2014年12月15日月曜日
ツインソウルにとらわれない
ツインソウルという概念は、わたしの激しい感情の動きに翻弄されてクタクタになっていたとき、本当に救いになりました。
ですが、逆説のようですが、ツインソウル(ツインレイ ツインフレームという言葉もあるのですね)という言葉や概念は理解の助けにはなりますが、それ自体が目的ではないということです。
モーツァルトやベートーヴェンの作曲した音楽の譜面は、どのように解釈するかは指揮者によると聞いたことがありますか。譜面はあくまでも、なるべく忠実に作曲家の耳に聞こえている音楽を再現するための指標であり、そこに書いてあることがすべてではなく、もっともっと伝えたいことをなんとか二次元に落とし込んでいるということらしいのです。
こういうとき、言葉や記号は助けになります。理解が進むし、特に理性はまったく理解できない動きには固まってしまい間違いなのではないか、気が狂ったのではないかと思うものです。そこでツインソウルという言葉があれば、それが指標となって理解しやすくなるのではないかと思うのです。
本当に味わって欲しいのは、男性あるいは女性の唯一の存在を見つけて愛し合うということを通じて、この世界は、この宇宙は本当に唯一の愛でできているということを知ることです。
呼吸をしている空気、今日つまづいた石ころ、はらりと落ちてきた葉っぱ。それらすべてに宇宙の神の意志が宿っていて、すべてが神のかけらであり「一」であるということを感情と肉体を通じて、実感することです。
ツインソウルに出会うことは素晴らしい体験ですが、それ自体が唯一の道ではありませんし、たまたま今生では出会わない設定をしているかもしれません。
私もいくつかの前世を思い出しましたが、出会っていないものもたくさんあります。今回は壮大な愛の物語を生きるために、きっと約束して生まれてきたのでしょう。
ふたりは、神の懐から飛び出したあの日からずっと、分離という幻を通じて、本当の愛を味わおうと決めているのでしょう。冒険、クエスト、ゲームや映画であるような物語。
誰もがあなただけの物語の主人公で、壮大なシンフォニーがあなたが指揮者として奏でられているのです。
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