コメント欄でのご質問があったので、少しさらに整理して考えてみました。
「もう逃げない?」
自分に何度も問いかけました。
ツインソウルは人生の後半に出会うことが多いと、どこかで読ませていただきました。それは幸せなのかもしれないと思います。
私たちが出会ったばかりの20代半ば。人生には選択肢がたくさんあり、未来にはたくさんの出会いが待っているように思っていました。
若さゆえに恋の経験もわずかしかなく、ツインに惹かれる思いがどれほどのものなのか、まったく理解していませんでした。
ツインから逃げた後、いろんな夢を叶えて、一方でたくさんの夢に敗れて、それでも生きてきて、今生で本気で経験したいと思っていたことはすべてやり尽くすことができました。苦悩からスピリチュアルな勉強もしましたし、自分を愛するということを少しずつ学びました。
「やり尽くした。もう生きる理由もなくなった」
そこまでやり尽くせたのは、幸運に恵まれていたからと言えます。モラハラ夫でしたが、結果的には、物質的な面での夢を叶えてくれたという側面もあります。
「さあ、終わった。おウチに帰ろうか」と今生の旅を振り返って、立ち上がって、パンパンとスカートをはたいて、振り向いたら、ツインが待っていた、というのがわたしの心象風景です。
「やり尽くした?おかえり」と抱きしめてくれました。
この世でのわたしの居場所は、彼の腕の中でした。おウチ、はお空かと思って、死を選ぼうとしていたわたしの前に彼はもう一度現れてくれました。
この世のあらゆる(行きたかった)場所に行って、自分の居場所を探し続けてきましたが、どこにもありませんでした。どこも素晴らしい場所でしたが、自分の「ホーム」と感じられる場所は、実家も婚家も含め、ありませんでした。
そういう旅をしてきたからこそ、ツインの腕の中から、「もう逃げない」とわかるのかもしれません。
わたしが人生で求めていた真実。悟りとか、覚醒。それを、社会的宗教的にはもっともあってはならないはずの、男女の形のなかに身を委ねた時、自分が求めていたこの世での三昧の心境にいることに気づきました。
ツインソウルに出会うということは、ブッダのような覚醒をカップルにもたらすということで、それは宇宙の計画、神のお計らいなのだと、信じられるようになりました。
神の啓示を聞いて立ち上がった、キリスト教の聖人のように、最初は信じられない、自分が狂ったのかと思う、やがて受け入れ、それを生きる、それが自分の運命なのだと。
2015年4月28日火曜日
2015年4月27日月曜日
性について その2
ずっと以前のことになりますが、「雲に乗る」という本宮ひろ志さんの漫画を読んだことがあります。ご存知の方も多いと思うのですが、青年劇画というのか、エッチなシーンがてんこもりなのですが、人間として生まれ、佛界に戦いながら進んでいくという、どうしてこんな物語が描けるのか本当に不思議になるような、ダイナミックなお話です。
その中で、神々の性についての会話があり、「人間は、体を密着させなくては達しないけれど、その上の神になると手が触れただけで達することができる。さらに上級の神になると、目と目があっただけで達する」といったようなことを知恵のある老女がいうシーンがありました。(細かいところは曖昧ですがこのような意味のことだったように記憶しています)
結局、その話を聞いた女神は、人間の大きさに体を縮めて、体と体で交わってみたい、と経験をするのですが、10年以上前に読んだきりのこのお話を唐突に思い出したのは、ツインソウルに再会してからというもの、実際に自分が経験したことのないほどの快感と達する感覚が何も(体に物理的な刺激を)していないのに、感じてしまうという体験があって、今まで自分だと思っていた「肉体」「精神」がもっともっと大きなものなのではないかと、確信するまでになったからでした。
それまではニューエイジ系の本を読んで、「私たちの中にも神はいる」とか「すべてはひとつ」と、理解してはいても、肉体の反応が、精神を超越するというまでのことはありませんでした。
ツインソウルに出会うと、普段は閉じられている(のか、意識にのぼらない)天上との回路が一気に開かれて、悟りとか覚醒というレベルにいきなり持っていかれるので、それはなかなか至高でもあり、同時につまらなくても穏やかな社会生活を営もうとする私にはハードな体験でした。
