2016年1月12日火曜日

我慢 頑張り ガンを生む

どうして、幸せになれないのかな?と考えているうち、自分を愛するということを徹底できていないことに気づきました。

これくらいの我慢なら、、、

もうちょっと頑張れそうだから頑張ってみるか、、、

実は、もうすでに十分すぎるほど我慢して、頑張っているのに、いつの日か刷り込まれた「もっと頑張れ」「我慢が足りない」という心のどこかから響いてくる声に操られているような気がしています。

もっと我慢しろ

もっと頑張れ

いったいこれは誰の声で、何を自分に求めているのか。

どうして幸せになることを自分に許してあげられないのか。

自分は未熟だから、どうしようもない人間だから、まだ修行が必要だから、と責め苛んでいることは、もしかしたら弱いものいじめと同じ、弱い自分をいじめているのと同じなのではないかと。

ずっとそうやって暮らしてきて、いい妻として、いい子として生きてきて、成長しろ、もっと頑張れと自分を責めてきて、いまの願いはたった一つ


「早く死にたい」


それだけが願いだと気付いた時、これは何か間違っているのではないか?とやっと気づきました。

生きることは苦行で、罪人である自分に日々、罰を与え続けるような生き方。

最後に、ガンで苦しんで、死ぬことを望むような生き方。

これは、おかしいのではないか?

さらに、心を見ていくと、


心の底でガンを望み、必ず死ねることを望んでいる自分に気付いた時、それは、はやくこの苦役から自分を解放してあげたいと望んでいることに気づきました。

そうか、自分を解放して自由にすることが、「死を望む」ことの本心の願いなのだと。

自由と解放、それを本当の本当は求めていて、それは現世では叶わない、自分などは叶えてはいけないという強力な鎖で自分を縛っているということに気づきました。


わたしの父などは、我慢も頑張りもせず、ただ行きたいように生きてやり尽くして、苦しみもせず肺がんで亡くなったので、そういうパターンもありますので、すべてのガンが我慢と頑張りから生まれるわけではありません。

ただ、もしこの記事にピンとくるものがある方は、頑張り過ぎていないか、我慢しすぎていないか、痛みを長いこと感じすぎて麻痺していないか、ちょっと振り返って欲しいと思いました。





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