2015年5月31日日曜日

ありがとうございます 10万PV

このブログを開設して半年が過ぎました。

ブログの管理画面には日々のPVが表示されるのですが、昨日、ブログを始めてからのPVが10万を越えていました。

PVは世間的な比較をするようなものでもないのですが、そもそもツインソウルというジャンル(?)がさほど知られているとは言えない中では、わたしには重みのある数字となりました。

つたない文章を読んでくださった皆様に感謝です。

多くの方がツインソウルとの別離に苦しみ、なにかヒントをと探してくださっているのかもしれないと思うと、切ない気持ちでいっぱいになります。

と、同時に、少しでも楽になっていただけたらという思いを胸に、書き綴ってきました。

わたし自身、ツインへの封印した思いが15年ぶりにあふれ、どうしても書かずにはいられず半年の間自分の心を見つめ続けてきました。

半身を引きちぎるような別離をした自分自身への懺悔、ツインへの懺悔の気持ち。

失っていた感情、情熱、生きることの喜びを取り戻したこと。

周りの誰にも理解されない思いを、ネットで共有できる時代であること。

いろいろと思いがよぎります。




ツインと再び連絡を取り合ってもうすぐ1年が経とうとしています。

とても早かった、そしてとても生き生きとして、世界が色を取り戻したような一年でした。

物理的には離れていますが、ともに生きていることを実感し、感謝しています。


読んでくださっている皆様にも感謝を込めて。



Camille








2015年5月27日水曜日

やりとりを通じて

ツインとのメッセージのやりとり

忙しそうだったので、遠慮して返事のいらない報告メールをここのところ一週間に一度くらい出してました。

既読機能って便利ですね〜
すぐに読んでくれるけど、返事はなし。

そろそろ寂しくなってきたので、仕事がらみの話と、元気にしてる?と送ると、その日のうちに返してくれました。

短いやりとりをしてほんわか嬉しくなりながら、ツインソウルという言葉で、肉体を持つ三次元の存在としてのやりとりを雑にしてはいけないなと、思ったりしてました。

仕事に忙しい男性なら、負担にならないくらいのやりとり、相手が返しやすいボールを投げる、ということ。

いわば人間関係としての、普通の気遣いなのですが、ついつい、つながりが深い間柄だと思ってしまうと、なんでもわかってよ!と要求しがちなところがわたしにはありますので。


別離があったり、言葉に出さないとわからなかったりといういわば「めんどくさい」この世で愛を感じる、表現するというチャレンジをしているのがわたしたち。

だから、神様はひとり神からビッグバンを通じて分離して、ありとあらゆる存在に分かれてみて、悲しみや苦しみも作り上げて、愛の喜びを知りたいと思ったのでしょうね。

ひとつでいたわたしたちの魂が、どんなに美しくて輝く存在かを知るために、ふたつの身体に分かれて、生まれて育って、生きて、巡り合って、離れて、そして再会して。

このシンフォニーのようなドラマを、心から楽しんでいる魂と、その御祖である神様。

今日もとっても幸せです。

読んでくださってありがとうございます。


2015年5月26日火曜日

自己無価値観

根強い自己無価値観が、久しぶりにむくむくと湧き上がってきて、しばし格闘の時間を過ごしました。

ランナーとなった最大の原因は、この自己無価値観、

「自分なんて愛されるはずがない」

だったのですが、

もちろん、前世からの影響もありますが、前世から持ちこした課題は今生に現れて取り組む問題となっていると思うのです。

私の場合は、母親でした。

最近になってようやく、「わたしが子どもの頃、お母さんはいつもガミガミ怒っていたよね」と話すようになったのですが、当の母は「まったく覚えがない、あんたはいい子だったしあんたを怒った覚えはない」というのです。

下に二人いるきょうだいは、素直に言うことを聞く子たちではなかったのでしつけて怒っていたけどね、と。(きょうだいたちは怒られたことは覚えはない、と笑ってました)

つまり、子ども心には、きょうだいを怒る声はすべて聞こえますし、それが自分と他人という観念が未分化の状態で聞くと、悪いことをしていないのに怒られている、と受け止めたようなのです。



悪いことをしたら怒られる

悪いことをしていなくても怒られる(=きょうだいへの言葉も自分へのものと受け入れる)



