2014年12月27日土曜日

魂は死なない


16年前にツインソウルの「彼」と初めて出会った時、それまでの恋とはまったく違う激しい衝撃に、自分が吹き飛ばされるような気がしました。

「彼」は結婚していましたから、それを理由に忘れなくては、諦めなくてはと自分に言い聞かせ、1年後に(半身を引きちぎるような想いをして)そっと彼の前から姿を消したわけですが、違う角度から見てみると、この激流に耐えられるようになるまで、15年という年月が必要だったとも思えるのです。

二十代後半から40歳になるまでに経験した大人になるための知識や、相対する人への思いやりの示し方、そういうものを身につけるまで、「彼」に会うことは危険だと心のどこかでわかっていたのかもしれません。あまりにもむきだしになる感情と情熱に、自分がその熱で倒れてしまいそうになるのを、少し離れて見ることのできるようになるまで、この別離は必要だったのかもしれません。

「彼」と再びメッセージのやりとりが始まり、再び、激流にもみくちゃにされるような感情の嵐を経験しました。鳴門の渦に巻き込まれるようなかんじで、なぜ離れたんだろうという後悔と、会いたくて仕方ないという恋慕の感情で泣かない日はありませんでした。

その過程で、さまざまなビジョンを見るようになりましたが、中でもいろいろな前世が映像として浮かんできて、「彼」とのものを3つ思い出しました。それはいずれも同じパターンで、彼と深く激しく愛し合いながらも、身分違いであるとか、その他の理由で結ばれない、結ばれないならいっそ死ぬ、といってわたしは3度とも自害していました。そして冷たくなっていくわたしの体を抱きあげながら慟哭する彼。同じことをなんども経験して、魂は少しずつ学んでいくのでしょう。やり遂げられなかった課題を、もう一度、と願えば何度でも再生して、何度でも同じパターンでも少しずつ異なった状況で、わずかずつであっても成長をしていくのが転生を繰り返す魂の道なのかもしれません。

今回、彼とのやりとりが始まってから、なんども逃げたいという言葉が頭に浮かびました。そのたびにこの前世を思い出し、「また逃げるのか?また悲しみのどん底に彼を突き落とすのか?」と問われているような気がしました。

逃げるというのも自由意志です。人生には逃げなくてはいけないときもあると思っています。でも今回は、もう向き合えるだけの力をわたしは持っている。できることからは逃げないでいたい。

幼い頃から求道というのが私のテーマでしたが、それを追い求めてようやく一つの段階を超えて、すべてが一つであることを実感した時、それをよりヴィヴィッドに見せてくれるこの出会いへの扉が開いたのかもしれないと今は思います。





0 件のコメント:

コメントを投稿