2015年2月17日火曜日

委ねるということ その2


委ねる、ということ。

どうしても、身を委ねる、ということがすっきり理解できていませんでした。


ツインソウルとの出会いは、自分が望んだものではなかったけれど、別離は自分で決めた。


再会も自分で決めた。これからどうするの?という段階になって、行き詰まりを感じていました。




自分で決めるということと、身を委ねるということのバランスがうまくとれない。


全部、お任せ、となってしまったら、人間として行動を起こさずじっと停滞してしまうし、


全部決める、となってしまうと、エゴが暴走して何が本当の望みかもわからないまま行動ばかりして疲れ切ってしまう。




それが、今朝の散歩で、ふっと腑に落ちました!


順番としては、


常に、天地とつながって神様とともにあることを意識し、幸せに満たされる。


そして、魂の望むことをすると決める。

一歩でもいい、行動を起こす。(どんなに常識ではバカバカしいことであっても。結果に繋がりそうに見えなくても。むしろ遠ざけてしまいそうで不安になっても)


結果までなんとかしなくてはならない、というコントロールしたい気持ちは手放す。


あとは、朝日が必ず昇るように、月は必ず満ち欠けするように、宇宙の摂理は完璧であることを信じる。


いくら、自分で行動することが大事といっても、「真夜中なのに太陽を昇らせようとする」ようなことはしない。(笑えるけど、こういうところが20代の私にはありました。望めば叶う、を過信しすぎ!)





要は、「コントロールしたいという気持ち」と「自分で決めて行動する」というのが同じ「自力」に見えてしまっていたのでした。


「他力」と「自力」って、スピリチュアル系か、キリスト教の本で昔読んだことがあるのですが、「神はあなたが一歩進めば百歩近づいてくる」というものと同じなのかもしれません。


自分と神様が、タッグを組んでいる、わたしは切り離されて迷子になっているわけではなくて、常に神様の一部、と思えることで、無駄な「自力」「努力」をようやく手放せた気がします。




ただ、魂の声を聞くというのが、なかなかできなかったのでした。


ワクワクすることをしていきましょう、という本も読んだことがありますが、そのときのわたしのワクワクは、「有名ブランドのバッグを持つこと」とか「高級車に乗ること」という、物質的なワクワクで(汗)、まあそれも通過してみて、たいしたことないとわかるのでよかったのかもしれませんが、、、


ツインに関しては、頭のコントロールがまったく効かなくなる分、魂の声だけが聞こえるようになってしまって、頭がおかしくなってしまったのかと本気で何度も思いました。


でもやっぱり、人は魂であることを思い出して、魂として生きるということ、それがほんとのワクワクライフなのですね。どんなスピリチュアル本を読むよりも、苦行するよりも、ツインに出会って揉まれる方が悟りが早いかも、、、激しいですが。


その先に、「他力」と「自力」が混ざり合って、分離対立していない、「自然(じねん)」の境地、ふと望むこと、行動することが、イコール神様と同じ境地、に行き着くのかもしれません。









2 件のコメント:

  1. おはようございます。
    私も20代の頃は「コントロール」して、自分はこれでいいんだ、と言い聞かせ、なんでも後悔しないように行動する!って強い思いでした。
    その頃もツインは近くに居たのに、
    暴走して「委ねる」事が出来なかった私は、気が付く事はなく。
    でも今思うと宇宙からの、
    ヒントもきちんと落としてくれていて、
    でも魂の思いに、なんだろう…という事しかわかりませんでした。
    魂の望むこと。コントロールしたい思いは捨て、行動する。「自然」じねんですね。

    とても考えさせられます。ありがとうございます☆

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    1. akkonさん コメントありがとうございます。20代の頃は力で動いていけますものね。がむしゃらに生きたことは、それはそれでよかったと思えるのですよ。
      本文にちゃんと書いてありませんでした、要はわたし、ツインと一緒になりたいという思いが強烈になってしまって、どうしたらいいかわからなくなっていたのです。その答えが一つ今日、ふっと明らかになったのでアップしてみました。読んでくださってありがとうございました。

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