絶対的な存在である母が、わたしが悪いことをしていなくても怒っているということは、「わたしという存在自体」への怒りなのだと理解してしまったようなのです。

わたしは何をしても自信がなく、受け入れられないだろうという恐怖を持って生きてきました。




もうひとつ、親戚がよく「あのおばちゃんによく似ているね」という伯母がいるのですが、母はその方のことを「あんなブスに似てるって言うなんて」と怒っていました。(折り合いが悪かったのでしょう)


子どもには大人の意見は絶対ですから、大好きな親戚のおばちゃんたちが言う言葉も、母の言う言葉も正しい、と思うものです。そこで「わたしはものすごく醜いのだ」と強烈にインプットされました。


さらに、もうひとつ、父のことは大好きでしたが、父は「ママが一番大切なんだよ」と言った日のことをよく覚えています。わたしはその日、初めて絶望という言葉を知ったのだと思います。

おおげさなようですが、子どもの心に、初めての人間関係である親との関係はほぼ100パーセントの影響を持ちますし、大好きな父は母を最も大切にし、母はわたしの存在を否定する。

わたしはそこで心を開ける場所を失いました。

誰にも心を見せられなくなりました。


今、こうして書き連ねていくと、自分にとっては大事件の3つの事柄も、母も若くて未熟で精一杯だったのだろうし、虐待とかそういうレベルの話でもないのです。


ですが、わたしの心の傷は大人にしてみたら何気ないところから生まれ、傷つけ、自分を縛り、行動を縛り、運命を歪めていきました。


ツインに出会うということは、そういった心の傷も全部あらわにして、自分たちが純粋な魂で、何をしてもどんな姿でも許し合い、愛しあえるという世界が突然現れるということで、わたしはそんなことが可能なのだろうかとまず疑いました。きっとこの人も、本当のわたしを知ったら、怒り出すだろう、と。

そして既婚者を愛するなんて、さらに存在を否定されるほどの罪だと。

そしてわたしは、ランナーとなりました。

いい子、でいつづけるために。

心を隠して生きるために。












2015年5月20日水曜日

執着しきってやる

執着しきってやる

来年でも

来世でもいい

ぜったい、ツインの嫁になってやるからな

覚えとけ!

くらいの勢いで、(宇宙に)ツインに執着することを宣言した途端、

憑き物が落ちたような爽快感。

なんだか体が軽い。

とっても幸せ。

自分が大好き。

ツインも大好き。

世界が美しい。キラキラしてる。



あれでしょうかね、

サイドブレーキを引いた状態でアクセル踏んでもギリギリと車が壊れそうな音で進んでしまうのと同じ?

執着しきってやるという宣言が、サイドブレーキを外したのでしょうか。

ともかく楽になりました。


ランナーになってよかったと思う日もある

なぜ、あの時離れてしまったんだろう、と後悔の涙にくれる日もあれば、

ランナーになってよかった、と思う日もあります。

20代のころわたしは

人の痛みに気づかない

言葉遣いは乱暴で

冷たくて

頑固で

傲慢で

潔癖で

すぐに人を嫌いになったり

レッテル張りをしたり

自分が偉いと思っていたり

そんなことばかりしていました。



あのまま、一緒になる道があったとしても、きっとツインもろとも、傷つけあってズタボロになっていただろうなと思うのです。

真っ暗闇をもがいた30代があったからこそ、今、どれだけ人と関わるということが尊いことか、その重みとありがたさがわかります。

長くて辛い旅でしたが、ずっと見える存在(家族や友人)にも見えない存在(守護天使や守護霊さま)に守られ、ツインとの再会、つまり自分の本当の魂との再会の日がやってきたのだと思うのです。


今日も深く愛に満たされてます。


ありがとうございます。



2015年5月19日火曜日

執着について 3

執着するのをやめよう

というのが、まやかしだったと気付けてよかった。

ランナー気質が手を替え品を替えやってきたことに、気付けてよかった。

あっぶないところだった。



自分の感覚を否定する。

自分の魂の叫びを否定する。



あんたはまだ学んでない。

あんたは修行が足りない。

執着するなんて、まだ悟ってない。

あんたみたいなダメなやつ、愛されるはずがない。


物心ついてからずっと、つきまとっていた灰色の自分への「お告げ」

自分はどうしようもない人間だという刷り込み。

まったく違う姿で、まるで神の啓示のようなふりをしてまたつきまとわれるところだった。



わたしは、最高の存在。

みんなと同じように、魂は神様から分かれた、何も欠けるところのない完璧な存在。

愛され守られている。


2015年5月18日月曜日

執着について 2

ツインへの執着。

魂がひとつに戻ろうとする力を、ツインに強烈な引力として感じるならば、それは宇宙の始原の力と同じで、ビッグバンを人の力で止められないのと同様に、人の力(自制心や理性)で抑えきれるものではない。

それを、近づいてはならない、この人を欲しいと思ってはならない、お互いに結婚しているから。と理性で片付けようとして、それで「執着しているのは波動が低いから」と自分をレッテル貼りして、無理矢理諦めようと、いわば「執着」をすり替えのロジックに使っていたのかもしれません。

あ、これもランナー気質かもしれないです。




近づきすぎて、うまくいかなくなったら?

