2015年8月31日月曜日

カルマの法則 女としての人生

カルマの法則とは、罰を与えられるということではなく、自分ひとりでは一面的にしか見えない、それゆえに、悪口を言ったり、せせら笑ったり、バカにしていたことを自分がその当事者になることで理解する、という面があると思うのですが、

先週のこと、わたしは常に「それって女みたいじゃない」と今の自分の境遇、専業主婦で仕事もない、ということを悔しく思い、卑下していることに気づきました。

ものごころついたころから、どうして自分は男じゃないんだろう、もっとバリバリ活躍したいのに、と思っていましたが、いかせんせん少し無理をするとすぐに倒れてしまう体力では、男並みに働くことはできず、「女みたいな暮らし」をせざるを得ないことに忸怩たる思いを持っていたのでした。

どうして、自分はこの体なのだろう?

細く、弱く、なよなよとして、体を使うことも鍛えることもできない。

もっと強くなりたい。

もっと働いて稼ぎたいのに。



女性らしく着飾ることを20代後半で覚えましたが、それは周りに明るい気分になってもらいたいからという、柔らかい心からではなく、単に男性ウケがよいから、でした。そしてそういうあからさまに変わる周りの変化を心の中でせせらわらっていました。単純ね、と。

わたしにとって着飾ること、化粧することは、歌舞伎の女形さんみたいに「女を演じる」という擬態のためのもので、武器で、武装でした。

心は男を捨てていない!じゃないけれど、「女」を、「女である自分」を、下に見ていました。

それに気づいたとき、過去世のいつか僧侶だったとき、「女は悟れない」「女が着飾って寺社詣でをしたところで無駄だ」といかつい容貌で話す自分の姿がパッと脳裏に浮かびました。