ですが、法律や常識が生まれるはるか以前からのこの「性」のエネルギーは、「生」であり「聖」であり、きっと「清」でもあると、ようやく思えるようになってきました。
子供の頃から植えつけられる、性の回避、隠匿、揶揄、力として使うという誤った認識を、ツインソウルに出会ったらすべて掘り起こして、消去して、本来のいのちの輝きとはそんなものじゃない!と、神々の訴えを地上に伝えるのが、大事なお役目の一つなのかもしれないなあと。
こんなことを考えていると、ツインに会って抱きしめて、キスしまくりたい、と幸せな妄想にひたっております。
その中で、神々の性についての会話があり、「人間は、体を密着させなくては達しないけれど、その上の神になると手が触れただけで達することができる。さらに上級の神になると、目と目があっただけで達する」といったようなことを知恵のある老女がいうシーンがありました。(細かいところは曖昧ですがこのような意味のことだったように記憶しています)
結局、その話を聞いた女神は、人間の大きさに体を縮めて、体と体で交わってみたい、と経験をするのですが、10年以上前に読んだきりのこのお話を唐突に思い出したのは、ツインソウルに再会してからというもの、実際に自分が経験したことのないほどの快感と達する感覚が何も(体に物理的な刺激を)していないのに、感じてしまうという体験があって、今まで自分だと思っていた「肉体」「精神」がもっともっと大きなものなのではないかと、確信するまでになったからでした。
それまではニューエイジ系の本を読んで、「私たちの中にも神はいる」とか「すべてはひとつ」と、理解してはいても、肉体の反応が、精神を超越するというまでのことはありませんでした。
ツインソウルに出会うと、普段は閉じられている(のか、意識にのぼらない)天上との回路が一気に開かれて、悟りとか覚醒というレベルにいきなり持っていかれるので、それはなかなか至高でもあり、同時につまらなくても穏やかな社会生活を営もうとする私にはハードな体験でした。
ですが、法律や常識が生まれるはるか以前からのこの「性」のエネルギーは、「生」であり「聖」であり、きっと「清」でもあると、ようやく思えるようになってきました。
子供の頃から植えつけられる、性の回避、隠匿、揶揄、力として使うという誤った認識を、ツインソウルに出会ったらすべて掘り起こして、消去して、本来のいのちの輝きとはそんなものじゃない!と、神々の訴えを地上に伝えるのが、大事なお役目の一つなのかもしれないなあと。
こんなことを考えていると、ツインに会って抱きしめて、キスしまくりたい、と幸せな妄想にひたっております。
性について
ツインソウルという言葉に出会ったのは、9ヶ月前。
とてつもない「性エネルギー」の高まりを、昔大好きだった人とネット上で再会してやりとりを始めたときに、体験したからでした。
「性」と「生」が同じ音のように、性はわたしたちのからだを生み出し、いのちをつなげてきたエネルギーそのもの。
それを、隠匿するべきもの、と封印したり、金銭のやりとりに使ってきたのが今までの時代とするならば、これからは、このエネルギーこそが、魂の本来の姿を取り戻すためのパワーになるのではないかと思うのです。
私自身、初めての体験をした19歳の頃から、それはボーイフレンドを支配する力として使っていた気がします。特に喜びを感じるためではなく、盛りのついた男の子を思うように支配するための道具として、寂しさを紛らわすツールとして使っていた面がいなめません。
だから常に罪悪感がありました。親に隠れてこんないけないことをしている、というような思い。誰と経験しても、後ろめたさがつきまといました。
16年前のこと、初めてツインに抱きしめられたとき、恐ろしいほどの力で、体の扉がばーんとあいて、身体中でツインを受け入れようとしている自分に、心底驚きました。
まるで意思を持たないはずの内臓が開いて、ぱっくりと彼をそのまま飲み込もうとでもしているような感覚。
「こんなことは絶対に許されないことなのに」と既婚者であるツインとの交わりは、必死で自制しました。ですが、心と体はなんのためらいもなくツインのものになろうとしていました。