一緒になっても互いの死で、引き離されてしまったら?

その恐怖も、まだ根強く、それを避けるために、「執着」ということばを利用している自分がいるのかもしれない。



だーいすき。

キスしたい。

声が聞きたい。

できることなら24時間一緒にいたい。



今すぐには叶わないことが、ギャップとして苦しい。

それはわかるけど、その苦しさを「執着を捨てよう」という言葉でごまかしたくない。

ものすごい引力を感じた、その波に乗りたい。










ツインへの執着と諦め

執着


精神世界のことを勉強して、執着は捨てよう、というようなことを学びました。

でも、苦しいんです。

ツインへの執着を捨てることができなくて、苦しくて、自分を責めてしまう。

一緒にいたい、逢いたい、もう二度と離れたくない。

でも、こんなふうに執着するって波動が低いのかしら、自分は手放せないから、サレンダーしたとはいえず、だからこんなに離れていることが苦しいのかしら。


で、ハッと気付きました。

「執着を捨てる」ということに執着している自分に。



諦め、とは明らかに見る。ということ。

ツインに執着している自分を、「あきらめる」

執着しきってる自分を、許して、その執着に身を任せる。



いいんです、執着してて。

それが、自分とツインの幸せだから。

魂だけで生きているわけじゃない、肉体を持って生きて、出会った私たちは、肉体に執着したっていい。

いいじゃん。

それがわたしにとって自然なことだから。



12年前のことば

ツインの彼が、12年前にくれた言葉。

3年会っていなかったとき、久しぶりのメール。

仕事がやりがいがあって楽しい、ということが書いてあった。

わたしは舞い上がり、飛んで会いに行きたかった。

でも来たメールのどこにも、会いたいとは書いてなかった。

だから、会いに行くのはやめよう、と思った。

会いたいとは書いてない。

わたし一人で盛り上がっているだけかもしれない。

それにもう一度会ったら、絶対に気持ちを抑えられなくなる。

「お元気そうで、とても嬉しい」と返事を出した。

覚えていてくれて嬉しかった。

まったく変わらない自分の気持ちにも気づいた。

でも、会ってはいけない。傷つくだけ。

わたしは、飛んで行こうとする魂を無理やり封じ込めた。



わたしは。

あなたの言葉を聞いていたのだろうか?

世間の恋愛のマニュアルのような話を信じて、あなたの言葉の本当の意味を知ろうとしなかったのではないだろうか。



それにやっと気づいた。12年も経って気づいた。

あれが精一杯の、愛の表現だったと。



そして、今回の再会には、「また会おう」と返事をくれた。

ありがとう。

進歩したよね、お互い。

少しずつ素直になってきたよね、お互い。

まだまだかかるかもしれないけど、それでも。







2015年5月14日木曜日

腕の中の君

最近見たヴィジョン。

見上げている、わたし。

笑顔で、甘えているわたしは輝くようで、それを抱きしめている腕。

「なにこれ?」と思ったのですが、それはツインの目から見たわたしのようでした。

愛しくて、可愛くてしかたなくて、抱きしめて、腕の中で雨のようにキスをして。

あの日のわたしの笑顔を彼から見たらこうだったと思える不思議なヴィジョンでした。

わたしは、ツインに愛されていることを確信してから、自分が大好きになりました。

今までずっと、自分が嫌いで、不完全で、美しくもない、もっと頑張らなければいけないと思い込んでいたのが嘘のよう。

そのままの自分は、輝いていました。


2015年5月13日水曜日

びっくりして学んだこと

人生って思いがけない事が起きるものですね。

土曜日のこと、車を一人で運転中に、側道から入ってきた車に衝突されるという事故にあいました。

詳しい状況はさておき、車は破損激しくすぐに修理工場に入れられて、わたしは病院にて検査。

外傷もなく、軽い打ち身レベルで済んだのは不幸中の幸いでした。

状況からわたしは被害者という立場になったのですが、ものすごい勢いで噴出してきたのは、罪悪感、自責の念でした。

「あの道を通らなければよかった」(ひとつ前の交差点を曲がっても目的地に行けたのに、直感に従わなかったからこんな目にあったのではないか)

