からだが、なんとなく重い。
取り組んでいたことにワクワクしない。
あれ?と自分を見返すと、「うまくやってやろう」「人に褒められよう」という気持ちが気づかぬうちに自分の中で巣食っていたことに気付かされます。
そうして、日々、ついてしまったほこりを払いながら生きるのがまたおもしろい。
うまくやりたい、という気持ちは、恐れと同類なのではないかとも思いました。
うまくやりたい、褒められたい、そこには他人目線があり、自分を批判し、思い描いた「うまくやる」レールに乗っていないときに、自分を責めようとする気持ち。
そのとおりにしなければ、落っこちるよ。人生だめになるよ、とどこかで刷り込まれた恐怖心が支配しようとするのです。
ワクワクするというのは、恐怖心からでもワクワクはします。
たとえば、20代のころなんとかお金儲けをしたくて、怪しげな株の投資のセミナーに行ったこともありました。そこには、恐怖に根ざした「お金を稼がなければ」「お金を持つことがえらい」という思いがあり、そこからでもワクワクはするのです。
本当は、わたしたちは、神とか宇宙とかそういう存在から完全に愛されていることを知り、ワンネスとか、一体感という言葉で表される、至福に常に包まれていることを知り、そこに身を委ねて、遊ぶように、人生という冒険を楽しむこと、それが人生なのだと。
ツインソウル体験は、赤の他人が、ワンネス、ひとつだと知ってしまい、他人としてみている頭はパニックになり、ひとりで隠してきたと思ってきた恐怖、猜疑心、罪悪感、自己卑下、他者を馬鹿にする思いも含めて、自分がネガティブだと思い隠してきたと思ってきたすべてが、この人にはわかってしまうとなぜか確信し、あわてて心の扉を閉じても、どうしても開いてしまうことに、恐れをなして、逃げる(ランナー)という体験も引き起こすわけですが、
この体験に降参して、身を委ねてしまうと、心はツインだけではなくて皆とつながっていて、自分が愛と光であることが、全世界への貢献につながるのだと、光の網のようなものがつながっていることを知ります。
ツインがこうしてくれたらもっと幸せなのに、うまく行っているツインもいるのに、このひとのツインソウルは離婚してきてくれたのに、と「もっとこうだったら」という気持ちは、自分なんてツインソウルなんかではなく、ただのスピのぼせの妄想なのだろうか?という思いにとらわれることがわたしもまだ時々あります。
でも、自分は神聖な存在なんだ、自分は素晴らしい光り輝く存在なんだということ、それはツインに遭っていてもいなくても、すべての存在はそうなのですが、わたしやこのブログを読んでくださっている方々は、ツインという体験からそれを知り、それを生きる、ときっと生まれる前に決めてきたのです。
だから、このワンネス、突然抱きしめられている感覚になったり、自分の感情ではない感情が押し寄せてきて涙にくれたりしても、それでいいのです。
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