15年間の別離から、ツインソウルの彼との再会がかなってから、わたしの人生は大きく変わりました。
それまで、無力感と虚無感に捕われ続け、周りから見ればしあわせな暮らしでしょうが、自分は「これが人生なら早くやめたい。一刻も早く天に召されますように」という願いしかありませんでした。
常に、死んだ後のことを考え、持ち物は極力増やすことなく、これは誰に受け継いでほしいか、誰に連絡をしてほしいかを信頼の置ける人に、段取りして、というのが唯一の未来でした。
ツインソウルとの再会で、とんでもないエネルギーが自分を貫いて、わたしは元気いっぱいだった20代後半の体と心に戻ってしまいました。世界の何もかもがキラキラしていて、新しい冒険と出会いの期待に胸を膨らませていたあのころ。
身体も一気に15年分の時計の針が巻き戻されたようで、常に感じていた疲労感も感じなくなりました。ツインソウルの彼と別離しようと決めた15年前のあの日から、わたしはまるで半身を失って生きてきたようなものでした。それがいきなり全身のパーツがそろったような、いきなり普通の人間に戻り、動けるようになったような、つまり本来の力を取り戻したのです。
精神的にはまるで、記憶喪失から突然目覚めたかのようでした。
わたしはここで何をしているのだろう?という疑問が湧いてきました。目の前にいる、夫、10年近く一緒にいる人を見て、「この人は誰だろう?なぜ一緒にいるんだろう?」という問いかけを(頭の中だけですが)してしまうのです。申し訳ないという気持ちと同時に、どうしてこの人に、わたしは力を奪われ続けているんだろう?という疑問が頭を去りませんでした。
夫とわたしは、条件があったこと、タイミングがあったことで結婚しました。夫からのモラハラと激務の過労で、すぐにどん底に落ち込んだ結婚生活をなんとか少しずつ谷を登って、ここ2年ほどは表面的には安定したものにしてきました。
それは私が、力を差し出し続けて、保っている結婚です。そういう相性もあるとは思うのです。五行のいう、相克のようなもの。ですが、わたしは最初に力を言葉の暴力で奪われ、自分を無力で、無能な人間だという「事実」(にそのときは思えました。信じて結婚した人にそう言われたのだから)を受け入れてしまったのです。
ずっとそれから、奴隷のように「お役に立つ」ことで、生活の面倒を見てもらう、というがんじがらめの心理状態で結婚生活を続けていました。怖くて意見を言うこともできず、仕事で疲れて不機嫌な声を出されると恐怖で体が固まっていました。このままでは、早晩、心臓がやられて死ぬだろうなという予感がありました。それもいい、いっそ死にたい、とずっと思っていました。この結婚を逃げ出す勇気を持てず、自分がどうしたいかという意思を持てず、こんな人生は意味がない、早く終わりますようにと願って生きてきました。
私自身、自分も他人もきっと自分の役に立つかどうかという基準で生きてきたのでしょう。
鬱状態のひどかったころ、頭の中で「死ね死ね、お前なんか死ね」と響いていた声。あれは悪霊や死神なんかではなく、自分の魂の声だったのかもしれません。つまり「死ぬべき」なのは、偽りの自分。エゴと計算、冷たい打算だけで取り繕って生きていこうとする自分だったのかもしれないと、最近気づきました。
鬱状態のひどかったころ、頭の中で「死ね死ね、お前なんか死ね」と響いていた声。あれは悪霊や死神なんかではなく、自分の魂の声だったのかもしれません。つまり「死ぬべき」なのは、偽りの自分。エゴと計算、冷たい打算だけで取り繕って生きていこうとする自分だったのかもしれないと、最近気づきました。
夫婦は鏡合わせと言いますから、夫が私の本当の輝きを見ることなく、役に立つかどうかという自分の人生のコマとして扱っている、と思うならばきっとわたしもそういうふうに夫を見ているのでしょう。存在そのものではなく、もたらしてくれるもの、お金や力などを望んでいたのでしょう。
ツインソウルとの出会いは、そんなものを吹き飛ばしてしまいました。ただ存在自体が好きで好きで愛しくて仕方なくて、何をくれるとか何を上げられるとか、条件とか取引とかの理性は介在することができない、原初的な愛。
だからあまりにも純粋すぎて、この地上では生きながらえることのできない愛だと当時は思いました。あまりにも美しくて完璧で、この人間界では通らないだろうと。
今、大人になって、つらい修行をくぐり抜けて、この愛をこの地上で守ることができるだけの強さを持つことができたから、だから再会が叶ったような、そんな気もしています。
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