2015年5月18日月曜日

ツインへの執着と諦め

執着


精神世界のことを勉強して、執着は捨てよう、というようなことを学びました。

でも、苦しいんです。

ツインへの執着を捨てることができなくて、苦しくて、自分を責めてしまう。

一緒にいたい、逢いたい、もう二度と離れたくない。

でも、こんなふうに執着するって波動が低いのかしら、自分は手放せないから、サレンダーしたとはいえず、だからこんなに離れていることが苦しいのかしら。


で、ハッと気付きました。

「執着を捨てる」ということに執着している自分に。



諦め、とは明らかに見る。ということ。

ツインに執着している自分を、「あきらめる」

執着しきってる自分を、許して、その執着に身を任せる。



いいんです、執着してて。

それが、自分とツインの幸せだから。

魂だけで生きているわけじゃない、肉体を持って生きて、出会った私たちは、肉体に執着したっていい。

いいじゃん。

それがわたしにとって自然なことだから。



2 件のコメント:

  1. Camille さん はじめまして。
    いつも共感しながら読ませていただいています。
    ありがとうございます。
    満たされない思い・・苦しいですよね。
    執着があるから苦しい、その苦しさから逃れるには
    執着をなくすか、思いを満たすかのふたつにひとつ。
    今はまだ、思いが満たされないから、執着をなくそう・・
    でも、ツインへの執着って理性や意志の力ではなくせない。
    私は思うんですよ、
    じゃあ、ツインが自分への執着をなくしたら
    自分はどう思うかって、
    自分のこときれいさっぱり諦めて欲しいかって。
    執着は求めの裏側にあるもの。
    私もCamille さんみたく 執着を楽しんでしまおうと思います。
    苦しいのもツインへの愛の感覚のひとつとして。

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    1. カオルさん 初めまして、コメントありがとうございます。確かに、逆に、ツインに「君への執着はもうないよ。きれいさっぱり諦められたよ」って言われたら、、、と想像しようとしましたが、できませんね(笑)

      向こうの執着もすごいですからね。というか、魂がひとつに戻ろうとする力を、「執着」って呼ぶこと自体がおかしいのかな?という気もしてきました。また少し考えてみたいです。新たな気づきをありがとうございます。

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