「もしもう少し相手をよく見ていたら避けられたかもしれない」

「夫の車を傷つけて申し訳ない」

「ツインソウルという言葉にかこつけて、不倫をしようとしている自分に天罰が下ったのかしら」

「大殺界なのに浮かれてドライブしたからかしら」

「そもそも運転なんてしなければよかったのに」

と、自分を否定する、自分に責任があるかのように責める、という言葉があとからあとから溢れ出しました。それが突き詰めていってしまうと、

「そもそも、自分が生きていなければよかったのに」

と、自分の存在すら否定する想念に、取り憑かれそうになりました。



今朝四時半に目が覚めて、そういうときは、神様とのお話タイム。

「罪も罰もないってわかっているよね」

「あなたは神の子だってわかっているよね。みんなと同じ神の子」

「どっちに向くかは自由だよ。でも絶対に守られているってわかっていてね」



自由意志というのは、どっちに向くか、という顔を向ける方向を決められるということ。

片方は、先方を恨んで、ずっと後遺症に苦しめられて、保険会社からは嘘だろうと疑われて、病院ではやっかいな患者としてレッテルを貼られて、自分は生きている価値なんかないと思う未来。



もう一方は、車があんなに損傷したのは、わたしを守ってくれたからね、ありがとう。

怪我もなく、打ち身くらいで済んだのは、本当にラッキーだわ。

ご先祖様、天使の皆様に守られたことに心から感謝します。

ご先方も保険に入っているきちんとした大人でよかった。

警察の方も、自己現場近くの皆様もとても親切にしてくださった。

びっくりすることは起きたけど、家族の絆は深まった。

そして、愛と感謝で生きると決めた自分の生き方を貫けることがなによりもありがたい。と思う未来。


もちろん選ぶのは後者です。それが自由意志の使い方なのだと今ならわかります。




そして大きな学び。

わたしの、自責の念、自己無価値観、そういうものは、光をあてると白いシーツだったとわかる幽霊の幻のようなものでした。

ただ、光を当てればいいのだと。

まだ心に巣食っていた、暗い部分、それはツインとの関係でも現れていて、「やっぱりわたしなんて必要ないでしょ」と思いたがる癖がなかなか取れなかったのです。

ツインのことを、情熱的にくるときもあれば、不意に心のドアを閉めて冷たく振舞うこともある、それはどうしてなんだろう?とずっと思っていましたが、すべての人間関係と同じ、「鏡」であることを思えば、愛されていることを信じられるときと、信じることができなくなって、不意に心を閉ざす時が自分にもまだあるということを示してくれていたのでした。

そして、確信。

「わたしの存在は、神の御意志である」

「神が造られたわたしたちツイン、それは神の御意志である」と。


いのちというものをどうしても尊重しきれなかった、いのちが輝くことに罪悪感を持ち続けていたわたしに、素晴らしい学びとなったのでした。


「わたしは悪い子だから、神様に愛されているはずがない」という思いが消えました。


一気に学びが来てくれたこと、先方さまにも、わたしの家族にもこの出来事は必要だったのだと思えます。それが四次元の因果というもので、ぽんと出て、学び終わればもうそれでおしまい。



そんなことに気づいて、ほっと幸せな気分になった朝、ピンポーンとインターフォンがなってご近所さんが家の前にいらっしゃいました。

「庭で咲いたから」と手にされていたのはピンクの薔薇。

まるで天使からの「はい、お見舞い」というメッセージつきのプレゼントのように朝日に輝いていて、さらに心には微笑みが広がりました。







2015年5月8日金曜日

ククリヒメ


イザナギとイザナミ

ふたりは黄泉平坂で、別れてしまうわけですが、再会は果たさなかったのかな?と調べていたら、「ククリヒメ」がふたりの会話を取り持ち、イザナギはそれを聞いて褒めて去った、という神話が。