あのとき、もしも交わっていたら、きっと子どもができていただろうと思うほど、強力な力を感じました。
それ以降、誰にも感じませんでした。恋心も、快感も。プラスチックのように冷たい私の体を、結婚してすぐに夫は拒否しました。
去年再会した時のこと。ツインにごく自然に抱きしめあってキスを交わした時、「ああ、やっぱりこの人だったんだ」と深く思いました。
わたしがこの世に生まれたのは、この人に出会い愛し合うためだったのだと。
世間的に見たら、一番してはいけないことを、しようとしている自分、罪を犯そうとしている自分を、そんなものは関係ないとばかりに魂はスパークします。
一番純粋に、性が美しく、本来の輝きを取り戻すのが、世間的にはとんでもない関係。ふと、では常識とか法律ってなんなんだろうか?と思ってしまいます。
とてつもない「性エネルギー」の高まりを、昔大好きだった人とネット上で再会してやりとりを始めたときに、体験したからでした。
「性」と「生」が同じ音のように、性はわたしたちのからだを生み出し、いのちをつなげてきたエネルギーそのもの。
それを、隠匿するべきもの、と封印したり、金銭のやりとりに使ってきたのが今までの時代とするならば、これからは、このエネルギーこそが、魂の本来の姿を取り戻すためのパワーになるのではないかと思うのです。
私自身、初めての体験をした19歳の頃から、それはボーイフレンドを支配する力として使っていた気がします。特に喜びを感じるためではなく、盛りのついた男の子を思うように支配するための道具として、寂しさを紛らわすツールとして使っていた面がいなめません。
だから常に罪悪感がありました。親に隠れてこんないけないことをしている、というような思い。誰と経験しても、後ろめたさがつきまといました。
16年前のこと、初めてツインに抱きしめられたとき、恐ろしいほどの力で、体の扉がばーんとあいて、身体中でツインを受け入れようとしている自分に、心底驚きました。
まるで意思を持たないはずの内臓が開いて、ぱっくりと彼をそのまま飲み込もうとでもしているような感覚。
「こんなことは絶対に許されないことなのに」と既婚者であるツインとの交わりは、必死で自制しました。ですが、心と体はなんのためらいもなくツインのものになろうとしていました。
あのとき、もしも交わっていたら、きっと子どもができていただろうと思うほど、強力な力を感じました。
それ以降、誰にも感じませんでした。恋心も、快感も。プラスチックのように冷たい私の体を、結婚してすぐに夫は拒否しました。
去年再会した時のこと。ツインにごく自然に抱きしめあってキスを交わした時、「ああ、やっぱりこの人だったんだ」と深く思いました。
わたしがこの世に生まれたのは、この人に出会い愛し合うためだったのだと。
世間的に見たら、一番してはいけないことを、しようとしている自分、罪を犯そうとしている自分を、そんなものは関係ないとばかりに魂はスパークします。
一番純粋に、性が美しく、本来の輝きを取り戻すのが、世間的にはとんでもない関係。ふと、では常識とか法律ってなんなんだろうか?と思ってしまいます。
2015年4月23日木曜日
祈りのことば
神様に上手にお願いする方法、とか、引き寄せの法則という本を読みあさっていた時期があります。
共通していたのは「あたかもすでに叶ったかのように感謝すること」が、思考を現実のものにするということ。
そこで、虫が良すぎるくらいの祈りの言葉を今日、書いていました。
----------------
出会わせていただき、ありがとうございます。
再会させていただき、ありがとうございます。
すばらしい会話と愛に満ちた抱擁を経験させていただき、ありがとうございます。
二人で生きていけることに感謝いたします。
互いの元家族、実家、友人たちとも円満に楽しく付き合えることに感謝いたします。
毎日互いをいたわり合い、喜びの交歓ができること、愛し合えることに感謝いたします。
互いの夢を応援しあい、励ましあい、共に前に進めることに感謝いたします。
経済的にも豊かで満たされ、周りにもたっぷりと分け与えることができることに感謝いたします。
互いの才能が開花し、心身ともに健康な日々を送れますこと、心から感謝いたします。
これが本当の神が結び給う、真の結婚だと、日々感謝しております。
