2015年2月2日月曜日

自分を愛するということ その2

自分を愛するということ、について考えていました。

それが、わたしがツインソウルと出会いながらランナーになった大きな原因のような気がして。もちろんいろんな側面があるので、それを一つずつ紐解いていくような作業をして、いつの間にか投稿も増えてしまっていますが、、、



「愛されないという確信」が、私をランナーにしたと大きな原因だと思うのですが、なぜ愛されないと思いながら生きてきたのだろう?

両親、祖父母にも愛されて育ちましたし、きょうだい仲もいい。(幼い頃はそれなりにけんかしていましたが)

仲間外れにされたこともないし、誰かに裏切られたような経験もありません。

でも、「愛されない存在である」と固く固く思い込んでいました。


わたしは幼稚園に入ったときに、「自分は他の子どもと違っている」と認識しました。事実として、「違っている」かどうかは別にして「自分は違っていると思った」子どもがどうするかというと、どうにかして「普通」になろうとします。

普通であるためには、自分を消さなくてはいけない。
普通でなければ、生存できない。
普通でなければ、愛されない。

それ以来、自分を理想の「普通像」に近づけるために、まるで粘土で彫刻を作るみたいに自分に泥を塗りつけ、形を整えようとしてきました。

ここがでっぱっている、ここが足りない、とつけたり減らしたりしているうちにわけがわからなくなる。

どうやってもうまく、「理想の普通」になれない。

普通に暮らす友人が羨ましくて、どうしてわたしはみんながやっている「普通のこと」ができないんだろうかと自分を矯正する日々でした。

そして、決定的だったのが、ツインとの出会いだったのかもしれません。

この人を愛してしまったら、(もう愛してますが)「普通の結婚、出産」ができない。普通の女として生きていくことができない。

でも魂ごと惹かれる力にどうやってもあらがえない。

なんとかして、普通に生きていきたい。

そして、ツインからは半身を引きちぎるようにして去り、「普通」だった婚活をして、出会った人と条件の合う者同士の結婚をして、愛が育まれるのを待って、、、結果は無残なものでした。

普通に、と望んだ、キャリアも作れず、出産もできませんでした。

絶望しきって、笑えてきました。何を望んでいたんだろう?
それはそもそも私自身の望みだったのだろうか?


自分は本当は、旅が大好きで、一人が大好きで、こうして、パソコンで文字を綴っていることに無上の喜びを感じるような、孤独が大好きな人間だったのに。

いい妻を演じて、病気にまでなって、本当は病気が、この生き方は間違っているよと教えてくれていたのに、長い間それにも気づきませんでした。


夫との結婚生活はカルマ的な部分もあるのですが、もう少し現世的に考えてみるといかに「普通」が自分を縛っていたのかと思います。

今、普通ではないかもしれない自分(その「普通」というのも完全に私自身の思い込みです)も大好きになってます。光り輝くように、自分が見えて、可愛くて仕方ないです。

もちろんツインも。






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