何を話したかの内容は神話にはないのですが、そこでふたりを取り持ったことで「ククリ」すなわち縁結びの神様にもなったとのこと。

なぜ、それが気になったのだろう?と思っていたら、ククリヒメは白山信仰の祭神であり、巫女の女神とも信仰されるとwikiに書いてありました。

だからか、、、と腑に落ちました。

今月末、祖母の一周忌で、北陸のとある町にでかけます。

そこから見えるのは、霊山、白山。

本当に美しくていつ見ても心が震える御山です。

どうしても白山にご挨拶に行かねばならないという思いを感じているのは、なにかわたしの小さな頭ではわからないけれど、エネルギーの循環のようなものなのかもしれません。

ツインとの再会から初めてのご挨拶で、感謝を申し上げたいと思っています。

あんまりこういうことを書くと、ツインソウルとの再会で覚醒しました的な、いかにも、にわか霊能者っぽくて、嫌なのですけどね、、、




そういえば、子どものころ、絶対になりたくない職業は「霊能者」と「政治家の女房」でした。

そもそも、絶対になりたくないって、なれないものには想像すらしませんよね、医者とか弁護士とか。なれるけど、なりたくないと心のどこかで思っていたということでしょうか。

そして政治家の女房。

ツインからは、いずれ政治家を目指すとはっきり言われちゃいました。


あーあ。

これもまた運命。









ありがとうって思えた

モラハラ夫への怒りでブチ切れそうになっていたのが、昨年の夏から冬にかけて。

ずっと押し殺していた自分自身がツインソウルとの再会で殻を破って出てきた時、それまで我慢し続けてきた感情が爆発しました。

といっても、夫に直接復讐するのではなくて、わたしはわたしの人生を生きるんだと決めて、説明しながら自分のしたいことを少しずつ始めてきました。

それまでは、「ああ!?」と関西のチンピラみたいな返答だった夫が、いつの間にかとっても穏やかに話を聞いてくれるようになっていましたし、それまでは休日にわたし一人が出かけるということはあり得ませんでしたが、それもいつの間にか普通にできるようになっていました。

丹田に力をいれる、「腹ができる」、というような感覚があって、そうなると夫を含め怖いものがなくなっていき、新しいことに挑戦するだけの力がみなぎってきました。

これもツインとの再会のおかげです。



そして、このところ立て続けに、夫の悪口というか批判を、わたしの友人から聞くことがあり、そのとき猛然と反発している自分を発見しました。

「そりゃあ、問題は多々ある人だけれど、あなたに指摘される覚えはない」

「こういう美点だってあるのよ」

と。

そんな自分の変化にもびっくりしています。

以前は夫は夫なりに愛してくれていたんだろうなとも思おうとして、できなくて、怒りを押し殺していましたが、それを解放したことで、夫へのこだわりもまたいつの間にかなくなり、むしろかばいたくなるほどのかわいさを感じるようになっていました。

よく頑張ってきたよね、結婚してすぐに心身ともにどん底になったわたしと日々暮らさなくてはならなくて、責任感じてなんとか自分の態度を改めて、必死で稼いできてくれたんだね、としみじみありがたいと思えるようになってきました。

未熟な二人がろくに結婚の意味もわからず暮らし始め、ぶつかりあって、それでもなんとか学び続けてきた同志。そういう姿に、ようやく見えてきました。



怒りを解放しないまま、離婚してツインのもとに走っていても同じことを起こしていたかもしれません。「夫」という役割への期待、欲がわたしにあったのも事実、夫も「妻」像への幻想があったのでしょう。幻想をとっぱらって、ありのままの姿でお互いを見たとき、この9年を頑張ってきたふたりがいました。






「契約」ではないふたり

誰かと恋人になるときは、「付き合おう」と言ったり、「別れよう」と言って初めと終わりがあった。


今の結婚を始めるときは、「これだけの経済力がある」「家事ができる」という合意があって始まった。

同意
合意
契約。


不信を基にした関係性だったのだと、今になってわかる。

「裏切ったら契約違反、違約金が発生する場合が有ります」

誓いという名の、契約。
人の気持ちはうつろうものだから。

ツインソウルは、何もかも吹っ飛ばす。

魂は、浮世の決まり、うつろいゆくものを縛りつけようとする契約関係なんてどうでもいい。

「わたしはあなたの魂の伴侶だ」と宣言する。

始まりも終わりもない。

出会った瞬間、ずっと知っていて、会うたびに、初めてのデートのようにどきどきする。それがツインというかけがえのない存在。



それに気づいたのは、最近友人が恋愛関係を終わらせたという話から。

「旅行に行った後、2週間も連絡ないの。激務だってわかっているけど、メール一本よこさないなんて、バカにしてる。だから別れた」


メールが2週間こないから、別れるんだ!?別れられるんだ?

