2015年7月17日金曜日

「当たり前だ」というアファーメーション

自慢ではなく、これはどうしてもシェアしたい話です。

わたしは今、ドイツ製の高級車に乗っています。

エルメスのバッグを持っています。

そういえば、と思い出したのですが、20代後半の頃、「40歳になったら、ポルシェに乗ってエルメスのバーキンを持つ」と決めていたのです。

働いてもいないし、買う予定もなかったのですが、それが手に入っていました。それは「そうなって当たり前」となぜか意識に入っていたからだと気付きました。

以前も書きましたが、夫となる人の条件を何十項目も書いて、夫はすべて合致していました。

つまり、本当に願いは叶ったのです。

ですが、本題はここから。

逆に、願っていなくても「でもわたしはそういうのが当然だ」と思っていたことも叶っています。

「結婚してもすぐに飽きられてセックスレスになる」

「本当の意味では、ありのままの自分では、愛されない」

「からだが弱いから、子どもは産めない」(これは小学校の時に刷り込まれました)

どこかで、おそらくどうでもいい情報を読んで、それを自分に刷り込んでしまったことが「現実」となっているのです。

「そうなって当たり前だ」ポジティブでもネガティブでも、引き寄せの法則とか思いは実現化するとか、本当になってしまうんだと。


それに気づいて、ツインと会えない日についついネガティブになってしまいそうな時は、自分が本当に何を望むのかもう一度問いかけます。

「ツインとずっと恋をしていたい」

「離れている間に、愛が深まっていく。いつか一緒になるんだから今は遠距離を楽しむわ」

「ツインと結ばれた今、これからが本当の人生のスタートだ」

「心は醸成した40代、顔と身体は28歳」

かわいいですよね、自分が愛しくて仕方なくなります。

ツインソウルはこの人生ではうまくいかないとか、そういう情報を得て、無意識にアファーメーションしてしまわないよう、気をつけます。






自分本位 自分軸

うつ状態に苦しんでいた時、「普通がいいという病」という本を読んだことがあります。そこで印象的だったのが、夏目漱石が留学し西洋とのギャップにうつ状態になり回復した時「自分本位」ということばをつかんだという文でした。

わたしは、ずっと子どもの頃から、外に基準を置いていました。社会、学校、親、先生、自分よりも「よく知っている」ひとに判断をあずけるのが良いことなのだと洗脳されていました。

今は、何も怖いものはないのは、この人生はわたしの魂の旅だと強く思えるようになったからです。

今世では何十年か早く生まれた「先輩」でも、前世ではわたしのほうが師匠だったのかもしれない。

何年か前の「常識」がものすごいスピードで変わっていく。

残されているのは、

自分の心の声に、従うということ。

「こうするべきだったんじゃないだろうか」と行動やことばをくよくよと悩むということは「こうすべき」基準がありそれに自分は合わなかったのではないかという裁判をずっと心の中でしているようなもの。

問題は「こうすべき」と思われている基準はあやふやで、論理性も良心もなく、「皆そうしているから」といった理由だったりする点です。

ツインとの再会で、久しぶりに恋愛モードの自分になり、高揚感とその次にやってくるのはお定まりの、「自分なんて愛されないに決まっている」という自己卑下。

恋愛マニュアルを読んで、自分はやっぱりもう年だし、かわいくないし、と自分を否定し、ツインソウルブログを読んで、わたしたちはツインソウルじゃないんじゃないか、うまく行かないなんて偽のツインソウルというやつじゃないだろうか、と自分に覆いをかけるようなことをしてしまう。

まだ毎日のようにそういう暗闇にとらわれることもありますが、それから気づくのは、わたしは光り輝く魂であるということ、その輝きを増すために生きているということ。

自分の魂の声を聞き、自分の存在が愛と光であることを知る。

それ以上の喜びはないのかもしれないと思うのです。



2015年7月10日金曜日

プリズム

ひとりひとり

ひとつひとつの命が

神のプリズム

生まれてくる光は神から放たれ

この世は色と光に満たされる

あなたは、かけがえのない存在

あなたを通してしか生まれない光がある

あなたの存在がこの世にもうひとつ色を加える

生きていてくれてありがとう



2015年7月9日木曜日

愛の波動でいること

愛の波動でいること

それをふと忘れるとき、

ツインソウルなんて幻かも

どうせわたしのことなんていらないんでしょう

始めれば終わりが来るに決まっている

年を取っていくわたしに愛想をつかすに決まってる

という暗い思考にはまっていきます。




そうではなくて、

空が青いのが見えること

しっとりとした雨に恵みを感じること

食事が作れて美味しく食べられる

着る服がある

なによりも、ツインに出会うという奇跡に

感謝と愛の波動でいたら

ツインと連絡が取れているとか取れていないとか

未来の不安とか過去の後悔

そういうものもほんとにどうでもいいと思えます。


今、ここにいること

息ができて、満ち足りていること

愛しかないとわかること

それこそがわたしにとっては、ツインソウルに出会って気づいた奇跡


何よりも誰よりも、愛の波動でいるとわたし自身が幸せなのです。

地球でたったひとりでも、愛と幸せを感じることができる人間がひとり今、増えた。

神様、ありがとうございます。


2015年7月8日水曜日

ツインから

昨日の絶望感はなんだったのでしょうか。。。

あっさりツインから、元気なメール。

この一ヶ月、悶々と悩んでいた自分がかわいくて笑ってしまいます。



気づいたこと。


わたしはわたしで自分で勝手に幸せでいればいいんです。

学んで、仕事して、日々感謝してキラキラ生きていればいい。

自分を大切にして、ツインへの愛に満たされて、幸せを感じていればいい。

相手の機嫌を取ろうとするとか、相手の事情をおもんばかろうとしすぎると、身動き取れなくなってしまって、罪悪感とか「どうせ思い込みだったんだ」とか、魔が入り込んできます。