ありがとうございます。
----------------
つまり、「ツインと結ばれますように」と祈れば祈るほど、「結ばれていない」という現実が現れるということなのかな?とふと思い、祈りの言葉を完了形にしてみました。
また、叶えたいことができたら追加していくつもりです。
共通していたのは「あたかもすでに叶ったかのように感謝すること」が、思考を現実のものにするということ。
そこで、虫が良すぎるくらいの祈りの言葉を今日、書いていました。
----------------
出会わせていただき、ありがとうございます。
再会させていただき、ありがとうございます。
すばらしい会話と愛に満ちた抱擁を経験させていただき、ありがとうございます。
二人で生きていけることに感謝いたします。
互いの元家族、実家、友人たちとも円満に楽しく付き合えることに感謝いたします。
毎日互いをいたわり合い、喜びの交歓ができること、愛し合えることに感謝いたします。
互いの夢を応援しあい、励ましあい、共に前に進めることに感謝いたします。
経済的にも豊かで満たされ、周りにもたっぷりと分け与えることができることに感謝いたします。
互いの才能が開花し、心身ともに健康な日々を送れますこと、心から感謝いたします。
これが本当の神が結び給う、真の結婚だと、日々感謝しております。
ありがとうございます。
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つまり、「ツインと結ばれますように」と祈れば祈るほど、「結ばれていない」という現実が現れるということなのかな?とふと思い、祈りの言葉を完了形にしてみました。
また、叶えたいことができたら追加していくつもりです。
2015年4月18日土曜日
あなたの目の中に
会えない寂しさに泣く
これが、毎日のように繰り返す、私の気持ちの動きです。
ぐるぐる同じところを回っているような気もしますが、精神的な成長は、螺旋階段のようなものと20年以上前に読んだ本に書いてあった通り、昨日はあらたな心の動きがありました。
なぜ手を離したの?と責める。
(自分から逃げたくせに)
「ずっと好きだったと言うなら、どうして離れ離れになってしまったんだ?」と思うツインの気持ちも伝わって来る。
「ずっと好きだったと言うなら、どうして離れ離れになってしまったんだ?」と思うツインの気持ちも伝わって来る。
イライラして他人にまで当たりそうになる
そして、嵐が静まると
出会えた奇跡に深い喜びを感じる
感謝する
これが、毎日のように繰り返す、私の気持ちの動きです。
ぐるぐる同じところを回っているような気もしますが、精神的な成長は、螺旋階段のようなものと20年以上前に読んだ本に書いてあった通り、昨日はあらたな心の動きがありました。
それは、感動
それは魂を同じくするものがもうひとりこの世にいて、巡りあっているということ
それは魂を同じくするものがもうひとりこの世にいて、巡りあっているということ
嘘みたいだ
国籍も年齢も性別も取り払い、魂のままでいられる相手
タガが外れたように恋に落ちて、無我夢中で求めてしまう相手
タガが外れたように恋に落ちて、無我夢中で求めてしまう相手
相手の眼の中に自分が映る。
互いしか見えなくなってしまう。
けれど、狭くなってしまった気がしていた視野からは、自分の魂が見える。
そこから宇宙が透けて見える。
すべてへの悟り、慈しみ、愛、光、そういう賢者たちが追い求めたすべてが互いの目の中にある。
互いしか見えなくなってしまう。
けれど、狭くなってしまった気がしていた視野からは、自分の魂が見える。
そこから宇宙が透けて見える。
すべてへの悟り、慈しみ、愛、光、そういう賢者たちが追い求めたすべてが互いの目の中にある。
2015年4月17日金曜日
今朝の夢
夢を見た
北海道かどこかの、原野の中の素敵なホテル
皆で集まって、温泉の話や、土産物の話をしている。
通路に座る私
椅子に座るあなた
あなたの隣にはきれいな奥さん
幼い息子さん
すぐ隣にご家族がいるのに、平気で私だけに話して、私の腕にずっと触れている。
夢の中なのに、体温が伝わって来る。
夢の中なのに、体温が伝わって来る。
まばたきもせず、まっすぐ私を見つめ続けるあなたに、私の母が気づく。