という驚き。

それで別れられるくらいの関係なんだ、と。確かに自分の以前の恋愛を思い出せばそんなもんでした。

ツインソウルと出会って、17年。今でも出会った日と同じようにときめいて、大好きで、ずっと変わらない。



こうした日々の小さな気づきはわたしをどんどん自由にする。

魂のままに生きていこう。








2015年5月7日木曜日

人ってこんなもんじゃない

ずっと子どもの頃から、大人に対して、社会に対して抱いていた怒り。

「人ってこんなもんじゃないはず」

「こんなふうに、機械みたいに扱われていい存在じゃないはず」

要は、学校が大嫌いで、組織というものの意味がわからなくて、会社に入ってからも、9時から5時までは座ってろ、という決まりの意味がわからない、という全くの社会不適合者でした。

自分で言うのもなんですが、仕事はできたんですよ。深夜まで仕事をするのも面白くてたまりませんでしたし、稼ぐのはとても上手でした。

でも、ずっと抱いていた怒り。

「人はもっともっと輝く素晴らしい存在なのだ」

社会のルール、道徳、規範、前例主義、そういうものがたまらなく嫌いでした。

でも、30代になって、自分が間違っているのだろうか?大人として生きるってこういうものなのだろうか?と世間的に見たら「良い」結婚をして、すぐに鬱状態になって、逃げ出す気力もなく、暗闇の30代を過ごしました。

今また、ツインソウルと出会って、自分を覆っていたカビ臭い甲冑がバラバラに壊れていくのを感じて、訳がわからなくて、泣いて、のたうちまわっての10カ月でした。

やっと、自分が知らないうちに身につけていて、振りほどきたいと思っていた古い縛りからとけて、自由な魂が歩き出そうとしている感覚があります。



2015年5月1日金曜日

イザナギとイザナミ


イザナギとイザナミ

なんかずっと気になっていました。

wikiを読んだだけですが、イザナギは天地開闢のとき神代七代の最後に、イザナミとともに生まれた。とあります。

イザナギはイザナミの兄であり夫である。

イザナギとイザナミってツインで、夫婦なんだ。

私たちの国ってツインソウルが産んだ国ともとれる。

世界の他の天地創造の神話を見ても、男女神が作ったというのはあまりないみたいです。


ふーん。なんだか幸せな気持ちです。







もう逃げないよ

ランナーとなって逃げて、15年。

前回の記事は、漠然としていたと思うので、もう少し具体的に書こうと思います。


ふっと、ツインの彼に連絡をして、すぐに以前の通りにメールし合うようになって、出会って、時間なんて経っていないかのようにひとときを過ごしました。

二度目に出会ったときのこと、なぜか別れ際になって不意によそよそしく振舞うツイン。

どうしたのかな?と思いながらも「出会った日と変わらない、ずっと大好き。今日も大好き」と言ったわたしに、「君の気持ちも変わっていくよ。(自分は)年を取っていくし」と辛そうにツインは言いました。

そんな弱気な発言と、つらそうな彼の表情を初めて見ました。

胸を突かれる思いでした。

非常に男らしくて、いつも快活で強気で、驚いた顔や楽しくて仕方ないと言った顔しか見たことがなかったので、その初めて見る本音の表情をどう受け止めたらいいのか、理解できませんでした。

しばらく(2ヶ月くらい)考えて、ようやくわかりました。

一つの事実を、わたしは受け入れなくてはいけないことを。

それは、わたしは彼にとって、かけがえのない存在であるということ。

それを私は100%受け入れてはいなかった。

自分にとって唯一で絶対の存在である彼。

でも彼にとって自分は、きっと代わりのきく存在なのではないかと、どこかで疑いの気持ちを持っており、それを逃げる免罪符にしようとしていました。

「失ったら生きていけない」それは私の叫びでもあり、彼の叫びでもありました。

それを認めた時、「もう逃げない」と静かに確信することができました。

ランナーは自分の気持ちにいっぱいいっぱいで、自然災害に反射的に逃げるように感情の激流から逃げようとします。相手の気持ちに気づくのは、少し落ち着いてからかもしれません。チェイサーの心にまで思いが及ぶのは時間差があるかもしれません。(わたしは15年以上かかりました、、、)

一人にしてごめんね。なんてひどいことをしてしまったんだろう。

そしてあなたは何度でもわたしを許してくれるんだね。

ありがとう。

もう逃げないよ。