愛と光に満ちていること。

それだけで、いいのかもしれません。



2015年7月7日火曜日

責めたくなったら

因果の法則、

自分がしたことは、されることで学ぶ



実は、ツインが一ヶ月連絡をくれないのです。

忙しいのかな?とじっと待っていましたが、こない。



そこで湧き上がってくる思い

「あなたはまたわたしを失うの?」

「愛より仕事を選ぶの?」

「あなたは魂の声を聞かないの?」

そして、それは自分への言葉であることの、すぐに気づきました。




かつて、わたしは仕事、野心、世間体、

それを愛よりも優先した。

あなたを置き去りにした。

あなたをひとりぼっちにしてしまった。

自分から湧き上がることばは、16年前のわたしへの叱責。




それに気づいたときに、涙が溢れました。

「ごめん、ごめんね、ひとりにして」

まだ未熟者なので、これに気づいたから、連絡くるかな?と期待をしたりして。


それは、神様にお任せの領域です。

もう二度と会えなくても、わたしの魂はあなたを愛し続ける。

なにがあっても、何も起こらなくても。


それが、すべてはひとつ、の顕れなのでしょう。



落ち着いてきて

最近は、すっかり落ち着いてきました。

ツインをネット上で15年ぶりに見つけて、感情の激流にもみくちゃにされ始めたのが昨年の7月。

毎日のように、何時間も泣いて、書かずにはいられなくて、ノートに書きなぐるように自分の感情を吐き出していました。

久しぶりに再会したのが秋のこと。

そのあとの後悔、(自分への)怒り、整理のつかない感情にランナーという言葉を知り、ブログを始め、自分を知ろうと日々過ごしてきました。

現在のところ、体調は絶好調、鬱々と過ごしていた、1年前とはまるで別人のように生き生きと毎日を楽しんでいます。

泣くことも少なくなりました。
夫との関係も、意外なことに共通の目標のプロジェクトがスタートして良好です。



心がけているのは、「今ここ」にいること。

変わらず、ツインへの愛はありますが、嵐が過ぎ去って南の国の暖かくて穏やかな海のように、凪いでいます。

今朝は、あまりに落ち着いてしまったので、「これって、もう終わったのかな?ツインどうこうという話は幻で、一つの恋が復活して、消えて、わたしは蘇った気がするけど、彼との関わりは役目を終えたのだろうか?」と静かに感謝しようとしていた途端、

目の前を走ってきた車のナンバーは、ツインの誕生日。

ご丁寧にクラクションまで鳴らされてしまい、思わず苦笑してしまいました。

勝手に終わらせないで、と言われている気がして。



今日も静かに愛しています。

落ち着いてしまって、更新は少なくなったこのブログ、それでも毎日500PVくらい頂いて、ありがたいことです。

読んでくださってありがとうございます。

すべての皆様に素晴らしいことが天からの光のごとく降り注ぎます。
この世は愛と恩寵に満ちています。

感謝を込めて。


Camille

2015年7月3日金曜日

離れている間に

ツインと離れている間に、心がけていること

出会う人の、魂の来歴に思いを馳せながら、優しく接すること

温かい言葉、励まし、素晴らしいね、と伝えること

そして

自分の体と心のケア

ツインと出会ってから

「あなたひとりの体じゃないんだから」

昭和のドラマで妊婦さんに伝えるような言葉を自分に言うようになった




わたしの体は、わたしひとりの体じゃない

わたしが神様から頂いた(お借りした)ものであり、

同時に、一番見つめてくれるツインのものでもある



自分を宝物のように大切に扱うようになった。

わたしは、ツインにとっての、人生の宝物、贈り物、恩寵。


誰かのために生きるということが

こんなに幸せに満ちたことだなんて

知らなかった。


ありがとう。

愛しています 今日も。



自分軸を取り戻す

いつの間にかわたしたちは、

社会の

親の

周りの友人たちの

「意見」「意向」「空気」

を読んで行動するように刷り込まれて

自分軸を見失って

なんとなく世間でいう「幸せ」を手に入れようとして

手に入れても満足できなくて

満足できない自分を欲張りだと責めて

人生ってこういうものなのかと

薄暗い絶望をとぼとぼと生きる。




それを、恋はばーんとぶっこわす

閃光のように目をくらまして

自分と相手との関わりが

突然濃厚に

意味をもたらす。



あなたに出会うために生きてきた。

あなたに寄り添い生きていく

それが取り戻した「自分軸」の望みだから

誰に批判されようと

石を投げつけられようと怖くない

自分はこうやって生きる

それ以外に、人生はない、と。