2015年3月29日日曜日

ランナーが帰ってくるとき



ランナーが帰ってくるとき、それは、

愛し合うことがすべてなのだと「諦め」たとき。

この「愛」に身を委ねると、決めたとき。

逃げてランナーになったけれど、お釈迦様の手の平のうえの孫悟空みたいに、結局この愛から離れてはいなかった。

「諦め」

また逃げたいという気持ちが、ゆっくりとほぐれて溶けていく。








2015年3月28日土曜日

クンダリーニの導き

気づけば99投稿していたこのブログ。

100回目の投稿は、クンダリーニのことを。



私が「ツインソウル」という言葉にたどり着いたのは、2014年夏のことでした。

15年前に離れた、大好きだった人と、再びメッセージのやりとりをはじめたとき、経験したことのない性的な高まりが体を下から上へと貫きました。

なんなのこれ!?

とあまりに唐突な体の変化に、少しも理解できませんでした。

どう検索したかは覚えていないのですが、インターネットで手がかりを探すうち、「ツインソウル」という言葉に出会い、あまりにもその特徴が当てはまり、衝撃と共に腑に落ちたのでした。

そして、8月に実家に帰省した時に、飯田史彦さんの「ツインソウル」という本が書棚にあるのを見つけてまた衝撃を受けました。(自分が何年か前に買ったはずですがまったく意識にありませんでした)

それからは、泣きながらツインソウルブログを読みあさる日々。

クンダリーニの上昇とも思える現象が起こることを、さまざまな方のブログを読んで知ることができ、異常ではないとホッとしました。

最初は毎日のように延々とそのエネルギーと頭の中に流れる「激しいそういうシーン」と「体感」に翻弄されて、早めの更年期障害が始まって幻覚を見ているのだろうかと本気で心配したこともありました。

このところ、落ち着いてきていますが(というより、慣れたのかもしれませんが)それ以上に、なにか、自分が大切なことを知った瞬間に、同じような高まりを感じるようになっています。


たとえば、次に自分が開ける扉の前にくると幾つもの扉(選択肢)があるなかで、一番クンダリーニが反応するところに行く。

これを魂とか、神とか、直感とか、そういうものとつながっているサインだと受け入れられるようになってきました。

「ワクワクすることをしよう」という言葉を知ってはいましたが、どうもその感覚がわからないわたしにとって、これは大事な道標となりました。



2015年3月27日金曜日

生きる

ツインソウルと出会って、一番大切な学びは、ありのままの自分を見つめ、愛して、そのままでいいんだと受け入れること。

自分を市場価値で測ったり、
だから愛される資格なんてないと思ったり、
無理をしていい人間のように振舞ったり、
誰かに反発して望んでいない道を選んだり、
社会の常識にとらわれて自分を罪人のように扱ったり

そういうのをやめてもいいんだと思えること。


わたしたちはツインソウルという光に出会って自分が満たされていたことを知る。

本当の、真実の、ありのままの自分をそのまま受け入れて、大きくならなくてもいいし、小さく見せなくてもいいことを知る。

気弱な理性は、それでも手綱を引っ張ろうとするけれど、わたしたちは、わたしたちの魂の輝きと力強さに気づいてしまった。


ただの主婦、ただの会社員、ただの親、普通の、ただの。

それが、少なくとも一人の人間にとって、かけがえのない存在である自分に気づく。

そのとき、世界は生きる場所になる。

あなたのために生きる。

わたしの、真実のわたしのために生きる。



2015年3月26日木曜日

市場


未婚のころ、恋愛も結婚も、「市場」原理だと思い知った。

女性なら、かわいい、小柄、美人、賢いけれど高学歴すぎないこと

男性なら、高学歴、エリート、収入が高い、見た目がいい

そういう要素があればあるほど、「高値」取引されるものだと。



40代になってもそれは同じ。

男性なら、安定していて高収入、まだメタボじゃないとか、

女性なら、40代には見えない、若い、きれい、とか。

いつか友人が付き合っていた、性格には難がある(モラハラ気味)けど、高収入の医師(婚歴は2回)ならさしずめ営業マンがこう言いそうだ。

「はい、こちらフェラーリでございます。まあ、難点というほどでもございませんが、ややブレーキパッドが甘くて、時々暴走いたします。でも、だましだまし乗れなくはありませんし、やはりお客様のようにお美しくてお若く見える方にぜひとも乗っていただきたいと、、、ええ、確かに、ブレーキパッドは重要ですが、まあテクニック次第で、なんとでも。まだ死亡事故までは起こしておりませんから。それに、なんといってもフェラーリでございますし、街中でも注目の的でございますよ」



もちろん、わたしもその市場の測り方に自分を当てはめていた。

もう若くない。子供も産めない。ツインソウルだとのぼせ上がっているけれど、きっと彼も市場の原理に従えば、わたしに何の価値もないことにすぐに気付くだろう。

男性としての彼の人生はまだまだこれからが上り坂。

なぜ好き好んで、そんな年の女と浮気するの?