僧侶だった自分がバカにしていた、その「女」で生きるということがどういうことなのか。

わたしは今生、身をもって体験しているというわけなのでした。

魂に性別はなく、今はこの女としての人生を歩いている。

早く、この身を脱ぎ捨てたい、ではなく、これも神様、宇宙が作った貴重な体での体験なのかもしれない。

いろんな花に生まれ変わるように、今は、特に食用にもならない、風にふわふわと揺れているだけの花なのかもしれない。

弱者として生きる自分を俯瞰して、受け入れることができたとき、もっともっと世界を愛しく思えるのかもしれません。


そういえば、「女」として生まれて本当に良かった、と思ったのは、ツインに抱きしめられたときのことです。

それまでは「女」が嫌いなのだから、自分も当然嫌いでした。女であること、ツインと出会えたこと、それが嬉しいと思えたとき、もうひとつ、殻が取れた気がします。








色即是空

この地球

色即是空

空即是色

神のイマジネーションがこの宇宙で

すべて幻想、仮想であり、相対の世界

神自身は、絶対の境地

揺るぎない愛しかない世界

そのふたつの重なり合う場所がこの地球


地球で生きるコツのようなもの。

深刻になりすぎたら笑い飛ばし

瞑想しすぎて地に足がつかなくなったら、美味しいものを食べて生き返る

現実にがんじがらめになって息ができなくなったら、

空を見上げて祈る




ツインとは絶対の境地でつながっている

現実では離れ離れかもしれない

つながろうとする、一緒になろうとする

それは地球にいるからこそできる努力

もがいていても、魂はこの冒険に喜びを感じている



幻想であり、現実である

そのふたつに気づき、遊ぶこと

それが生きるということなのかもしれない





2015年8月28日金曜日

俗世を生きるということ

20代のころ、学歴、お金、社会的な成功、それを求めていました。

30代で結婚して、鬱状態が長く続き、それまで頼みにしていた「頭」(理性、努力)がまったく働かなくなり、地に足をつけることもできず、ふわふわとただ生きてきました。

40代になって、ふっと楽になり、そしてツインと再会しました。

それまでは、半分あの世に足を突っ込んでいたような、生きている実感のない10年。

この一年、ツインとの再会で、泣けるだけ泣き、もがき苦しんで、出会えた喜びに天にも昇る気持ちになり、

激しい執着と、絶望を繰り返しながら、ようやく落ち着いてきました。

そこでわかってきたこと。

この世で、蓮の花のように、泥(俗世)から花(真理)を咲かせるということ。

20代で出会ったツイン。

あのころは「天上の恋」だと思いました。

純粋すぎて、あまりにも透明すぎて、この世では生きることのできない恋だと。

それを、どうしても魂はこの世で実現したくて、厳しい修行の時期があったのかなと、今になると思えます。

あのころは、ガラスのように少しの衝撃でバラバラに砕け散ってしまいそうな恋だったのが

この時間を経ることで、ダイヤモンドの輝きへと、変容した気がします。


相変わらず、大して連絡も取り合わない日々ですが、気持ちはまったく変わらず、むしろ愛は純粋になっていく。

そして、わたしも俗世を花として生きていこうと、思えるようになりました。

そう決めると、どんどんと仲間が増え、自分の得意なことが発展させられそうな気配。

人生という冒険が始まろうとしています。

ツインと出会って、本当の人生が始まる。

あなたもそうだといいな。

今日も愛してます。


Camille





2015年8月27日木曜日

ささやかな自由意志

「もっとこうして欲しいのに」

「もっとこうだったらいいのに」

苦しくなる。



「おはよう、今朝も大好きだよ〜」と祈れば、幸せな気持ちに。

これがささやかな自由意志。

自分の人生、容姿、才能、家や育ちまで決めてからこの世に生まれてくるといいますが、たぶん真実なのでしょうが、今は決めたときのことは思い出せない。

思い出せないからこそ、今、自由意志として、日々の気持ちを選ぶ。

明るく、澄み切った空のように。

今日も大好き。

ありがとう。







2015年8月25日火曜日

ソースに触れる

ソース、二度づけしたらしたらアカンやつ、、、ではなくて、命の源、ソース。

なんとなく頭がすっきりしないので、家事の合間に映画を見て、印象的な一言に出会いました。恋人を失ったある人の、

「彼女を失ったことで、インスピレーションの源を失くした」

というような意味の言葉。

インスピレーションに満ちた人生、自由な魂の羽ばたき。

そういうものをわたしはずっと求めていました。

人生ってこんなもんじゃないはずだ、とずっともがいていました。

こんなもんじゃない、けれど何を望んでいるのかわからない。

だから、もっといい生活、もっと華やかな社交、もっともっと。

手に入れたら満ち足りるのではないかと。

そんなものに、夢はないのだとわかったとき、すべてに絶望して立ち尽くしたとき、ツインと再会しました。

そして、わたしは満ちたりました。


何も欲しくないし、何かに乗り遅れているのではないかという意味不明な焦りから解放されました。

すべてを内包する、命の源。

わたしたちを生んだ、すべての源。

ツインに出会えたことで、ソースに出会った。

このまま導かれるまま、生きていこう。

ソースを信頼して、自分の運命を愛する。

まずは、一番みじかな自然、わたしの体、を愛する。

わたしの体が嫌い、それは神の作った創造物を嫌うと同じことでした。


わたしも私を愛しています。ツインを愛するのと同じように。







2015年8月17日月曜日

ツインへの愛は自分への愛

よーく自分を観察していると、ツインとの関係が苦しい、やめたいと、もがくときというのは、「普通、付き合うと言ったらこういうことだから」「いまの状態では、付き合っているとはいえない」「きっとこれからも一緒にはなれない」「だったらきっぱり別れたほうがいい」という思考になり、恋愛という形が整わないことに、苛立ちと焦りを感じて、もういい!もうやめる!と思うようになり、

そして、そう決めた途端に、

地に足がつかないような、ふわふわとした感覚になり、どうしたら早く死ねるだろうか、この世は生きているだけで地獄だ、ということばがぐるぐると回り、何かをかぶったようにもやもやとして何も考えられなくなり、意欲もなくなる。



そこで、もう一度自分に問いかける。

「愛してないの?」

もちろん、愛していますとも。出会ってから、もうすぐ17年。

愛していないときなど一瞬たりともなかったし、これからもない。

飯田史彦さんのツインソウル、に書いてありましたが、魂の罪、つまりツインソウルと出会いながら愛を交歓しないことは、魂への罪であると。それがようやくわかってきた気がします。



ツインへの愛をやめようと思った途端に、自分への愛も遮断され、愛なくして生きていくことはできないことを思い知らされます。


ツインを愛することは、自分を愛すること。

あなたに出会うために生まれてきた、と本気で思うならば、

つまり、ツインのために、この自分は存在する。

たとえ、形は整わなくても、わたしが、彼に元気で、健康で、活躍して、才能を生かし切ってほしいと望むように、自分自身も大切にし、尊重して、ツインが隣にいて気遣ってくれるようにわたし自身を扱おうと。

