2015年1月6日火曜日

傲慢からの決別

この半年間、悩みに悩んでいました。

どうしても彼への情熱を抑えることができない。狂いそうな思慕の激情を、思い込みが激しいからだとか、ほとんど彼の日常を知らないのに、美化して偶像化しているんじゃないだろうか、と、何度もなんども自分を説得して、諦めようとしました。愛は続くのだろうか?本当の私の日常を知ったら、彼はわたしなんてどうでもよくなるんじゃないだろうか?とも思おうとしました。


でも無駄でした。

降伏します。

世間の形としてはどうであれ、わたしは彼と一緒に生きていきたい。

それが本当の、魂からの望みだと、受け入れました。

初めて会った、16年前から、(年が明けたので、17年前になったのか)わたしは理性で生きようとしました。

愛は、意志の力で育んでいくもの、とどこかで生齧りしたような知識で、他の誰かと恋や愛を経験しようとしました。

でも、無理でした。代わりの誰かなんていませんでした。


私の最大の傲慢は、自分の意思で「愛」を作り出せると思ったこと。



でもそれは、人の仕事ではありませんでした。

天とか、神とかの仕事。

わたしたちの仕事は、愛から生まれたことを思い出すために、いったん忘れて、そしてまた愛の只中に放り込まれるような経験をして、愛を思い出すこと。

この世には愛しかないと思い出すこと。

初めて会った時に雷のように降ってきた「彼がわたしの相方」という直観を、もっと信じればよかった。

世間的に許されないことだからと言い訳して、抵抗して、「自分がしたいこと」(仕事や、結婚や、出産すること)を優先して生きようとして、トライし尽くして、もう生きる理由さえなくなった。

傲慢な、自分一人で生きているような「私」とはお別れです。








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