2015年1月7日水曜日
自分の生存確認
自分は自分の姿を直接見ることができない
鏡に映った自分は、ほんのいっとき、化粧直しや、身支度のチェックでおすまし顏をしている
自分がどういう表情をしているか、
どんな人間かは
周りの人間の、表情と態度でわかる
笑顔なのか
くつろいでいるのか
緊張しているのか
冷たいのか
人に見つめられて、自分がここにいることを確認する
10年前、父が亡くなってから、わたしは生まれてからずっと私を見つめていた瞳を失った。
それは30年以上、生まれた時からずっとそこにある瞳で、子煩悩な父はこどもたちがかわいくて仕方なく、どんなに生意気なことを言っても目尻が下がってしまうという溺愛ぶりだった。
わたしたちきょうだいは安心して、好き勝手なことをして、世界中を旅して、土産話をした。それだけで父は喜んだ。
突然その瞳を失って、わたしは自分がどこにいるかわからなくなった。誰も父のように、じっとわたしを見ない。そしてわたしがここにいることを確認することができなくなった。
自分が世界のどこにいるか、ぐらぐらとして浮き上がってしまったように感じた。
ツインと出会って、見つめ合っていると、今ここに自分が生きているのがわかる。
彼の深い瞳の中に、現世のすがたの自分、だけではなくて長い長い旅をしてきた魂の来歴のすべてが見える気がする。
彼に手を握られると、ふわふわと浮き上がってしまいそうな自分が、しっかりと地上に足をつけて歩くことができる気がする。
彼の心臓の鼓動で、わたしの肉体が熱を持っているのがわかる。
自分が生きているのがわかる。
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