことを覚えています。

ですが、心身ともにどん底に落ちていくまで結婚して半年もかかりませんでした。原因は過労と、夫からのモラハラ。ストレスが大きな仕事と、細かいことを指摘して厳しく言われながら家事を両立することが、私にはできませんでした。あっという間に夫婦としての生活は破綻しました。結婚して2ヶ月で「休みたい、休みたい、死んだら休めるのかな」と常に頭でつぶやくようになっていました。

死への希求は、それからも止むことなく、本格的な鬱状態になってからは、発作的に襲ってくる消えてしまいたい、死んでしまいたいという気持ちを、必死で抱え込んでいました。自殺しなかったのは、完遂する方法が考えつかなかったからです。完遂できず、しょうがいを持って、今度こそ完遂できない体となって生きていくことはさらに恐ろしい未来でした。それだけが、わたしが自殺しなかった理由です。



ツインソウルのランナーとして その4


ツインソウルと出会いながら逃げた(ランナー)という自分のことを書きたいと思ったのは、いくつかのブログを読んで、ツインソウルに去られたという別離に苦しみ抜く方々の文章を読んだからです。

追う立場(チェイサー)の方々がこれほど苦しんでいる。わたしのささやかな体験ですがランナーとして、逃げた経験のあるものとしては、どういう気持ちで何も告げずにいなくなったのかをおしらせしたいと思いました。

一度くっついてしまった、完全な球体となった二人の関係から、体を引きちぎるような痛みを感じながらも、逃げたのです。

世間がどうのとか、良い子としての体面とか、それはみんな後付けの理由です。大きいですが本質ではない。

本当の愛を知ったことと、それを失う恐怖(失うことを確信しているとまで感じていました)。

ツインソウルに去られて苦しんでおられる全ての方に「ごめんなさい!」と謝りたい気分で書いています。


別離の苦痛は、毎日のように私を責め苛みました。それはいつか週一度になり、時間が経つにつれ、月一度になり、半年に一度になりました。彼は、時折メールをくれましたが、そっけなく返事をしたり、しなかったりするうちに連絡も途絶えました。

年に一度くらいになったころ、ホッとして自分に語りかけたものです。「ようやくそろそろ思い出にできたかな」と。

ですが、遠く離れたところから届くパルスのようなものは止むことはありませんでした。

なんの前触れもきっかけもなく、身体中が締め付けられるように切ない痛みを感じ、息ができなくなります。彼を思い出して、涙が溢れる。それは、1年に一度は必ずやってくるつらいつらい瞬間でした。

それは、15年後、彼に再会するまで続きました。






ツインソウルのランナーとして その3


今、思い返すと自分がそっとツインソウル(その当時はその言葉は知りませんでしたが)の彼から離れたのは、「逃げ」でした。

愛を貫く強さがなかったとも言えます。世間の仕組みをそのまま飲み込んでいた自分の「いい子」でいたいという欲望が自分の気持ちを殺したとも言えます。

ですが、もっとも大きいのは、これほど好きで全身全霊で求めてしまう人に、愛されなくなったらどうしようという恐怖でした。

当時は、「こんな素敵な人がわたしなんかを相手にするはずがない」と何度もつぶやいていました。片思いなんだから、既婚者に片思いをしたところで仕方がないと納得させようとしていました。

それ以前に何人かボーイフレンドもいました。自分が魅力的だと言われたこともありました。でも彼に愛されるということを想像するだけで恐ろしくて仕方ない。

本当の自分を見せるのが怖かったのかもしれません。成長期にあるものとして、自分はまだまだの存在でこれから身につけなくてはいけないことがたくさんあるし、何もかも不釣り合いで、彼にずっと愛されるなんてありえない、と。

「マディソン郡の橋」の女主人公が、涙ながらに一緒にはいかないと決意するときの言葉「あなたと一緒になっても愛は長続きしない」というシーンには号泣しました。こんなに好きなのに、抱きしめられたのに、そのあと一緒に歩んでいくことになったらどうなるの?失ってしまったらどうなるの?

圧倒的な愛情に包まれる幸せと、それを失う恐怖。

それがなくなったら生きてはいけないという確信。

それが私が逃げた理由でした。

ツインソウルのランナーとして その2



それから、彼からはそっと離れました。

仕事の関係で互いに違う国にいたので、連絡手段はメールだけでしたから、メールをしなければそのままそっと消えることができます。

将来のある大切な彼を迷わせてはいけない、それがわたしの言い分でした。

外見上は、するりと彼に抱かれた腕から、彼が仕事に一生懸命な間に抜け出したように見えます。ですが、もう会わないという決意がどれほどつらいことであったか。

その頃はツインソウルという概念は一般的ではなく、ようやくソウルメイトという言葉や前世療法が広まっていたころでした。

彼との出会いまで、スピリチュアルに興味はありましたし、本も何冊か読んでいましたが本当に前世を実感するような出会い、魂のパートナーはこの人だと思える人に出会っているのに、諦めなくてはいけない。

互いの魂が震えて、どうしようもなく惹かれ合っていることをわかっていながら、離れるということは、半身を引きちぎるような痛みをともないました。


それでも忘れなくてはいけない、諦めなくてはいけない。

ソウルメイトは一人ではない(というの論調が一般的でした)のだからきっと、また他の恋に出会えるはず。結婚した後に出会ったということは、結ばれる運命ではなかったのだ。

そう思い、自分を納得させようとしました。


ツインソウルのランナーとして その1

ツインソウルの概念で「ランナー」と「チェイサー」という言葉を昨日知りました。私は女性ですが、典型的な「ランナー」(逃げる方)だと思ったので、それについて書きたいというか、書かねば!という気持ちになり、ブログを始めることにしました。


私がツインソウル(と思われる男性)に出会ったのは16年前のことになります。ツインソウルの出会いでもよくあるパターンとしてさまざまなブログや書籍に書かれていますが、彼は既婚者でした。しかも、出会いのほんの1ヶ月前に結婚したばかりでした。

互いに出会った瞬間から強烈に惹かれあって1年が過ぎましたが、この気持ちを表現することはできませんでした。私は24才で、既婚者との恋愛なんて考え付きもしませんでしたから。

一年が経った頃、一晩だけ、二人きりでデートすることがあり、そのとき彼の腕に抱きしめられました。

その時の至福の感覚は今でも鮮やかに思い出します。

本当の幸せを感じ、嘘みたいと頭で何度も叫ぶように喜びに満ちていました。

ですが、その後襲ってきたのは、とてつもない恐怖でした。

私は何代も続く家の長女として「いい子」で育ってきましたし、勉強も仕事もこれからというところにいました。

「不倫」という言葉はとてつもなく重く、十字架を背負わされ、石を投げつけられ、血だらけになる自分が見える気がしました。

そして、二人の関係としては、私にとって彼の存在はすべてに等しくて、一緒にいようとしたら彼がほとんどの視界を覆ってしまうだろうという恐れもありました。その時は、まだしたいことがたくさんありました。世界を見たい、仕事をして一人前になりたいという気持ちでいっぱいでした。自立して生きる、男に養われるなんてまっぴらごめんという信条を持っていました。

だから、彼の現実(きちんとした仕事と家庭)には私の居場所はない、とこの関係は発展させてはいけないと決意したのです。

でも今ならわかります。それはすべて言い訳でした。

最も大きい恐怖はこれほど好きで仕方のない人に嫌われたり愛が終わってしまったらどうしようというものでした。