浮気じゃない。

相対評価で、人を好きになる?

それは、絶対的な人間に出会っていない人たちが、市場原理に幻を見させられているだけだ。

恋愛という幻想に酔おうとしているだけだ。

ツインソウルに出会うと、目が覚めてしまう。

真実に目が開いてしまう。

それは必ずしも「シアワセ」ではないかもしれない。

痛みを伴う脱皮になるかもしれない。

でもお願い。逃げないで。



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この文を、17年前の自分に読ませたい。

逃げないで、と。








2015年3月23日月曜日

「カミーノ 魂の旅路」 シャーリー マクレーン


いつか読もうと思っていた、シャーリー マクレーンの「カミーノ」。

スペインの巡礼の道を歩く彼女に見えたヴィジョンのこと、学びのことが書かれています。

最後の方に、ツインソウルとソウルメイトのことが描かれています。

以前、投稿した中に「二つの心臓が同じ鼓動を刻んでいる」という感覚を書いたことがあるのですが、ひとつの両性具有の肉体が、ゆっくりと男女に分かれていく場面の描写は圧巻で、自分の感覚と同じようなことが書かれていることに鳥肌を立てながら読みました。


ツインソウルと、相対する場面で、

「お互いを必要としながら、そこには一種の浮揚感と安らぎと、ゆったりとした感覚があった。

お互いに惹かれあってもそこに目的は必要ないと信じていた。

実は、惹かれることそのものが目的だった。

お互いにあこがれを同じように分かちあうことが、神を感じることだった。」(p.287-288)


こう書かれていることに、深く納得するものがありました。



ツインソウルとの出会いの後、さらにソウルメイトと呼ばれる魂の振動を同じにする相手を探す、というくだりもあり、そこはまだ理解できない部分でしたが、さらに魂の冒険は続くのだと思えるとわくわくしてきました。




2015年3月16日月曜日

今朝のシンクロ

朝、家の周りの掃除をしていたときのこと。週末にした、親との会話、夫との会話で、無性に腹立たしく悲しくなっていた。

親子でも夫婦でもしょせんは他人、言葉を尽くしても理解してもらえないのか、という悲しみが、嵐の波のようにやってきて、思わず涙が出そうになる。


そのとき、自分の感情とは別のところから、寂しさ、という気持ちが激しい強さで押し寄せてきた。

これはなんだろう、と思う間もなく、二つの感情は二つの大きな波が、ぶつかって、三角波となった。

それがふたつの波でさらに高くなるのではなく、ぶつかり打ち消しあうような風景が見える。波は穏やかとなり、ネガティブな気持ちはそこで消えた。


不思議な心象風景だったなあと思いながら、掃除を終えて家に入り、携帯を見ると、ちょうどその時間あたりにツインからのメールが入っていた。

ああ、あの寂しさはツインからのものだったのだと気づく。

寂しさや哀しみという「ネガティブ」な気持ちですら、互いを呼び寄せ、互いを癒している気がする。




大丈夫。
他の誰にも理解されなくても、あなたさえいれば。


昔は、こう考えた瞬間に「そんな共依存関係は、うまくいかなくなるに決まっている」とアタマの声が響いてきただろうけど、今はちがう。


あなたがいてさえくれれば。
わたしは生きていける。








2015年3月11日水曜日

ナビ

車を運転している時、ナビに目的地を入れると、このルートが最短です、と指示がでます。

でも、その道が運転しづらそうだったり、なんとなく違うルートを通りたくなったりして、指示通りに走らないと、すぐにナビは計算し直して、新しいルートを選んで指示してきます。

これって、自由意志と最終的なゴールの関係に似ているなあと、運転しながら思いました。

どの道を通るかは、ささやかな自由意志として、私たちが決められる。

でも、最終ゴールは、常に神のもとに向かっている。

私の場合は、生まれる前に決めた運命は、「彼のもとに向かう」ことだけで、あとは、とにかく「こうしたい!」という思いだけで目の前の課題をこなして、自分にとってのベストを選んで来た気がします。自分の思いに正直に生きていた時、彼に出会いました。

それから、ランナーになって、大きく遠回りするわけですが、それも、わたしの自由意志として尊重され、そこですべきこと学ぶべきことを天がすべてベストなかたちで置いてくださっていた気がします。