どうしようもないのね。
母はつぶやく。
============
こんな夢を見ても、心が乱れることなく、思ったよりも、冷静な自分がいました。
彼は家庭という簡単には下ろせない責任を背負っているのだなあと。
経済的なこともあり、私自身、すぐに離婚できるわけではない。
仕事をしなくてはと焦っていましたが、それは、その方向を向いて、焦らずに、今自分がいる場所でベストを尽くそう、と。
どうしようもないのね。
母はつぶやく。
============
こんな夢を見ても、心が乱れることなく、思ったよりも、冷静な自分がいました。
彼は家庭という簡単には下ろせない責任を背負っているのだなあと。
経済的なこともあり、私自身、すぐに離婚できるわけではない。
仕事をしなくてはと焦っていましたが、それは、その方向を向いて、焦らずに、今自分がいる場所でベストを尽くそう、と。
2015年4月14日火曜日
2015年4月13日月曜日
守護霊 守護天使 ガーディアンスピリット
何かを本気で願うと、守護霊とか、ガイドするスピリットが、がらりと変わると聞いたことがあります。
ひとつのことを今、始めようとしているのですが、本気でそのプロになろうと決めた瞬間から、守ってくれる「おかげさま」(お蔭さま)の軍団が変わった気がしました。スキルや気配りが格段にアップするのです。
そして、今日、ツインとの関係性についてぐずぐずと3時間ほど泣いた後(いまだによくもまあこれだけ泣けるものだと思えますが)、何度か眠っては直感を得て、ノートに書き記すことを繰り返しました。
その中でも、「さあ、これをブログに書いて」と言われた気がしたのは、これからは、ガイドスピリットにお任せしよう、ということ。
なんでも相談して、頼ろうと感じたのでした。
踏ん張って、頑張って、努力して、苦行をせねばと思い込みそうやって生きてきました。でももうそれは終わり。
なんでもお任せして、「幸せの方向を向いて進む」と決める。そして頼る。キラキラと輝く、喜びの翼が生えてきた気がしています。
<追記>
そういえば、ツインの近況を知った時、16年前と同じように一目惚れ(というにはあまりにも激しい)状態になった時、叫ぶようにしてお願いしたのでした。「もう一度、やり直したい、神様お願い、あの晩からもう一度やり直させてください!」と。そしてあっさりと数ヶ月後にその願いは叶い、あの晩(最初で最後、抱きしめられた時)と同じ状況となりました。そして今、ランナーとなった自分を思い出すような同じ状況になっています。そんなときに、今日のメッセージが降りてきたのでした。
ひとつのことを今、始めようとしているのですが、本気でそのプロになろうと決めた瞬間から、守ってくれる「おかげさま」(お蔭さま)の軍団が変わった気がしました。スキルや気配りが格段にアップするのです。
そして、今日、ツインとの関係性についてぐずぐずと3時間ほど泣いた後(いまだによくもまあこれだけ泣けるものだと思えますが)、何度か眠っては直感を得て、ノートに書き記すことを繰り返しました。
その中でも、「さあ、これをブログに書いて」と言われた気がしたのは、これからは、ガイドスピリットにお任せしよう、ということ。
なんでも相談して、頼ろうと感じたのでした。
踏ん張って、頑張って、努力して、苦行をせねばと思い込みそうやって生きてきました。でももうそれは終わり。
なんでもお任せして、「幸せの方向を向いて進む」と決める。そして頼る。キラキラと輝く、喜びの翼が生えてきた気がしています。
<追記>
そういえば、ツインの近況を知った時、16年前と同じように一目惚れ(というにはあまりにも激しい)状態になった時、叫ぶようにしてお願いしたのでした。「もう一度、やり直したい、神様お願い、あの晩からもう一度やり直させてください!」と。そしてあっさりと数ヶ月後にその願いは叶い、あの晩(最初で最後、抱きしめられた時)と同じ状況となりました。そして今、ランナーとなった自分を思い出すような同じ状況になっています。そんなときに、今日のメッセージが降りてきたのでした。
2015年4月7日火曜日
触れ合った手と手が
ツインソウルと触れ合うと、肌がとろけるよう、とかどちらが自分か相手かわからなくなるという書かれているブログを読んだことがあります。