ツインの宝物を、管理しているのが自分というように、思えば、投げやりになったり、暴飲暴食したり、心身を痛めつけたりできなくなります。



今日も愛しています。

ありがとう。


Camille


2015年8月10日月曜日

一緒になりたいという願いと

ツインと一緒になりたい、と願うことと

ツインと一緒になれなければ幸せになれない、と思うこと



このふたつって似ているようで全然ちがう!ということに今、気づきました。

願いと、執着の違い、なかなかわかりませんでしたが、いまちょっとわかりかけているかも。



中途半端な投稿ですみません。


でも忘れないうちに、書いておきたかったので。

暑いけれど、元気でお過ごしくださいね。

読んでくださっていつもありがとうございます。


Camille 

2015年8月9日日曜日

色を失うときもある

ふっと絶望にまたとらわれるときもあります。

このまま、逢うこともままならないまま人生が終わるなら、早く死にたい。

早くあちらであなたを待っていたい。

世界は色を失い、一度ポジに反転して極彩色に彩られた天国のようなこの世が、ふたたびネガに転じて、色を、香りを失う。

急速に死へと向かおうとする自分を感じる。



そういう瞬間も、抵抗しない。

今感じている感触を感じきる。

脱力して、あちらに向かおうとする自分も、そのままにしてみる。


そうすると、川のちょっとした淵で泳いでいるみたいに、ふんわりと体が軽くなり、温かい命の流れを感じ始める。

ふっと笑いが戻る。

ああ、生きてる。

あなたを愛しているということだけが確かなことだと、また思える。



こういうこともすべて、いいとか悪いとかはなく、ただ感じたことを書くこと。

それが、わたしのすること、なのかもしれないと思い始めました。

道徳も善悪もなく。

そのままの自分を愛して。





2015年8月5日水曜日

気長に考える

女性の恋愛は10代の頃から、かなり短く期間を区切った考えになるのかもしれません。


高校卒業、わたしの場合は進学のために故郷を離れたので、その当時付き合っていた彼とはどうするか、さらに卒業のあとはどうするか、海外へ行くことや、仕事への取り組み、そして出産の計画も含めた結婚、と、とにかくめまぐるしく、2、3年ごとに環境や考え方が変わるような20年でした。

男性は、それほどでもないのかもしれません。卒業したら、就職する。定年まで働く。その間に結婚して子育てして、ということはありますが。

40代になっての、ツインとの再会は、なにも急ぐ必要がないのだなと、ふと思いました。

20代で出会ったときには、わたしも結婚や将来を考えなくてはいけなかったし、こんな付き合いを続けたら心が壊れてしまいそうだと思っていました。

でも、今は、切れることのない絆を、しっかりと感じているし、少しくらい会えない時が続いても、ゆったりと構えていようと。

若い頃に続いていたら、あなたの子どもが欲しい、結婚したいと泣きわめいていたでしょうし、(まあ今ならそれもありだと思うのですが)今だからこそ、お互いしかいらないような純粋な関係となっていくのだと思います。

世間に教育(洗脳ともいう)されてきたような、27歳で結婚、32歳までに二人子どもを産んで、幸せなママ、というものを追い求め、そういったタイムリミットをうまくクリアして、人生すごろくを上がっていけば幸せなのかと思っていました。

でもそうではなかった。



ツインが、たとえ物理的には離れていたとしても、あなたの存在が人生にあること。

それが本当の幸せ。

さあ、今日もわたしの人生を生きます。




2015年8月1日土曜日

理想と現実


たぶん、一番苦しいと思うのは、「大好き」だから「一緒にいたい」でも「一緒にいられない」という理想と現実のギャップ。

そういうときは、まず感情の「大好き」に浸ります。

「だから一緒にいたい」というのは自然な流れのようでいて、どこかで「一緒にいるべき」という外部からの情報が入り込んでいるような気がするのです。

大好きに浸ると、ほんわかと幸せ。力が湧いてきます。

この現実をなんとかしたい、ともがき出すと、かさかさと砂漠のように純粋な愛が乾いていってしまう。

今は、大好きに浸り、そして、祈りを書き出し、それは忘れて、日々目の前に登場する方と人生を楽しみながら学ぶ。

その先に、何があるかはわからない!ともがくのは、「頭」が道筋を求めているからかもしれません。

道筋は、天にお任せなのです。

ただ、現在地と、理想地点、それしかわたしたちにはない。

そのささやかな二つの地点を、明確にすること。それが自由意志というものなのかもしれません。




天の配剤ならば

どうして、ツインが結婚した直後にわたしたちは出会ったのだろう?

どうして、近づこうとすると近づけないような仕事の配置になったのだろう?

どうして、こんなに遠い街に住んでいるのだろう?



そういうことを考え出すと、ぐるぐると八方塞がりになります。

八方塞がりになったら、深く穴を掘るか、天を見上げるしかしようがない。

深く自分を見つめ、それから天を見上げて、答えを求めました。

強烈に会いたい、一緒になりたいという想いが、起爆剤となって、これからふたりの人生の燃料になっていくのだと言われた気がしました。

純粋な愛となって、それでもこの現世を生きて行くということ。

何度もロミオとジュリエットか、近松門左衛門の心中ものか、と思い出すほど、死へと向かおうとする心。

それは、もう前世で経験済み。

今世は生き抜いて、困難な愛でも貫きたいと、それがわたしの魂の願いなのではないかと。

この現世には、倫理があり、法律があり、世間の目があり、非難される、駆逐されるという恐怖を植えつけられて生きています。

もっと、人は自由なのだと。
愛は自由なのだと、それを現世で現実にするのだと。


ささやかなふたりの愛でも、大切に育てていきたい。そう思えるようになりました。

というか、思わないと、倫理に力を奪われて、近いうちに死んでしまいそうなのです。死んだって構わないとずっと思っていたけれど、まだ生き抜きたいと魂は力強く脈を打っています。



ツインとの再会から1年。驚くほど生命力を取り戻したわたしでした。