2015年3月8日日曜日

クリーニング

ツインの仕事が休みの日には、ダイレクトに感情が伝わってくることが多い。

土曜日の午前中のこと、火山のような感情の大爆発が見えた。

黒々とした灰色の噴煙が立ち昇るように、爆発している。

それがツインのものかどうかはわからないけど、それでもわたしにできることは、クリーニングすることだけ。それが世界中のすべての苦しみをわずかでもクリーニングしているとイメージして。

ホオポノポノの本に書いてあったように、「 DELETE」ボタンを連打する。私は用事の最中だったけれど、さほど集中する必要はなかったので、話を聞きながらずっと連打し続けた。

寝る前も、瞑想して自分という光り輝く存在にフォーカスした後、ぐっとツインに集中して、つながりを確認する。

日曜の午前3時に目が覚めた。

夢を見ていた。

~~~~~*~~~~~~

穏やかに晴れて、花が咲き乱れる、外国の小道を歩いて行く私。

ある家の前でツインが待っている。

帽子をかぶって、あの若い頃と同じような格好で。

わたしを見るとにっこりと笑い、小さな子犬を抱っこして手渡す。

そして、私の手を引いて、その家に入っていった。

~~~~~*~~~~~~

夢を見たところまで、ノートに書き綴り、また眠った。

朝6時、朝日の中、目を覚ます。

「これでよかったのだ」

深く深く納得した声が身体中に響いた。

いろんな道があった。16年前出会ってすぐに、彼が結婚をやめてわたしと共に暮らす道、13年前に、仕事をしながら時々出会う(ありていに言えば愛人になる)道、いろんな選択肢があった。自分が選んだ道、長く別れているのはとてつもなくつらかった、でもこれでよかったのだ、と。

互いに、社会での役割を果たして、もう一度本当の自分を取り戻したい40代で再会して、かけがえのない存在だと心底から知る。そのために別離があったのかもしれないと。

夢で繋がれた手のぬくもりが、まだ残っている。

愛しています。

今日も。



2015年3月6日金曜日

「許します」

この一週間ほど、急にツインへの気持ちが力強く安定するようになって、大波小波に揺れるかんじがなくなってきました。

なんでかな?と振り返って気付いたのが、「許します」という言葉を心の中で力強く言うことにしたせいかもと思いいたりました。


ぐっと、丹田に力を入れて「許します」と心で言う。

それは、夫に対しての言葉ですが、帰ってきて30分は機嫌よくしていても、疲れて駄々をこねる子供のように、すぐにわたしが言う一言一言を揚げ足を取り、否定する。そうやってエネルギーを奪っている人なのだと、ようやくわかってきました。

今までは、それをむっとして黙り込むというパターンでしたが、そこで逃げずに「許します」と心で言うことにしました。

すると、それは、自分の意思で行えるからなのか、ぐっと一歩前に出て、対峙することができるようになっている気がします。

「許します」

その一言が、力強く私を支えてくれるようになりました。

同時に、この修行の結婚生活というカルマの重い鎖が、ばらばらと外れるような軽やかさを感じています。

不思議なことに、「ツインをどんなに思っても、結ばれない運命なのだ」と胸を突き刺されるような痛みを感じる発作のような思いも、少なくなりました。

揺るぎなく、ハートがつながっているような感触。

幸せです。




2015年3月4日水曜日

素晴らしい存在だと信じられるまで


ツインソウルの彼に再会してから、「あなたはわたし、わたしはあなた」というわけのわからない思いが歌うように頭の中を流れることがありました。

私にとって、彼は、最高の男性で(真剣に日本一の男性だと思っている)、神話の男神のように光り輝く存在なのですが、ツインということは、つまり、わたしも同様に、彼にとっては最高の女性で、輝く存在なのだと、ようやく受け入れられるようになってきました。

謙遜が美徳という文化があるせいか、何か目立つと嫉妬を受けてしまう、というような恐怖感もあり、わたしは物心ついた時から、「自己無価値感」「自己否定」から逃れることができませんでした。これもランナーとなった大きな理由のひとつでした。

いくらスピリチュアル本を読んで、「みんな神様とおなじひとつなのだ」と書いてあっても、わたしのようなものは例外だ、と固く信じていました。

それが、ツインとの再会で激流に放り込まれて、覆っていた硬い鎧が砕けた時、根強い「自己無価値感」も消えていました。



相手を讃え、美しさに、情熱に、知性に、細やかな感性に感動して、愛を送る時、わたしも同様に、自分自身のいのちに愛を送っていたのだと気付きました。

そして、循環して流れ込むエネルギーによって、彼は勇気を、わたしはより自由を与えあっている気がします。

もうひとりじゃない。こんなに素晴らしい相方がいる。

これが肉体を持ってツインに出会い、別離し、そして再会するという意味なのかと、思えるようになっています。