私は、再会して抱きしめられたとき、彼が無臭だったのに驚きました。
男性には特有の匂いがあるものだし、特に1日が終わった後のこと、いい年でもありますしきっと匂いが気になるだろうなあと覚悟していたのですが、拍子抜けするほど「無臭」
かなり敏感なたちで、人のシャンプーの残り香でも気分が悪くなることも多い私ですが、まったく何も匂いませんでした。
そして、手をつないでいるときに感じたのは、肌の乾き具合とか、弾力が瓜二つ。人の湿った手が苦手だと思ってしまうこともあるのですが、まったくそんなことがなく、それも不思議な感覚でした。
そして今日、用事で出かけながらぼんやりとバスに揺られて、ツインのことを思っていました。
ふっと手を重ねた時、ツインの手が自分に触れている気がしてびっくりして、自分の手を見つめてしまいました。もちろんそこには自分の手しかありません。ですが、手が温かくなっていて、いとおしむように何度も手をつなぎ、指にキスをしてくれたツインの感触がリアルに蘇りました。
男性の手ですから、自分よりは厚いし、力も強いのですが、ツインに触れられているみたいで気持ちよくて、ずっと自分の手をさすってしまいます。
赤ちゃんが、指しゃぶりを覚えたみたいで恥ずかしいのですが、、、
もちろんクンダリーニは絶好調。
きっとこのエネルギーが、イザナギとイザナミが国を造った時のように、地球にいのちをもたらす気がしています。
ツインの子供が欲しかったなあと思うこともあるのですが、きっと触れ合い、スパークするエネルギーは、もっと微細で精妙な何か、光というかエネルギーを産んでいる気がします。
いや、私たちが生むというよりも、私たちを作った宇宙の原初の熱と光が、二人の触れ合いで、よみがえっているような気がします。
私は、再会して抱きしめられたとき、彼が無臭だったのに驚きました。
男性には特有の匂いがあるものだし、特に1日が終わった後のこと、いい年でもありますしきっと匂いが気になるだろうなあと覚悟していたのですが、拍子抜けするほど「無臭」
かなり敏感なたちで、人のシャンプーの残り香でも気分が悪くなることも多い私ですが、まったく何も匂いませんでした。
そして、手をつないでいるときに感じたのは、肌の乾き具合とか、弾力が瓜二つ。人の湿った手が苦手だと思ってしまうこともあるのですが、まったくそんなことがなく、それも不思議な感覚でした。
そして今日、用事で出かけながらぼんやりとバスに揺られて、ツインのことを思っていました。
ふっと手を重ねた時、ツインの手が自分に触れている気がしてびっくりして、自分の手を見つめてしまいました。もちろんそこには自分の手しかありません。ですが、手が温かくなっていて、いとおしむように何度も手をつなぎ、指にキスをしてくれたツインの感触がリアルに蘇りました。
男性の手ですから、自分よりは厚いし、力も強いのですが、ツインに触れられているみたいで気持ちよくて、ずっと自分の手をさすってしまいます。
赤ちゃんが、指しゃぶりを覚えたみたいで恥ずかしいのですが、、、
もちろんクンダリーニは絶好調。
きっとこのエネルギーが、イザナギとイザナミが国を造った時のように、地球にいのちをもたらす気がしています。
ツインの子供が欲しかったなあと思うこともあるのですが、きっと触れ合い、スパークするエネルギーは、もっと微細で精妙な何か、光というかエネルギーを産んでいる気がします。
いや、私たちが生むというよりも、私たちを作った宇宙の原初の熱と光が、二人の触れ合いで、よみがえっているような気がします。
2015年4月6日月曜日
自分の人生を生きる
何があっても自分の人生を生きよう。
静かにそう思えるようになってきました。
今、この時を、自分の周りの人たちと語り合って笑いあって励ましあって、そしてたくさんの楽しいことを共有して生きていきたい。
そう思えた時、今までバラバラの要素でまとまりのなかった人生が急に磁石によって描かれる絵のように、ひとつのかたちを見せようとしています。
ツインと一緒になれないなら死んだほうがマシだ、とまで思い詰める激情も、ようやく少し落ち着き、魂のレベルではつながっている二人の絆をしっかりと感じています。
