2015年1月20日火曜日

感情とセルフネグレクト

ツインソウルの彼との再会から、一ヶ月は再び触れることのできた愛に夢見心地、次の2ケ月目、3ヶ月目は、最後の毒出し(最後だといいけど、、)というのか、夫への恨みつらみが噴き出してきて、我ながら驚きました。

結婚生活において、痛みとか、悲しみとか、本当はものすごく感じていたのに、わたしはそれを「いい妻でありたい」「いい夫婦でありたい」という「欲」で見て見ぬ振りをしていたのでした。

表現されることのない、痛みや悲しみは、消えることなく圧迫されて、それを抑えるために無駄な力をかけていたのでしょうか。怒りが噴出してから、(ノートに悪口を書きまくりました)すっと身体が軽くなりました。



このように感情に蓋をしたことは、自分へのネグレクトと同じではないでしょうか。

セルフネグレクト、という言葉は、自分を、虐待に当たるネグレクト状態で扱い、不十分な食生活、不衛生な住環境、医療を受けないということを示すとのことですが、わたしは、自分の感情に対して、セルフネグレクトしていた気がします。



わたしは、「自分を愛するように他人を愛しましょう」という言葉がどうしても理解できませんでした。

自分を愛する、ということがわかりませんでした。

だから、同じように他人を愛するということは、もっとわからない。

「人は誰だって、自分が一番かわいいものよね」という言葉も、まったくわかりませんでした。

自分がそんなに大切な存在とはどうしても思えず、自分が大嫌いで、矯正すべき存在で、ダメなところばかり、何一つまともにできない、グズで、ブスで、という罵倒の言葉は常に自分の頭の中に響いていました。

思い返しても、母は厳し目のしつけはしていましたが、手を上げられるようなことはないし、怒られているのはむしろきょうだいでした。父には甘やかされていました。きょうだいへの叱る言葉も、その家にいるきょうだいは皆受け止めてしまうという説があるそうなので、その影響も多少あるかもしれませんが、、、いまだに原因はよくわかりません。

2014年の5月末に、「いい子でいなくては愛されない」という呪縛がとけ、自分の感情をようやくそのままで抱きとめられるようになりました。辛いと思ったらそのままを深く感じる。「つらいんだね」とその感情と一緒にいる。何かに怒りを感じたら「怒っているんだね」とそのまま怒りを感じる。


そうやって自分の心に蓋をしなくてもよくなった時、彼から流れ込む愛は、行き先を見つけ、私の中に流れ込んできました。

それは二つの干潟が、小さな水門で区切られていたのが、その水門が開けられたような感覚で、暖かい海水が私に流れ込み、わたしの凍っていた水を溶かして、また彼に還流するような感覚でした。








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