2014年12月15日月曜日
「いい子」からの卒業 罪と罰
わたしは、ずっと「いい子」で生きてきました。いい娘として、いい姉として、いい孫として、いい妻として。
何が「いい」なのか深く考えもせず、いい子でいれば愛される。いい子でいれば幸せになれると盲目的に信じていました。
24歳でツインソウル(と思われる)「彼」に出会い、強烈に惹かれあい、抱きしめられた日に、私の中で「罪」という恐ろしい言葉が響き渡りました。
その時の私にとって、既婚者との恋愛、不倫は恐ろしい罪であり、自分のアイデンティティのすべてを崩壊させるものでした。
そんな道に入ってしまったら、どうなるのだろう?
普通に結婚して、仕事して、出産してという「普通のこと」ができなくなる人生とはどんなに寂しくて恐ろしいだろう?
「彼」へ惹きつけられる思いは到底自分の理性の力を超えていました。会えば、制御できなくなるという確信は本当に恐ろしかった。彼とつながっていれば、「普通の幸せ」を選ばない、選べない自分が見えるような気がしました。
全部、魂も体もぜんぶ持っていかれるような感覚。
胸の中に互いに工業用磁石が埋め込まれていて、いきなりその磁石が引き合うような強烈な感覚。
初めて会った日、じーんと魂ごとしびれて、自室に帰ってしばらく膝を抱えてベッドに座り込んでいました。何が起こったのか理解できませんでした。
こんなに魂を感じるほどの人に出会ったのに、近づいてはいけないんだ、諦めなくては、と思ったのを思い出します。
それからは、憧れの人として言葉を交わすようになって、彼が私に近づきたがるのには気づかないふりをして、静かに別離の道を選んだのです。
それから15年。
すべての修行が終わったという実感が突然湧いてきて、今までいくらスピリチュアルな本を読んでも、肉体を鍛錬しても感じられなかった「ほんとうのかんじ」がわかるようになりました。
世界には、罪も罰も、正邪も、上下も、優劣もなく、すべてが等しく光り輝く神の分け御魂だと、見えるようになったのです。
そこでわたしは初めて、自分が愛したことが罪ではないと理解しました。あえて罪と呼ぶなら、自分を罪人とレッテルを貼った、わたしの理性のあやまちでしょうか。
それすらも今は愛しいと思えるのですけれど。
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