互いにしたいこと、見たい景色があり、それを語り合おうと決めてきた人生だから今まで別々に生きざるを得なかったけれど、離れているのはとてつもなくつらかったけれど、決して離れることはない、双子の魂。
時々、浮かんでくるヴィジョンは、天上で二人は柔らかなベッドの上でいちゃつきながら映画を見ていて、その中では想いあっているのに切なくすれ違い、悲しみと絶望と、再会の喜びと、また離れ離れに生きている苦しみを味わっている「今の私たち」を、「ああいうときもあったわね」なのか「こういう切ない恋物語もいいよね」と過去なのか未来なのかわからないけれど、見物している、というものがあります。
私たちは、現実という虚構でお芝居をしているように思えるときがあります。
ツインソウルに出会って、目のくらむような喜びと、叩きつけられるような絶望を感じておられる方は、きっとネットに何か答えなりヒントなりを探しておられるのだろうと思います。(わたしもそうでした)
自分の人生、自分のツインソウルとの出会い、そこで体験すること、学ぶことは、本当に自分だけのかけがえのない人生の輝きそのものなのだと思います。
昨年の7月から12月あたりまでは、毎日のように何時間も号泣していましたが、このブログを書き始めて、ずいぶんと今までのこと、これからのことがクリアになってきました。
毎日のPVがブログ画面を開くと現れるのですが、日々1000PVくらい頂いており、その分苦しみを抱えている方々が見ておられるのかと思うと、切なくもあり、またこれだけの同志の方がおられるということをお伝えしたいなと思います。PVを稼ぐために書いているようなブログではまったくないので、公開したところで自慢でもなんでもなく、一生懸命に生きている魂がたくさんおられるということをお伝えして、少しでも勇気の糧になれば、と思います。
静かにそう思えるようになってきました。
今、この時を、自分の周りの人たちと語り合って笑いあって励ましあって、そしてたくさんの楽しいことを共有して生きていきたい。
そう思えた時、今までバラバラの要素でまとまりのなかった人生が急に磁石によって描かれる絵のように、ひとつのかたちを見せようとしています。
ツインと一緒になれないなら死んだほうがマシだ、とまで思い詰める激情も、ようやく少し落ち着き、魂のレベルではつながっている二人の絆をしっかりと感じています。
互いにしたいこと、見たい景色があり、それを語り合おうと決めてきた人生だから今まで別々に生きざるを得なかったけれど、離れているのはとてつもなくつらかったけれど、決して離れることはない、双子の魂。
時々、浮かんでくるヴィジョンは、天上で二人は柔らかなベッドの上でいちゃつきながら映画を見ていて、その中では想いあっているのに切なくすれ違い、悲しみと絶望と、再会の喜びと、また離れ離れに生きている苦しみを味わっている「今の私たち」を、「ああいうときもあったわね」なのか「こういう切ない恋物語もいいよね」と過去なのか未来なのかわからないけれど、見物している、というものがあります。
私たちは、現実という虚構でお芝居をしているように思えるときがあります。
ツインソウルに出会って、目のくらむような喜びと、叩きつけられるような絶望を感じておられる方は、きっとネットに何か答えなりヒントなりを探しておられるのだろうと思います。(わたしもそうでした)
自分の人生、自分のツインソウルとの出会い、そこで体験すること、学ぶことは、本当に自分だけのかけがえのない人生の輝きそのものなのだと思います。
昨年の7月から12月あたりまでは、毎日のように何時間も号泣していましたが、このブログを書き始めて、ずいぶんと今までのこと、これからのことがクリアになってきました。
毎日のPVがブログ画面を開くと現れるのですが、日々1000PVくらい頂いており、その分苦しみを抱えている方々が見ておられるのかと思うと、切なくもあり、またこれだけの同志の方がおられるということをお伝えしたいなと思います。PVを稼ぐために書いているようなブログではまったくないので、公開したところで自慢でもなんでもなく、一生懸命に生きている魂がたくさんおられるということをお伝えして、少しでも勇気の糧になれば、と思います。
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